Drunk It [Poison] Blood 16
「いいですよ。出来る事ならね」
「簡単なことしか言わないわ。まず1つ、お茶をご馳走してちょうだい。2つ、味の感想を必ず教えること。最後に――いえ、何でもないわ。その2つを叶えてくれるのなら構わないわよ」
――名前を呼ばせて欲しい、なんてわたしに言う資格は無いわね
もう半分ほどしか残っていない売店で100円で買えるペットボトルのお茶を手に取りながら晶はそう言うも、軽く首を振って続けようとした言葉を切り捨てる。
上司と部下、調査者と容疑者。
その間にどんな感情が芽生えようと、それを結果に結び付けていい理由などなく、どういう理由があろうと此花を疑っている自身にそんな権利など無い。
そんな考えごと飲み干すように、晶はお茶を口に含む。
お茶は随分とぬるくなってしまったが、それでも冷たい海からの風に晒されている晶の体を温めてくれる。
「……分かりました。安いもんですよ、それくらい」
「それでいいのよ。素直なほうが可愛らしくていいわ」
「……部長が私に何かさせる際には、子ども扱いしないで欲しいって条件をつけさせてもらいますからね」
楽しそうに口角を上げる晶とは裏腹に、此花は苦々しげな表情を浮かべて呻いた。
自身はここまで子ども扱いを嫌っていただろうか。そんな事を考えながら、晶は調査を再開する事にした。
「楽しみにしてるわ。それで、終業後はラーメン食べて帰ってるの?」
「今日は随分質問が多いですね。何か気になることでも?」
「可愛い部下の品行と食生活が気になってるのよ。此花君も何か気になることがあるのなら聞いてみればいいじゃない」
晶は探りを入れられたかと身構えそうになるも、変わらない此花の様子に胸中で安堵する。
場数を踏んできたとはいえ晶はただの一般人であり、荒事の経験などないのだから。
「じゃあ1つだけ聞かせて下さい――アイイロって知ってますか? 日本にある色だって聞いたんですけど、よく分からなくて」
「確か、黒に近い暗い緑がかった青の事だったと思うわよ。美術とかそういうのに興味があるのかしら?」
藍色、海外で言うところのインディゴに限りなく近い色。
それに何かのメッセージが隠されているのか、その色自体が何かの意味を持つのか。
そう考え込みそうになる晶の思考を止めたのは、それを考えさせた此花自身の言葉だった。
「いいえ、母がアイイロという綺麗な色があるって昔言ってたのを思い出しまして」
何でもないように言ってしまう此花に、晶は憐れみを向けてしまいそうになる。
晶の母であった日向子は父である昌明と晶を捨てて、新しい男との人生に生きた。
恨もうと思えば恨める、会おうと思えば会いに行く事が出来る。
しかしただ理不尽に命を奪われ、掛け替えの無い家族を奪われた此花は悲しむ事しか出来ないだろう。
――代わりには、なれないわね
叱ってあげよう、褒めてあげよう、慰めてあげよう。
そう思い、実行するのは容易いが、此花を視線で追い駆けている晶が母になれるはずがない。
せめて早く解放してあげたい、そんな想いから晶は勝負に出る事にした。
「……話を変えて申し訳ないけど、時間を聞いていいかしら? 携帯電話を置いてきちゃったみたいなのよ」
この頃にはD.R.E.S.S.の世俗的な認知度は高く、人々は断片的であってもD.R.E.S.S.について知り始めていた。
D.R.E.S.S.はそれ1つで大量破壊兵器以外の兵器に対抗出来るということ。
そしてそのD.R.E.S.S.は展開していない時は、バングルの形態になっているということ。
晶の知る限りアクセサリーを着けて来てはいけないという注意以降、此花は右腕には何も着けてはおらず、そして左腕には先日確かに重量感のある金属質を感じていた。
そこから晶はもしその金属質がバングルであるのなら、此花はグリーンアイドモンスターである可能性が高いと考えていた。
しかし此花はそんな晶の思惑を余所に、ジャケットとシャツの袖ごとコートの袖を軽く引いてその金属質を露わにした。
「12時38分、午後の仕事まではまだもう少しありますね」
「……随分立派なのしてるのね、どこかのブランドの物なの?」
そう時刻を告げた此花の腕にあるそれは、金属製の銀色のボディとベルト、黒い文字盤、銀色の無数の針。
それを晶は身を乗り出して注意深く観察するも、それは少々大きく分厚いが腕時計にしか見えなかった。
「遠い知り合いのメキシコ人につかまされた偽物です。よく見るとブランド名おかしいでしょう?」
そう言いながら苦笑する此花に言葉に、晶は文字盤に書かれた文字を読み取る。
確かに此花の言う通り文字盤にはSEIKOではなくZEIKOと書かれており、いくつかの針は動かない飾りとなっていた。
「こういうのって本当にあるのね、初めて見たわ」
「これをつかまされた私が言うのも情けない話ですが、よく出来てますよ。時計として使えてるんで文句はありませんが」
――バングルはなし、容疑の1つは晴れたと考えていいのかしら
乗り出していた身を戻した晶はささやかな安堵を覚える。
殺人と誘拐の容疑は晴れていないものの、グリーンアイドモンスターが携行性が高く何よりもその身を守ってくれるD.R.E.S.S.を手放すとは思えず、此花はグリーンアイドモンスターではないと分かったのだから。
しかしそう考えた晶の脳裏に1つの疑問がよぎる。
――でもなんで放置する事が出来るというの
レイ・ブルームスの調査終了を一方的に告げ、怜・此花を殺人の容疑者として断定した昌明・鴻上の発言。
その怜・此花をグリーンアイドモンスターと呼んだレイ・ブルームスの確信。
そして確実に通じている昌明・鴻上とレイ・ブルームスが、D.R.E.S.S.を所持している可能性があった怜・此花を泳がせている事実。
殺人の容疑者、それも最新にして最強の兵器を所有している可能性があった人間を結果的に匿っている事実。
奇妙で特異なこの現状に晶は疑問を感じずにはいられなかった。
――父さんは何かを知っていて、わたしに此花君の何かを探らせているということなのかしら
そう考えると同時に、晶はこうも考えてしまった。
たとえそうだとしても、1人娘を殺人鬼へと差し出す理由とはどんなものなのだろうか。
第1総務部に人員が配備されるという交渉をされても、執拗なセクハラを陰で噂されている人事部に麗子・花里を送りたいとは晶には思えない。
――わたしが守らなくちゃ
もはや考えどころか、親子としての絆すら分からなくなってきた父から、謂れのない罪を着せられようとしている可愛い部下を。
自身の1番の望みを此花の保身にこじつけて、晶はそう決意するようにヘタを引き千切り、器用に箸で口へと運んだプチトマトを噛み砕いた。
酸味と甘さを口へと広げるそれを嚥下した晶は、此花を通じてブルームスの動きを探る事にした。
「また話は変わるけど仕事の方はどうかしら? ブルームス君と揉めたりしてない?」
「それなりにやってますよ。先日も買ったばかりのブランド物、確かクロムハーツのベルトを自慢されたところです」
その苦笑混じりの此花の言葉に、晶はブルームスのスラックスに通された蔦と星を掘り込まれた楕円形のバックルのベルトを思い出した。
そのベルトは確実にドレスコードには適っていないが、メダイの鎖を千切られた事実と先日階段から盗み聞いた此花との会話のせいで晶はブルームスに忌避感を持ってしまっていた。
部下の誰かを贔屓するつもりも弾き出すつもりもないが、こればかりは晶にはもうどうにも出来ないのだ。
「詳しいのね」
「アメリカのブランドですから見る機会が多かったってだけですよ。もっとも、偽物かどうかは分かりかねますがね」
自身に対しても皮肉を言わずには居られない此花と、そんな此花と過ごす時間を心地良く感じている自身に、晶は呆れとも安堵もつかない笑みを浮かべてしまう。
どう足掻こうと此花を裏切っている事実は変わらない、そう理解してしまえば何もかもがおかしく思えてしまうのだ。
「安心したわ。わたしのせいで此花君がブルームス君と揉めるなんて嫌だもの」
「そんな事しませんよ。お互い大人なんですから」
その言葉に晶は自身が裏切りを隠しているように、此花が皮肉で何かを隠しているような、不思議な違和感を感じた。
しかし追求は有効な手段ではなく、違和感のその向こうを求める自身の感情を振り払うように晶は自然な風を装って問い掛ける。
「じゃあそんな大人の此花君に聞くけど、明日は何が食べたい?」
「……ハンバーグがいいです」
――やっぱり子供じゃないの
言い辛そうに返されたその返答にそう思ってしまうも、晶は何も返さずに曖昧に微笑んだ。




