Drunk It [Poison] Blood 14
――あまりにもおかしすぎるわ
社長室の重厚な扉を閉めた晶はそう胸中で呟きながら、ダークブラウンのカーペットを引かれた廊下を歩みだす。
常識的に考えれば踏み込んではいけないと分かる領域に、平気で踏み込んでいる事実。
手口も何の手がかりも掴んでいないというのに、同一犯の犯行であると断定し、容疑者をレイ・ブルームスと怜・此花だけに絞っていた発言。
両名と同じく産業スパイの疑いを掛けられていた花里が、気付けば容疑者から外されている事実。
そしてブルームスの調査をやめろという命令と、新しく出された此花の無実を証明しろという命令。
――もしかして此花君はスケープゴートということなのかしら
思い浮かんでしまった可能性に、晶は思わずシャツごとメダイを握り締める。
触れられたくないブルームスという存在から目を逸らさせるために、此花に全ての罪を着せようとしている。
晶はそう考えるも、ならなぜ昌明が自身に此花の無実を証明するように命令を出したのか理解出来ない。
もし此花が殺人と誘拐の犯人であるのなら、晶は可愛い部下でも容赦することなく公安へ突き出すだろう。父である昌明が娘のそんな性質を理解していないとは思えないため、証拠の抹消のための命令ではないと断定出来る。
――でも、なんで劉さんとボヌール部長なのかしら
紅蝶・劉は鴻上製薬と共に成り上がった劉家の娘であり、身代金目当てで誘拐されたというのであれば理解出来るが殺される理由が晶には分からない。
そしてフィルマン・ボヌールに関しては狙われる理由すら分からない。
――共通している事は鴻上製薬の社員である事、そして業務に対して真摯であるとはいえなかったことくらいね
元々サボりがちだった劉、そして不正請求幇助の疑いがあったボヌール。
そんな社内での2人に思うところがあった社員の犯行。昌明はそう考えるというのは理解出来るが、劉はともかくボヌールの不正請求幇助に関しては誰も知らないはずなのだ。
――なのになんで父さんは劉さんとボヌール部長を同じように扱っていたのかしら
犯罪の被害者ではなく、社に不利益を与えている存在。
晶には昌明が2人をそう扱っているように思えたのだ。
――そしてなぜ父さんが、ボヌール部長の"その事"を知っているのかしら
それは出納記録に目を通して2000万円の不明金を発見した晶以外、誰も知らないはずの事実。
此花がブルームスから目を逸らさせるためのスケープゴートなのだとしたら、真犯人は誰なのか。
どうして昌明はボヌールの罪を知っているのか。
有形無形のあらゆるものに守られているレイ・ブルームスとは何者なのか。
訳の分からないそれに思考を犯されながらも、無意識に第1総務部室へと足を動かしていた晶が階段で3階まで辿り着こうとしたその時、晶は3階の廊下で言い合う男の声を聞いた。
「――てよ、クソチビ」
「――ました先輩? 礼儀をどこかに忘れて来てしまったんですか?」
地を這うようなバリトンボイスとシニカルな響きを持つ男の声、それは紛れも無くブルームスと此花のものだった。
階段のフロアから垣間見たブルームスの剣幕はとても高圧的であったが、一昨日とは少し違う両者の様子に晶は少し様子を窺う事にした。
「うるせえな。それより、人が落とせなかった女を軽く落とした気分はどんなだ?」
「何を仰っているのか、私には分かりかねます」
ブルームスは相手を舐めきったような態度で見下し、此花はそれに対して呆れたように肩を竦める。
ここ最近良く見るようになったその光景と似て非なる現状。
それを固唾を呑んで見守っていた晶の右手は、質量の無い安心感を求めるように指先をシャツのボタンの隙間に入れてメダイの表面を撫でる。
「とぼけんなよ、殺人鬼。それとも、父親にも嫉妬する嫉妬狂いの化け物とでも呼ぶか?」
バリトンボイスで告げられたその名前に、晶は世界の全てに置いて行かれるような奇妙な感覚に襲われる。
熱は冷めていき、音は遠く聞こえ、触れているはずのメダイの感覚さえ分からない。
そんな社長室で味わった不快感すら生ぬるく感じるそれから逃れるように、メダイを握りしめる晶の脳裏には安っぽいCGで作られたシアングリーンのマシンアイを持つD.R.E.S.S.のヴィジョンがよぎっていた。
グリーンアイドモンスター。ロシアのサラトフにあった天然資源施設を破壊して、未だに逃亡を続けているD.R.E.S.S.を所持しているテロリスト。
ブルームスは確かに此花をそう呼んだのだ。
そしてそれを裏付けるように思い出した、此花の手首を握った際に感じた重量感のある金属質。
理解が追い着かない、理解したいと思えないそれらの事に戸惑う晶を置いていくように、2人は会話を続けていく。
「同じ事を2回も言わせないで下さい。人をテロリスト扱いなんて、本当に酷い人ですね」
「黙れよクソチビ。いずれお前の化けの皮を剥がしてくたばった方がマシだってくらい後悔させてやるよ。あらゆる人間が動き出してる、お前はもうオシマイだ」
昌明にアリバイを聞かされた際に事情を教えられたのだろうと思えるブルームスの言葉に、晶は困惑しつつも此花の無実を証明する時間が余りにも少ない事を理解させられた。
――でももしそれが本当なら
助ける必要はない。違う罪状であっても、テロリストを牢へ入れられるのであればそれが愚かな行為とは晶には思えない。
「まるで自分に別の顔があるような物言いですね、ブルームス先輩」
「黙れっつってんだろうが。精々今はあの女に媚でも売ってろ」
そう言い放つなり乱暴な足音を立てて去っていくブルームス、そんな先輩に深いため息をついて去っていった此花。
2人がそこから去って生まれた安堵から、晶は壁に体を預けてそのままずるずるとその場に腰を下ろしてしまう。
――どうしろってのよ
なまじ近くで見ていたせいでテロリストであるという可能性を感じている此花。
その此花が無実であるのなら、今でも証明したいと思っている自身。
理解出来ないそれらに目をそむけるように床に座り込んでしまった晶は、仕事の再開を告げるチャイムの中でその場から動き出せないまま俯いていた。