Dedicate [4] Blooms 2
ロサンゼルス郊外に1つの大きな屋敷が建っていた。
その屋敷のデザインは品性を感じさせるものであり、その裏には超巨大な屋内施設を設けていることから屋敷の主の財力を感じさせる。
しかしそこは海からは遠く、辺りにはただ乾いた大地が広がるだけのそこは、お世辞にも一等地とは言えない立地だった。
そしてその屋敷の嫌味のない程度に飾られた1室に置かれたガラス張りのローテーブルを挟んで、向かい合うように黒い革張りのソファに腰を掛ける1組の男女が居た。
1人は緑のリボンで飾った肩まで届くか届かないかの長さのウェービーな栗色の髪と緑色の瞳。
黒のワンピースの上にオフホワイトのパーカーを羽織り、胸元に銀の十字架を輝かせるフィオナ・フリーデン。
もう1人はろくにセットもしていない長いとも短いとも言えない黒髪に暗い碧眼を隠し、いたるところに包帯を巻いた体。
その体に真っ白なインナー、カーキ色のミリタリーシャツ、黒いデニムボトムを纏ったレイ・ブルームスだった。
「ねえレイ兄さん、暇」
フィオナは退屈だといわんばかりに、胸元の小さな十字架を指先で玩びながら足をブラブラと揺らす。
確かにその部屋にはテレビはおろか本の1冊も置いておらず、フィオナでなくても退屈と感じてしまうのも無理はないだろう。
レイはそんなフィオナの様子に鬱陶しそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「それならカジノにでも行って来いよ。タダ酒は飲める、遊ぶ物は大量にある、最高の暇つぶしになんだろ」
「じゃあ車出してよ」
「1人で行け、俺は忙しいんだよ」
「忙しいって、何が?」
黒い革張りのソファにふんぞり返っているレイに、フィオナは思わず疑わしげな視線を向けてしまう。
しかしレイはフィオナの話し相手になる訳でもなければ、何かしている様子もなかった。
黙りこんで自身の様子を窺っているフィオナに深いため息をついたレイは、鬱陶しそうに右手を払うように振って言う。
「見りゃ分かるだろ? 俺は勤務中だ」
「……ソファに座ってるだけで?」
「療養に職場待機、立派な仕事だろ」
「……なんていうか、レイ兄さん仮面がなくなると本当にダメな人ね」
かつて”いいお兄さん”として振舞っていた傭兵に、フィオナは呆れ気味に言葉を紡ぐ。
こちらが素だというのはギリシャで理解していたが、そのギャップに慣れる事はなかったのだ。
「うるせえな、大体なんでフィオナがここに居るんだよ」
「ご両親が商談の間、リュミエール邸で預かるって先週話したでしょう?」
苛立たしげに舌打ちをするレイに、どこか呆れたような声が掛けられる。
レイがそちらに視線をやるとそこに居たのは、前下がりボブにカットした黒髪と黒目を持ち、タイトな黒いパンツスーツと白のシャツに身を包み、シャツの襟にタイのように革紐を通して胸元にメダイを飾っている晶・鴻上だった。
レイはその晶の言葉にバツの悪そうな表情を浮かべる。
「……興味ねえから忘れてた」
「だろうと思ったわ。それと荷物が届いていたけど」
「スキャナーは?」
「もちろん掛けたわ。送り先も聞いていた場所だったから、問題はないと思うのだけど……」
そう言って晶は後ろ手に扉を閉めて、たった今届けられた小さなダンボールをレイに手渡した。
そのダンボールの表面に貼り付けられた送り状を確認したレイは、何かを思い出したような表情を浮かべてダンボールを乱暴に開ける。
ダンボールの中には梱包剤に包まれた大小の3つの革のポーチが入っていた。
レイがその中の1つを手に取り、紐を解いて取り出すと、それはすっかり元通りに直されていた革紐に通された大きな十字架だった。
「あれ、レイ兄さんそれ持ってなかったっけ?」
「ああ、いろいろあって修理に出してたんだよ」
レイの言葉に今度はフィオナが合点がいったような表情を浮かべる。
BLOODのデータを保存した黒のデバイスは無事イヴァンジェリンの手に渡ったが、生死の境を彷徨っていた頃にコレクションのほとんどを失ってしまったのだ。
レイの手元に残ったコレクションは折れ曲がった十字架と千切れたチェーン、手首に付けていたいくつかのブレスレット、それとネイムレス・メサイアと共に与えられた指輪だけだった。
「それと、こんな物も届いていたんだけど心当たりは?」
嬉々としてネックレスを着けていたレイに、晶は口角をヒクヒクと引きつらせながら細長い箱をレイに見せる。
白と赤のツートンで彩られた紙製の箱、それはレイが注文していたタバコのカートンだった。
「ああ、俺のだよ」
「俺のだよ、じゃないわ。レイ君はまだタバコ吸っていい歳じゃないはずよ?」
「ドイツじゃ16歳から吸えるんだとよ」
「レイ君はアメリカ人で、まだ17歳でしょうが。これはわたしが責任を持って返しておくわ」
晶は箱を小脇に抱えて、右手で顔を覆いながら深いため息をついてしまう。
20歳と聞いていたかつての部下は実際は17歳で、ろくな社会経験もない傭兵だと教えられた時は悪い夢でも見ているのではないかと思ったほどだった。
そして退役軍人の再就職の難しさをニュースで知っていた晶は、レイに学校で習う程度の勉強と守るべきルールを教えていた。
「はあっ!? マジかよ!?」
「マジよ。日本にみたいに20歳まで我慢しなさいなんて言わないけど、それでもまだ早いわ」
「……マジかよ、せっかくライターまで手に入れたのに」
「あの人は……本当にもう……」
レイは革のポーチから取り出した、ネックレスと同じデザインの十字架が彫られたライターを右手で玩びながら嘆く。
その様子から晶はレイにライターを与えた人物に簡単に辿り着き、再度口角を引きつらせてしまう。
レイが自身を救う為に死に掛けたという負い目があるイヴァンジェリンが、レイを甘やかしたくなる気持ちも分かる。
だが民間軍事企業以外の常識を教えてやれる人間が居なかったからこそ、晶はレイに厳しく接しざるを得なかった。
叱ってあげよう、褒めてあげよう、慰めてあげよう。
あの時のあの気持ちに嘘はないのだから。
「アキラさん、さっきレイ兄さんがカジノでタダ酒がどうとかって言ってましたよ」
「フィオナ、アンタ裏切りやがったな!?」
「興味ねえとか言っちゃう方が酷いじゃない!」
「この、クソガキッ……!」
「……ちゃんとフィオナさんに謝りなさい、レイ君。その後でしっかりお話をしましょうね」
晶の咎めるような視線と表面上は穏やかな言葉に、今度はレイが口角をヒクヒクと引きつらせてしまう。
日本での潜入の際に渡された弁当に入っていたプチトマト。
あの時我慢して食べた耐え難い酸味など取るに足らないほどに、晶の説教はレイにとって恐ろしい物となっていた。




