Drunk It [Poison] Blood 7
「初めまして、レイ・ブルームスです――趣味は女の子とイチャイチャすることです。未婚既婚関係なくよろしくお願いします」
第1総務部にブルームスが配属されたのはある秋の日だった。
何の前触れも無く、その上ふざけた口上と共に現れた金髪碧眼、鍛え上げられたであろう大きな体躯、そして不気味なほどに整った顔を持ったその男は、国内の企業からの転職者の割りに職場での常識に欠け、見境の無い女性社員のナンパ、職務の放棄、無断欠勤などを繰り返し計り知れない悪影響を社内にばら撒いていった存在だった。
そして昌明へ報告を重ねる度にその奇妙さは深まっていき、そしてブルームスへの産業スパイ疑惑と深めていった。
――汝、姦淫するなかれ
晶はクリスチャンであるどころか神すら信じては居なかったが、それと同時にブルームスへの嫌悪感を深めていた。
巽はブルームスに気に入られたいが為に職務を放棄し、劉はある日から無断欠勤を繰り返すようになり、花里は断り続けても食事に誘い続けてくるブルームスに怯えるようになっていった。
5人でこなすべきの仕事をたった2人でこなせるはずがなく、晶は4人を帰した後1人で日々溜まっていく仕事をこなし続けていた。
そして晶の体力が限界に近付きつつあった頃、第1総務部に新しい社員が入ってくる事となった。
「初めまして、怜・此花です。至らぬところばかりの若輩者ですが、どうぞよろしくお願いします」
そんな簡素で丁寧な自己紹介をした黒髪黒目、中肉中背の眼鏡を掛けた、ブルームスの後に入ってくるにはあまりにも地味な青年。
その此花をブルームスが険しい目で睨みつけていたことに晶は気付いていたが、どうせ女性社員が来るとでも思っていたのだろうと注意もしなかった。晶はそれほどまでに疲れてしまっていたのだ。
しかし社会経験もない、学歴は短大卒という中途半端なもの、そんな此花は1度したミスを繰り返さないという優秀な仕事振りを発揮し、負担は一気に減った晶と花里は体力の限界を迎える前に危機を脱する事が出来た。
だが第1総務部に配属されたという事は此花には産業スパイとしての容疑が掛けられて居るという事であり、その上ブルームスは此花が気に入らないのか此花に突っかかるようになっており、晶は改善された状況に諸手を上げて喜ぶ事は出来なかった。
――もう付き合いきれないわ
不快な思いをさせてしまっている花里と此花には申し訳ないと思っていたが、晶はもうブルームスをどうにか働かせようとは思えなくなってしまっていたのだ。
現に3人で仕事はこなせており、晶の残業はほぼ無くなっているのだから。
――休みの日までこんな事を考えるなんて、職業病ってこういうことなのかしら
日曜の昼間。自身にとても深いため息をついた晶は、1ヵ月後のクリスマスに合わせて飾り立てられた川崎のショッピングモールにあるカフェの窓際の席で温かい紅茶に舌鼓を打ちながら一休みしていた。
その格好は真っ白なニットカットソー、ネイビーのジャケット、ブラックのデニムボトム、そして胸元の銀のメダイという普段とそう変わらないもので、晶がいかにそういった事への興味が無いかを窺わせる。
晶・鴻上は自身に課していたルールを1つ減らし、そして新しいルールを1つ自身に課した。
減らしたルールは"毎朝、始業時間前に父に会いに行く事"というもの。
仕事上の会話しか出来ないかもしれないが、それでも晶は自身よりもずっと忙しいであろう昌明と飯塚が2人きりになれる時間を邪魔したくなかった。
そして新しく課したルールは"朝の空いた時間に自身の弁当を作る"といううものだった。
父と2人で暮らしていた頃は家事洗濯炊事の全てをしていたが、1人暮らしを始めてからというもの朝食は惣菜パン、昼食は社内食堂、夕食は惣菜を買って帰ることが多くなっていた。
しかし弁当を作るようになればその余りを朝食にする事が出来るため、一石二鳥であると晶は考えたのだ。
――もうちょっとデザインを考えるべきだったかしら
テーブルを挟んで対面する椅子に灰色のトレンチコートと共に置いてある、ビニール袋の中の何の飾りも無いただ真っ黒なプラスチック製の弁当箱を思い浮かべながら晶は思わず苦笑する。
何かあった際の予備として2つ買ったそれが質実剛健な自身らしくていいとは思うと同時に、その色気の無さにも晶は自身らしさを感じてしまったのだ。
――こっちは歳相応だと良いのだけど……
そう胸中で呟きながら視線をやったのは、少し奮発して購入したラビットファーがついた黒い手袋は普段飾り気のない物ばかりを選んでしまう晶が、購入後すぐに着けてしまうほど気に入った物だった。
『――はギリシャのフリーデン商会、ロシアのサラトフ天然資源採掘施設を襲撃したテロリストを同一犯と断定、そのテロリストをグリーンアイドモンスターと呼称し、警戒を強めるとともに――』
――緑色の目をした怪物は、人の心をなぶりものにして餌食にする。確かオセローだったかしら
壁に掛けられたディスプレイに映る安っぽいCGで作られたシアングリーンのマシンアイを持つD.R.E.S.S.を眺めながら、晶はニュースキャスターが告げた嫉妬の意味を持つ名前が出てきた作品を思い出す。
その作品は晶が週末の家事を終えた午後、図書館に入り浸っていた時に読んだ作品だ。
あの頃の鴻上製薬はいつ潰れてもおかしくないほどに困窮し、それと同じくして鴻上家の経済事情も芳しくないものと理解していた晶は金を使わずに過ごさざるを得なかった。
――本当に奇跡よね
鴻上製薬製のナノマシンは市場のシェアを握り、その社屋と工場はかつて人で賑わっていた公共施設を消し去った。
研究者としての色が濃く社長としての能力は低い昌明・鴻上、その父が率いた鴻上製薬の躍進に晶は胸中で感嘆するように呟く。
汚職に塗れていたロシアの政界は、変革と失った天然資源を取り戻すための施設の再建を進めていた。
ロシアという大国のその騒動は世界にあらゆる影響を与えているものの、代わり映えしない自身の日常に日本がギリギリの均衡の上に成り立っている平和に麻痺しているようだと晶には思えてしまう。
自衛隊と警察は国防軍へと変わり、警官は兵士へと変わり、拳銃は合金製のバングルへと変わった。
そんな警備会社が民間軍事企業にシェアを削られていく世の中にあっても、日本という国は戦争というものを違う世界のものだと感じているのだ。
――まあ、関係ないわね
いつも通りの口上を胸中で呟き、意味のない思考を晶は切り捨てる。
戦争や経済が鴻上製薬に与える打撃を考えないわけにもいかないが、その戦争が鴻上製薬の経済を潤わせているのだ。
その事実に晶は感謝もしなければ、戦争が続く事も望んだりはしない。ただ鴻上製薬の商品が広く出回るよう仕事をこなしていくのみだ。
そして晶はディスプレイから窓の外に視線を移し見覚えのあるような人物に気付くも、人違いだとすぐに理解してミルクティーの入ったティーカップを口元に運んだ。
晶の知り合いに、あんなに暗い色の碧眼を持った人間など居ないのだから。




