Dearest [Death] Dealer 2
フリーデン商会の本部を兼ねているフリーデン邸は、巨大な長方形というまさしく豪邸というに相応しい外見を誇っていた。
その内部も相応しいベルベット調のカーペットが敷かれた床、白を基調にした家具達、華美過ぎないほどではあるものの美しい調度品達を美しく飾り付けている。
そしてそれだけに留まらず、離れに作られた倉庫には商品の銃火器が溢れ、ハンガーには複数のD.R.E.S.S.が展開された状態で格納されていた。
ただの防衛には過剰ともいえる装備を有した組織、それがフリーデン商会なのだ。
高地に立てられたが故に歴史を感じさせるアテネの町並みを窓から見下ろしながら、レイは自分に与えられた豪奢な部屋に感激とは違う嘆息をしてしまう。
――盗聴器にカメラ、随分な歓迎振りじゃねえか
目で追わないようにD.R.E.S.S.のセンサーでそれらの位置を探りながら、レイはボストンバッグから荷物を出していく。
乱雑に扱われて皺がついてしまった衣服。
幸いにも欠けた物はないアクセサリーのコレクション。
そしてアクセサリーを収納した箱の2重底に隠したワルサーPPK。
銃を抜かれていなかった事に、レイは安堵からため息をつく。
――面倒なこと押し付けやがって
自身が得意ではない護衛の任務を告げたエイリアスに、レイは胸中でそう毒づいた。
レイがアメリカを経つ数時間前。
その未だ気味悪さを拭えないくぐもったマシンボイスは、アパートに向かうレイに変わらぬ調子で語りだした。
『ギリシャの武器商人ダミアン・フリーデンの娘、フィオナ・フリーデンがテロリスト組織ラスールに狙われている。君には国連からの護衛としてフィオナ・フリーデンについてもらい、ラスールから派遣されるD.R.E.S.S.を所持しているだろう戦力を殲滅して欲しい』
「ご自慢の偽造IDで忍び込んで、ご令嬢様を護衛をしろと?」
『その通り、物分りが良くて助かるよ』
レイの茶化すような口調にも愉悦を滲ませるエイリアスに、レイはその気味悪さから眉間に皺を寄せてしまう。
怒号が飛び交う環境で生きてきたレイには、エイリアスのような人間は理解が出来ない。
『言うまでもないが、ご令嬢は護衛対象であり囮でもある。あくまでメインはラスールから送り込まれる戦力の殲滅だ』
「対象の護衛よりも、敵勢力の殲滅を優先するってのか?」
最初に告げられたものと少しずつ内容が変わりつつある任務に、レイは思わず訝しげに問い掛けてしまう。
武装テロ組織ラスールは近年その数を増やしているテロリスト組織の中の1つであり、そしてその中においても最大規模を誇る組織である。
目的は宗教による世界統一。その手段は同じ宗派の人間達でさえ唾棄するほどに下劣な物で、被害に遭うのはいつも弱い人々だった。
ラスールは生まれた当初は救助や介護を目的とし出力を大幅にダウングレードしたD.R.E.S.S.、ナーヴスを違法改造した物が主戦力であるような弱小の組織だった。
しかし最近では戦闘に主眼を置いたルードや情報戦に主眼を置いたクラックまでも少数ながら配備されつつあり、意識から外すにはとても危険な存在となっていた。
――ルードとクラック、あと違法改修ナーヴスが数機ってところか
レイは今まで殲滅してきた、ラスールの小隊の内容を胸中で呟きながら確認する。
フリーデン商会のような大きな組織が自分達のお膝元であるアテネに、戦場の空気を持ち込む人間を放っておくとは思えない。そのためラスールはそういう意味であっても、優秀な少数精鋭で事を仕掛けてくるだろうとレイは予測したのだ。
財政が傾いているEU圏で、他社とは隔絶した利益を得ているフリーデン商会。
武装を求めている武装テロ組織にとってそれは、あまりにも魅惑的な存在だった。
たとえ商会の仕事に一切関係していない1人娘を狙う事になったとしても。
『フリーデン商会はD.R.E.S.S.を多数所有する組織だ。その組織からご令嬢を拉致するために、ラスールはD.R.E.S.S.戦力を送り込む筈。そしてD.R.E.S.S.を扱うだけの腕利きが殲滅されたとあれば、ラスールを初めとした組織はフリーデン商会に手を出すのを躊躇うだろう』
「俺がする事が、抑止力になるとでも? 随分お優しいじゃねえか」
『まあね、そして何より私の目的の1つも達成される。やってくれるな、レイ?』
簡単だろう、と言わんばかりのエイリアスの言葉に、レイは随分と買われたもんだと鼻で笑う。
レイはこの任務を最初としてこれからいくつかの任務を、エイリアスの目標達成の為にこなしていく事になっている。それでもその内容を問い質そうとも思わないレイは、どんな過酷な任務であっても向き合っていくほか道はないのだ。
「やってやるよ、仕事だからな」
『ありがとう。以降レイの任務完遂を私が確認するまで連絡は無しだ、健闘を祈る』
最後まで会話の主導権を握られたままレイはエイリアスとの会話を終え、そしてギリシャへと発った。
――しかし、よく表面状だけでも信用できたもんだ
スーツすら入っていないボストンバッグの中身を、クローゼットへと並べながらレイは胸中でそう呟く。
それはエイリアスの偽造IDの精密さと、それを作り出す事の難しさを認めることでもありレイは思わず肩を竦める。
空になったボストンバッグをクローゼットの棚に押し込み、レイはクローゼットの扉を閉める。
――おそらく、今日明日中に対象と顔を合わせる事になるのか
今頃ダミアンは国連などの情報を集めているであろうとレイはそう予測しながら、カメラに見えないようにワルサーPPKをフィールドジャケットの内ポケットへと隠し、1目で上等な物と分かる木製の椅子に腰掛ける。
あれだけ精密な偽造IDを作れるようなエイリアスがそんな所でボロを出すとは思わないが、それでもレイは最低限の警戒はすべきだと判断した。
ダミアンはあの時「銃以外で必要な物はあるか」とレイに問い掛けていた。
それはレイがD.R.E.S.S.以外の武装の装備を認めないということであり、自身の信用のなさとD.R.E.S.S.を使用出来るフリーデン商会の人員の層の薄さをレイに理解させた。
そしてレイは情報でしか知らないダミアンの娘、フィオナ・フリーデンを武器からなるべく遠ざけたいというダミアンの意思表示でもあるように感じた。
D.R.E.S.S.を展開するような状況になるまではレイに手出しをさせず、最悪の状況まで護衛嫌いな娘にレイが護衛である事を伏せておきたいのだろう。
しかし最悪の事態が訪れる事は既に確定しており、レイはダミアンの意思を極力尊重するが、必要とあれば暴力を扱う事に躊躇うつもりはなかった。
――小娘の感情と命じゃ釣り合わねえだろ
たとえ親子が仲違いしてしまったとしても、生きていればいくらでもやり直しはきく。しかし死んでしまえば、そのままおしまいとなるだけ。
それを知っているレイだからこそ、護衛対象の命以外を守ってやろうとは思えなかったのだ。
――ああ、鬱陶しい
レイは思わずしてしまいそうになった舌打ちを堪える。
結局のところ道具の価値は扱う人間で次第であり、ダミアンの考えをレイはくだらないと思ってしまう。だがここがフリーデン商会であり、フリーデン邸である以上従うしかないのだ。
苛立ちを誤魔化すようにレイが左手首のバングルを撫でていると、白く塗装された扉がノックされた。
――銃を出した事に文句でも言いに来たか?
レイはそう胸中で呟くも、ダミアンがカメラを仕掛けていると露見するような事をするとは思えず、訝しげに眉をしかめてしまう。
見えないようにしていたとはいえ、見つかっていてもおかしくはないのだから。
そんな事を考えている間にもノックはその数を重ねていき、これ以上待たせる訳にはいかないとレイは気持ちを切り替えながら扉へ歩み寄り、来訪者と対面すべく扉を開けた。
扉が開かれたそこに居たのはウェービーな肩まで届くか届かないかの長さの栗色の髪を緑色のリボンで飾り、緑色の瞳に歳相応の好奇心を滲ませ、ブラウンのジャケット、レース地で装飾された白いインナー、細かい刺繍の装飾が施されたオフホワイトのロングスカートを纏う小柄な少女が居た。
「アメリカからの留学生の、レイ・ブルームスさんですよね?」
「ええ、そうですが……失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
戸惑いながらも態度を取り繕うレイの問い掛けに、流暢な英語で問い掛けてきた少女は何かに気付いたように、そしてどこか申し訳なさそうな表情を浮かべる。
――いくらなんでも、早過ぎんだろ
表面状は取り繕えているものの、レイの胸中は予想外の来訪者に焦燥していく。
しかし少女はそんなレイの胸中など知らぬとばかりに、申し訳なさそうにしていた顔を微笑みに変えて流暢な英語で名乗った。
「自己紹介が遅れてしまってごめんなさい――初めまして、フィオナ・フリーデンです!」
元気良く告げられた護衛対象の名前に、レイは取り繕った微笑みで浮かんでしまいそうになった苦笑を隠した。