Her Name In [Nameless] Faceless 1
ラスヴェガスにある安宿の1室で、ダンボール箱を前にした小玲は頭を抱えていた。
任務の前後に補給物資を与えられるのはいつものことだ。
.32ACP弾、アナイアレイションの推進剤などの消耗品、いざと言う時の為の新しいナノマシン。
しかし今回与えられた物資はそう言ったものとは大きく違うものだったのだ。
ツバが平らな黒いバッドボーイキャップ、ブルーを基調にしたパーカー、ブラックのデニムのホットパンツ、膨張色の白のせいか実際よりも大きく見えるハイカットスニーカー。
それらは小玲がリュミエール邸で暮らしていた数年前に好んで着ていた服だったのだ。
「……エイリアス、なんで今更こんな格好しなければならないんですか?」
『その格好をする事に意味があるからだよレイ。それによくそういう格好をしていたじゃないか』
「それはさ、ん、ね、ん、ま、え、の話しです。まったく、いつまで子供扱いするつもりですか。私だって今ではオトナな格好が似合う立派なレディでなんですよ?」
くぐもったマシンボイスに内包される自分への関心のなさに、小玲はヒクヒクと動く痙攣する口角を誤魔化すように右手で顔を覆う。
確かにパーカーを主体にしたコーディネイトは今でも可愛くて格好良いと思える。
しかし最近の小玲は師の影響を受けた硬派なライダー系に傾倒していた。ブラックレザーのフィールドジャケットの中に着込んでいる青いチェックのネルシャツを除いてしまえば、アクセサリーを含めてほぼ一緒といっても過言ではないほどに。
だからだろうか、小玲の左手首に鎮座する青白のバングルから呆れとも違うため息が漏れたのは。
『"彼"の真似をしているだけだろうが。それに、レディというには起伏がなさ過ぎやしないかね?』
「むきいいいいいいいいいいいいっ!」
あんまりなイヴァンジェリンの言い草に、小玲は首元で1つに束ねた暗い茶髪の髪をかき乱す。
1人旅を始めた小玲の体は、強くあろうとする意思に応じるように確かに成長をしていた。身長に限って言えば150cmから157cm。7cmも伸び、しなやかでスレンダーに育ったその体には女性らしい起伏が生まれてはいる。
しかし167cmという高身長で、グラマラスな肉体を持ったイヴァンジェリンに敵う訳がなかった。
「そ、れ、で、なんでこんな格好をしなければならないんですか?」
『では任務の説明といこうか。君と話していても有意義な話が出来るとは思えない』
怒気を孕ませた小玲のアクセント付きの言葉をいなし、イヴァンジェリンは相変わらずの芝居がかった態度で咳払いをする。
嫉妬狂いの化け物がそうあるように、偽名の救世主もそうあらなければならないのだ。
『今回の任務はジュニアソルジャー養成機関への潜入、ジュニアソルジャーのリストと教育カリキュラムの奪取、施設および配備兵器等の破壊になる』
「殺しのお勉強をさせている学校を壊して来い、と。正直理解に苦しみますね、ジュニアソルジャーの育成所でも作るつもりなんですか?」
『足手纏いを抱えるつもりはないよ。ただ、どうしてもそこの情報が欲しくてね』
「……説明を求めたところで無駄なんでしょう。潜入方法は?」
『簡単だ。街中でゴロツキを次々と殴り倒して、向けられた敵対者を全員倒してくれればいい。そうすれば向こうからレイを迎えに来るはずだ』
確証があるのだろうが、行き当たりばったりにしか聞こえないイヴァンジェリンの作戦に小玲は肩を竦める。
2機を除いたD.R.E.S.S.が機能停止し、核のスイッチが軽くなり、結果として国家という枠組みは消えてしまった。
司法が機能しなくなりつつあるこの世界で暴力を行使するという事は、自ら暴力を招き寄せるのと同じ事だ。
「私はその誘いに乗ればいい、と?」
『そうだ。目的の組織は見込みのある孤児だけを集めているみたいだからね――そして今回用意した装備にも意味がある。キャップのトップボタンには発信機、ツバを引き抜けば薄いセラミックブレードが出るようになっている。パーカーの袖のリブにはバングル、懐にはワルサーを隠せるポケット。スニーカーは中敷を剥がせばデバイスを入れられるようになっている。それらを有効に利用して任務を成功させてくれたまえ』
「支援は十分ってことですね。施設の破壊に関してオーダーは?」
『アナイアレイションを使って派手に壊せ。いい加減、有象無象共に足を引っ張られるのもウンザリなんだ』
「了解しました。ところで私の私物はどうしたら良いんでしょうか?」
心底うんざりしているとばかりのマシンボイスに相槌を打ちながら、小玲はフィールドジャケットを見せ付けるように腕を広げる。
晶がレイに買い与えたような上等な物ではないが、ブラックレザーのそれは小玲があらゆる服屋を歩き回って出会ったものだった。
ジッパーは真鍮色、素材は黒く染められたゴートレザー、シルエットはタイトなそれは、大柄な人間が多いアメリカで見つけた奇跡の1着なのだ。むざむざ手放す気等、小玲にあるはずがなかった。
『その部屋に置いて行ってくれれば私が雇った運送業者が回収するはずだ。任務終了後にそちらが指定したポイントに持って行かせよう』
「信用出来るので?」
『金さえ払えば確実に物を用意してくれるのがその業者のいいところでね。旧アゼルバイジャンでのメイン・クオーターの回収と同様に何も心配はいらないさ。もっとも、彼らが余計な事をしていたとして、私が彼らを生かしていると思うかい?』
それはもっともだ、と小玲は肩を竦める。
かつて小玲がレイに対してファイティングポーズを取った時、イヴァンジェリンは屋敷中に仕掛けていた重機関銃を展開して無数の銃口を小玲に向けていた。
イヴァンジェリン・リュミエールにとってレイ・ブルームスが唯一無二の存在であり、それ以外に一切の価値はない。
だからこそ裏切られる事すら仮定してレイを雇い、自分の命よりも傷ついた傭兵の命を優先し、小玲を第2の嫉妬狂いの化け物としてレイに育てさせた。
世界を変えてしまった名無しの救世主と偽名の救世主が傷ついた体を癒すには、粗暴な厄介者が必要だったのだ。
『説明は以上、こちらから連絡するまで連絡は無しだ。上手くやりたまえ、"彼"の顔に泥を塗ってくれるなよ』
言うだけ言って一方的に通信を切ったイヴァンジェリンに肩を竦め、小玲は髪を束ねているゴムを取る。
左胸に垂らされていた暗い茶の髪は広がり、小玲はいつか姉がしてくれたように手櫛で髪を梳く。
髪は伸び、体には起伏が生まれ、心は渇きを訴えている。
女としても、兵士としても、成長を感じているからこそ、イヴァンジェリンのの秘密主義が小玲に焦燥を抱かせるのだ。
嫉妬狂いの化け物としての役目を終えたその時、"レイ"との別れが訪れてしまうのではないかと。




