Dearest [Death] Dealer 3
ある晴れた昼下がり、レイは護衛対象である少女――フィオナ・フリーデンに手を引かれながらアテネの街を歩いていた。
「ブルームスさん! あそこのカフェ行ってみたかったんです!」
「では、そこで少し休憩しましょうか」
街を案内される筈が気付けばフィオナの行きたいスポット巡りになってしまっている現状に、レイはため息を堪えながらフィオナに続いてカフェに入る。
休日の15時を過ぎたばかりのカフェは混雑し様子もなく、レイは案内された席の椅子を引いてフィオナを座らせてから自分も席に着く。
国連の人間という設定のせいで、温和で礼儀正しい人間の振る舞いをせざるを得なくなってしまった事態にレイは頭を抱えたくなっていた。
その年上の余裕を感じさせる振る舞いのせいで、レイはフィオナに持ち掛けられた街の案内の誘いを受けざるを得なかったのだから。
――仕事だ、仕事なんだからしょうがねえ
レイはそう胸中で呟いて苛立ちを紛らわす。
護衛の為に必要なスキルとしてこういった振る舞いをジョナサンに仕込まれて習得はしたが、”出来る”だけであって”したい”訳ではない。そんなレイにとってこの状況はただの苦痛でしかない。
木目を基調にした店内のインテリアと同じく、落ち着いた印象を与えるデザインのメニューをレイは上から順に眺めていく。
プシリ、シシィオ、エクサルヒア。
いろいろな地区を歩き回りはしたものの、空腹感を感じていないレイはブレンドコーヒーだけを頼むことにしてメニューを畳んだ。
「ブルームスさんはもう注文決まったんですか?」
「ええ、初めて来たカフェではブレンドを頼むことにしていますので」
「うわ、大人だ。ブルームスさんって本当に17歳なんですか? なんか1つ上の人ってより、お父さんと話してる感じがします」
「失礼な、私はこれでもれっきとした17歳なんですよ?」
――こっちは30代後半のおっさんに仕込まれてんだ、仕方ねえだろ
胸中で毒づきながらも、レイは温和な表情を崩さずにフィオナをそう嗜める。
フィオナ・フリーデン。最大規模の武器流通組織フリーデン商会の代表取締役であるダミアン・フリーデンとその秘書であったレア・フリーデンとの間に生まれた、地元のハイスクールに通う16歳の少女。
そして世界の武器流通を掌握し、条約に触れるような武装の流通を阻止することで自らを不可侵の存在とさせたフリーデン商会は、主戦力である違法改修ナーヴスのカスタムよりも強い兵器を欲しているテロリスト達には邪魔な存在だった。
――それで狙われてるってのに、本当に甘い連中だ
外の通りで駐車しているワゴンで待機している、一般人を装った商会の人間達。
オープンテラスでフィオナの様子を窺いながら、カップルを装う商会の人間達。
そして目の前で楽しそうな笑みを浮かべているフィオナに、レイは胸中で毒づいた。
商会の護衛達の目はいつ現れるか分からないテロリストではなく、フィオナと談笑しているレイに向けられいたのだ。
その上レイがD.R.E.S.S.を所持していると理解しているというのに、たいした装備を用意しているようには見えなかった。
確かにD.R.E.S.S.が最新にして最強の兵器だが、数で押せば確実な撃破出来るのは誰もが知っている事実である。
それを理解しているレイだからこそ、フィオナの願望ばかりに目が向いている護衛達に呆れてしまっていた。
「フフ、ごめんなさい」
「分かってもらえればいいですよ。それで、何か迷っているようですが?」
「実はパフェとパンケーキで迷っちゃいまして。どっちも雑誌で美味しいって書いてあったんですよ」
少々意地の悪い笑みを浮かべた顔をメニューで隠しながら、フィオナは楽しそうにそう言う。
その態度に腹を立てる事はないものの、フィオナの態度に一々反応するオープンテラスの護衛達にレイは失望を募らせていく。
――よく今までバレずにやれたもんだ。それともバレて護衛嫌いになったのか?
脳裏によぎる、より信憑性のある可能性に、レイは常在戦場が基本である傭兵とその護衛たちとの間にあるギャップを痛感させられる。
フリーデン商会の内部の人間達は危機感が薄く、外部の戦力に対して楽観的なスタンスを取っていた。
戦場という分かりやすい恐怖を体験していない以上それは仕方ない事だが、ダミアンはそうは考えていなかった。
そして内部の人間を戦力という意味でも信用し切る事が出来ないと判断したダミアンは、外部の戦力であるレイを疑いながら信用するしかなかったのだ。
「なら両方頼んではいかがでしょう?」
「でもこれ結構量が多そうで、お値段もちょっと」
「私はブレンド以外頼まないので、残ったらいただきますよ。それにここくらいご馳走しますので、ご心配なく」
「え、悪いですよ」
「構いませんよ、街を案内していただいたお礼です。せっかくの休日に付き合わせてしまったのですから、これくらいはさせて下さい」
だからさっさと決めてくれ、と言外に付け足してレイは取り繕った笑みを浮かべる。
街の案内はフィオナの行動範囲を知ることが出来たため有意義ではあったが、ウェイトレスと護衛達の視線を受け続けているのはあまり気分の良いものであるはずがない。
そのためレイは小銭を払うことで楽になる事を選んだ。
20万ドルが既に講座に振り込まれているのを既に確認しているレイには、カフェの料金程度大したことはない。
「……ありがとうございます。じゃあ、注文しちゃいますね! すいません――」
一瞬だけフィオナの表情に憂いが滲んだことにレイは気付くも、決して用意に踏み込む事はせず胸元の十字架を指先でいじりながら、ふと窓の外のオープンテラスを見やる。
おそらく目が合う事はないと思っていたであろう商会の男のダークブラウンの瞳に、レイは咎めるような視線を送る。
エイリアスはレイがギリシャを去った後の事も考えて、レイに期間内の対象の護衛というだけの任務ではなく敵対組織の尖兵の殲滅を命じた。
確かにレイが残すであろう戦績はラスールを初めとしたテロリスト達に対しての抑止力とはなるが、記録だけではフィオナを飛来する弾丸から守る事など出来はしない。
「外に何かあるんですか?」
「いいえ。こうやってのんびりしているのも、なかなか悪くないものだと思いまして」
注文を終えてそう問い掛けてフィオナに、レイは柔和な笑みを作って返す。
「アメリカに居た頃はお休みの日は何してたんですか?」
「買い物に行ったり、家の事とかをするので潰れてしまっていましたね。普段は"勉強"していましたので、やる事が貯まってしまいまして」
任務が無い日には訓練やネイムレスの整備、そしてジョナサンやアネットという鬱陶しい存在からのアプローチを避けることに費やしていた。
念願だった大きいサイズのフィリグリークロスを購入しているレイの隣で、いつの間にか現れたアネットがレイとのペアリングのデザインを選んでいた時は流石のレイも恐怖を感じた。
そう言った気の抜けない日々を過ごしていたレイには、馴れ馴れしい護衛対象、見当違いな考えで動いているその護衛達。
それらを除いてしまえばなんでもないこの時間が新鮮に感じられたのだ。
――本当に、悪くねえかもな
しかしレイが胸中でそう呟いた言葉は、フィオナと自分の目の前に置かれた巨大なパフェとパンケーキによって2杯目のブレンドを注文した際に覆される事となった。




