Dearest [Death] Dealer 4
真昼の青空が夕焼け空に変わった頃。
フィオナにいろいろと連れ回されたレイは、ようやくの思いで屋敷へと帰ってくる事が出来た。
どこか疲れた表情を浮かべる傭兵は、フィオナと分かれて部屋へと疲れた体を引きずりながら歩いていく。
白い壁の合間に点在する窓は夕日を差し込ませ、赤いベルベッド調のカーペットが引かれた廊下を照らしていた。
――しかし、子守ってのはこんなにダルいのか
たかだか地元を案内するだけだというのに、とてもテンションが高かった1つ年下の少女の活発な様を思い出してレイは思わず苦笑する。
深くフィオナへ踏み込む気がなかった為に問い返しはしなかったが、フィオナの休日は毎回こんな感じなのだろうと結論付けたレイは、これからもそれに付き合わされる可能性に嘆息する。
護衛として常に脇を固める訳ではないが、商会の護衛達のようにフィオナを尾行しなければならない可能性は常にあるのだから。
――そして違う面倒が向こうからやってきた、と
重ね着けしているブレスレットでカモフラージュしているバングルが感知している、自分に与えられた部屋に居る存在。
敵対の意思を滲ませるその存在に、レイはフィールドジャケットの下に隠している銃をいつで出せるようにスタンバイする。
そしてレイは1つ深く息を吐き、意を決して扉を開けた。
夕焼けに染められたアテネの街並みを透かす窓を背中にそこに居たのは、先ほどカフェのオープンテラスで遭遇した護衛の男だった。
優秀な警備システムを導入している筈の屋敷の警備と、それらを突破してきたのであろう男のどちらに嘆息をつくべきかレイは迷う。
しかしあの時と同じネルシャツの上にパーカーを羽織ったその男は、レイの困惑など知らぬとばかりにダークブラウンの瞳でレイを睨みつけながら口を開いた。
「貴様、あれはどういうつもりだ?」
「それはこちらの台詞です。未熟なカモフラージュ、考えの甘い装備、その挙句に不法侵入なんてどうかしていますよ」
そう言いながらレイは、フィールドジャケットを脱ぎながらクローゼットへと歩み寄る。
レザーで出来た黒いフィールドジャケットをいい加減にハンガーに掛け、アクセサリーをしまっている黒い革張りのアクセサリーケースを開けて中身を確認する。
「何を疑っているかは知らないが、俺はコソ泥の真似事などはしない」
「確かに失くなっている物はありませんが、あなた方が私を信用できないように私もあなた方を信用していないんです。ご了承ください」
丁寧な態度を保ちながらレイは嘲りの感情を滲ませて、自分を睨みつけてくる男に皮肉った返事を返す。
その男はレイの慇懃無礼な態度に憤慨し、唾を飛ばしながら反論する。
「貴様こそ、俺達の護衛を悟られるような真似をしたろうが」
「それ以上に、あなた方の未熟な尾行の方が危険だったのだからしょうがないでしょう? 私はああやって誤魔化すことが出来ましたが、不用意な行動で護衛対象に顔が割れてしまったらどうするつもりですか」
その男がフィオナに商会の人間だとバレてしまえば、男は護衛を外されダミアンは新しい護衛を用意しなければならない。そして新しい護衛が味方かを確かめる事も出来ないまま、フィオナは自分を狙う悪意へと引きずり込まれていく。
フィオナの一生を面倒見る気などないレイに出来る事は、それを商会の人間達に理解させる事しかないのだ。
そしてその結果がエイリアスの言っていた、"望む答え"なのだろう。
フィオナ・フリーデンを守るという事は、武器流通の最大手であるフリーデン商会をテロリストから守る事であり、条約に触れるような非人道的な兵器の流出の阻止、そしてテロリストの根絶に帰結する。
それがエイリアスの"望む答え"なのかレイは知らないが、仕事である以上それをこなす事に異論などは無かった。
「黙れ! 大体貴様こそ何者だ! あらゆるデータベースに存在しない人間が、何の目的でここに居る!?」
「私は未成年の武力行使が出来る存在として国連に所属しているのです。データベースにデータが無いのは当たり前でしょうが」
ついに怒鳴り始めたその男の態度に、レイは眉間に皺を寄せてしまう。
国連の武器等を管轄する部署の非公式のエージェント、未成年でありD.R.E.S.S.という武力を所持しているという理由から表沙汰に出来ない為に、その存在はデータベースには存在しない。
実際のレイとは一部を除いて何もかもが違うが、エイリアスに用意されたレイ・ブルームスはそういう存在だった。
そしてその存在を知ったこの矮小な男が、何をしでかそうとするかを理解してしまったレイは先手を打つ事にした。
「先に言っておきますが、私の存在は国連に対してのカードにはなりませんよ。それよりもそんな存在を受け入れた上に、未成年を"とても危険な護衛"として働かせている商会を世間はどう見ると思いますか?」
思惑が看破された上に脅迫をされてしまった男は、怒りから肩を小刻みに振るわせ始める。
その殺意すら孕みだしたその視線を受けながらも、レイは仕上げとばかりに言葉を続けた。
「私は私の仕事をします。敵対組織がD.R.E.S.S.を使用してしまえば、お嬢様は私でしか守れないはずです。お嬢様とこの組織を思うのであれば邪魔を――」
「そこまでだ。うちの人間が小僧に迷惑を掛けたのは分かるが、小僧も一々突っかかるんじゃない」
先ほど閉めたばかりの扉が開かれ、自分の言葉を遮ったその存在にレイは嘆息してしまう。
――子供だけじゃなくて、部下にも過保護なのか
そう胸中で毒づくも、レイはその男を無視するわけにはいかず口を開いた。
「……外まで聞こえてしまっていましたか、ミスター?」
「白々しい事を言う必要はない、分かっているんだろう?」
レイの皮肉にダミアンは苦笑を浮かべる。
D.R.E.S.S.のセンサー系統は上等な物であり、盗聴器程度発見できないはずが無い事をダミアンは知っているのだ。
そしてダミアンはカモフラージュの為にカジュアルな装いをしている部下を一瞥し、そのダークブラウンの瞳を持つ護衛の男は気まずげにダミアンから目をそらした。
「消えろ、ホロパイネン。あいつの護衛に任命した時から、お前が屋敷に入ることは禁じた筈だ」
「ですが、自分こそがフィオナ様の1番傍に居るにふさわ――」
「黙れ、消えろ。命令に従えない人間はうちには必要ない。また同じ事を言わせるのであれば、覚悟をしてもらうぞ」
ホロパイネンと呼ばれたダークブラウンの瞳の男は、自分の正当性を訴えるも、ダミアンはそれを端的な言葉で切り捨てる。
外部からの戦力を手放しに信用する事が出来ないのはダミアンも同じではあるが、それでもホロパイネンが命令を違反した事実に代わりはない。
反論すら許されなかったホロパイネンは悔しげに歯噛みし、レイを睨みつけて苛立たしげに退室した。
20代後半であろう男のその幼稚な態度に呆れたように嘆息するレイに、同じく部下への呆れが胸中を満たしたダミアンは咳払いを1つしてから言葉を掛ける。
「改めて、ご苦労だったなブルームス。あいつに勘付かれはしていないだろうな?」
「それを言うのであれば、私ではなく配下の皆様に言うべきです。カフェでお茶している間に戦力を把握されてしまうなんて、2流の仕事ですよ」
「ほう、ならそれをして見せたお前は1流の人間だと?」
「私がまだ未熟なことは理解していますが、そんな私に気付かれるような人間が1流だとでも?」
ダミアンは嘲笑うようにレイへそう告げ、レイはあくまで慇懃無礼な態度を崩さずにそう返す。
前線にこそ出た事はないもののいくつも修羅場を潜り抜けたダミアンは、いくつもの死線を文字通り潜り抜けてきたレイに圧される事なく対峙して見せた。
――ああ、鬱陶しい
そう苛立たせられた感情をレイは胸中で圧し止める。
これまでに護衛として気付かれなかったホロパイネンが無能でない事も、ダミアンがレイを信用する為に舌戦を仕掛けてきているという事もレイには理解出来ている。
それでも下手をすれば、3ヶ月この生活が続くのかと思うレイがそう毒づいてしまうのも無理は無いだろう。
「まあ、迷惑を掛けたと思っているのは事実だ。許してやって欲しいとは思わないが、ホロパイネンも焦っていたのだろう」
「焦る?」
護衛というあくまで受身の任務に似つかわしくない言葉に、レイは眉をしかめる
レイには襲撃を仕掛けてくるであろうラスールの部隊の殲滅という目的、そして3ヶ月という契約期間というものがあるとはいえ、ホロパイネンを初めとする商会の人間達はその先の長い時間もフィオナを守っていかなければならない。
だというのにダミアンはホロパイネンが焦っていたと、そう言った。
問い返すも合点がいかない様子のレイに、ダミアンはオールバックにした茶髪を撫で付けながら口を開いた。
「今まで男の影もなかった、自分と結婚するかもしれないあいつが、小僧という男に自ら歩み寄った事に焦っていた。くだらないことだが、おそらくそういう事だろう」
ホロパイネンは出身こそ一般家庭であるものの、ダミアンがフリーデン商会の次期取締役にと検討するほどに優秀な人間だった。
フリーデン商会というホロパイネンの知る普通の世界と隔絶した場所に居ながら結果を残し、幾千もの人間を見てきたダミアンに期待させるほどの才覚。
なるほど、と理解すると同時にレイの脳裏に新しい疑問が生まれる。
婚約者という立場をもつ男はアメリカから留学しに来たというのに頑なに英語以外を話そうとしない留学生よりも、違和感なく目的を達成できるはずなのだ。
「でしたらこのような回りくどい真似をせずに、婚約者兼護衛としてご息女様の脇を任せたらよろしいのでは?」
「それをするには判断材料が少な過ぎる。俺はあいつの才能は知っている、俺はあいつが出世の為に身を粉に出来る事を知っている。しかし、あいつが俺の娘とどう向き合っていけるかは知らない」
――意味分からねえところで父親面しやがって
当然のようにそう語るダミアンに、そのせいで自分は苦労しているのだ、とレイは胸中で毒づく。
エイリアスがこの事態を理解していたのかレイには分からないが、紛れもなくこれは面倒ごとだった。
「ですが私のような外部の人間をあてにするよりは、ずっと気が楽になると思いますがね」
これ以上俺に迷惑を掛けさせるな、という意思を内包したレイの言葉にダミアンはしたり顔を浮かべる。
「確かに俺は小僧の事を何も知らない。データベースで小僧を調べたが、所属はおろか住民票の1つも発見出来なかった。小僧1人にあれだけの金を使わされたのは初めてだ」
ダミアンはそう言いながら、自嘲するような笑みを浮かべる。
ある程度の資金を費やしてもレイの情報は何1つとして発見出来なかった。
まるで最初から存在しなかったような情報工作に、レイのバックの存在にダミアンが警戒心を抱かせ荒れたのは事実だった。
「はっきり言えば、小僧をここに置くには理由がある。使っていない客間、1人分の食事、こちらで用意した偽造学生証、たったそれだけでD.R.E.S.S.を行使できる"1流の戦力"が使えるのだ。安い物だ」
改めて沸いた猜疑心を誤魔化すようにそう言いながらダミアンは、スーツの内ポケットから付近のハイスクールの学生証と真新しい携帯電話を取り出してテーブルへと置く。
顔写真の貼られていない学生証には、確かにレイ・ブルームスという名前が印刷されていた。
「確かに俺は、小僧という人間を信用出来ている訳ではないがあいつは違う。小僧は気付いていないと思うが、あいつは一種の天才だぞ?」
「天才、ですか?」
天才という、フィオナ・フリーデンという半日を共に過ごした少女に向けられたその言葉に、レイは理解出来ぬとばかりに眉間に皺を寄せてしまう。
レイにとってフィオナは戦場とはかけ離れた世界で生きている、甘ったるいパフェやパンケーキに目を輝かせるような普通の少女に過ぎない。
「ああ、何でもない言葉を2、3交わすだけで相手が信用に足る人間か理解出来る。俺がこうして小僧相手に悩んでいる事を、フィオナは当然のように判断出来る。信じられないか?」
「ええ、にわかには……」
そう言葉も返すも、レイの中には確信にしたそのダミアンの言葉への信頼が芽生えていた。
フィオナがもし相手が自分に害意を持っているかどうかを直感で理解できるのであれば、護衛として派遣されたレイに警戒心を抱かずに懐いた事に説明はつく。
しかしレイがカフェでホロパイネンに警告の意思を視線で向けた時、フィオナはレイに「何かあったのか」と問い掛け、そしてレイは一部は本心であったものの「こうして穏やかに過ごすのも悪くない」と嘘をついた。
――面倒くせえ、やめだやめ
フィオナの信頼観という自身には計りきれない要素が加わった思考をレイは振り払う。
嘘をついている相手が信用するに足るか、フィオナ自身が相手が嘘をついているかどうかを理解出来るのかなど、フィオナにしか分からない以上、その思考は無駄でしかないのだ。
「あいつが信用している以上、俺が出来る事は有事の際に敵対者を殲滅させることだけだ。たとえそれが小僧、お前であってもな」
そう目を細めながら告げられたダミアンの言葉に、レイは肩を竦める。
商会の人間に銃口を向ける時が訪れ無い事を祈っているのは、レイも同じなのだ。
そんなレイを尻目にダミアンは口角を歪め、意地の悪い笑みを浮かべた。
「それで小僧、お前はどうなのだ?」
「どう、と仰いますと?」
「鈍いな、お前はあいつが欲しくないのかと聞いているのだ。贔屓目もあるが、あいつはそれなりに優れたルックスをしていると思うぞ」
以前戦車ディーラーの護衛に就いた時に言われた言葉と同じ意味を持つその言葉に、レイは右手で顔を覆いながらため息をつく。
D.R.E.S.S.を扱える戦力というのは居るだけで抑止力となる為、レイという有名ではない傭兵でさえそういう誘いをされてしまうのだ。
「私には次の任務が待っていますので、ここに縛られる気はありません」
「本当に口の達者な小僧だ。夕食まではまだ時間がある、ゆっくりしていろ。それと部屋を出る際には、上を羽織るなりしてバングルを隠すように」
レザーのフィールドジャケットを脱いだ為に、インナーとアクセサリーだけとなってしまったレイの上半身を一瞥しながらダミアンはそう言うも、レイは不満げに改めて眉間に皺を寄せる。
「了解しました、が。あなた方が部屋に来たせいでこの涼しい中、こんな格好しているんですよ?」
「分かった分かった。ホロパイネンには今後小僧との接触を禁ずる、それでいいか?」
「厳守させてください。ご息女様以外を守る気は、一切ありませんので」
そうレイが吐き捨てた言葉に、レイの地の部分を垣間見たダミアンは笑いを堪えながら退室する。




