Drunk It [Poison] Blood 6
――本来ならここでやめるべきなのだけど
カーペットが引かれた廊下を歩み出した晶は、ブルームスの調査を観察に移行し、本質的には調査を続行する事を決めた。
部下の勤務態度をチェックするのは上司である自身の仕事であり、それに今までと違う調査終了に晶は納得出来ていない。
今まで疑惑を掛けてきた人数は60を越え、その内の8人が産業スパイでありその全員が社の上層部によってしかるべき処置を受けたと晶は聞いている。
晶はその誰とも違う雰囲気と調査の終了の仕方、そして何もかもを台無しにされてしまうような得体の知れない不信感をブルームスに感じていた。
「晶さん!」
聞き覚えのある声に晶が足を止めて振り返ると、黒のスカートスーツを身に纏い、茶髪を背中まで伸ばした昌明の秘書、加奈子・飯塚がそこに居た。
「あの、ごめんなさい。挨拶に伺わなきゃってずっと思っていたのだけど……」
「いえ、挨拶に伺うべきなのはわたしでした。すいません」
申し訳なさそうにしている飯塚に晶はそう言って詫びを入れる。
戸籍上母となる相手にわざわざ面倒を掛けてしまうのも良いはずがないのだ。
「加奈子さんが父を選んでくれた事をとても嬉しく感じています。どうか、父をよろしくお願いします」
簡素で飾り気のない言葉、それでも愚直なまでに思いの丈を込めた言葉を紡ぎながら晶は飯塚へと頭を下げた。
人間不信なきらいがある上に、駆け引きや交渉事が何よりも苦手な父。
これからどれだけの年月を2人が過ごしていくのかは分からないが、飯塚がそんな父を選んでくれた事が晶には嬉しかった。
「……ありがとうございます。必ず2人で幸せになります」
目じりに溜まった涙をハンカチでふき取りながらそう言う飯塚に、ただ愚直に言葉を紡ぐ事しか出来ない晶はもう一度頭を下げてその場を後にする。
仕事以外での人との関わりが極端に希薄な晶には、これ以上どうしていいか分からなかったのだ。
閑散としたエレベーターホールに目もくれずに、晶は自身のルールに従って階段を下っていく。
――なんだか、置いていかれた気分ね
ブルームスの調査の件、父の結婚。立て続けに自身の周りで起きたそれらの事に思わずそう胸中で呟いてしまうも、鴻上製薬の社員でしかなく、父にとっての家族でしかない晶の意思はそこに反映されるはずがないことくらい晶は理解していた。
そしてブルームスが潔白だというのであれば花里と此花の身の潔白を証明する調査に専念でき、ここまで育ててくれた父が幸せになるのはたった1人の家族である晶にとって無上の幸福である。
そう理解していても感情は理解の出来ない飢餓感を訴え、晶はそれに戸惑わされていた。
――本当に、浅ましい限りね
廊下やオフィスと比べて若干薄暗い階段に響くパンプスが床を打つ硬い音が、晶には浅ましい自身を嘲笑う笑い声に思えてしまった。
そんな被害妄想を振り払うようにため息をついた晶の黒い瞳が人影を捕らえる。
それは立ち位置としては上に居るはずなのに晶が目線が近く感じるほど、大きな体躯を持ったブルームスだった。
「……こんなところで何をしているのかしら?」
「いえ、食後の散歩をしていただけですよ」
「こんな薄暗いところで? 中庭にでも行けばいいじゃない」
「部長が付き合ってくれるなら、喜んで行きますけどね」
階段中腹の折り返しにいる晶を、ブルームスは見上げながら人形のように整った顔で微笑み掛けていた。
ブルームスの言葉を信じるにはその階段が散歩をするには薄暗く、その隣にはいつもならへばりつくように居るはずの巽の姿がないというそれらが事があまりにも疑わしく、晶に強い警戒心を抱かせていた。
「まあ、そんな事はどうでもいいんですよ――それで余計な事をするな、とでも言われたんですか?」
「……あなた達があまりにも真面目に働かないから、わたしがお叱りを受けただけよ」
ブルームスが浮かべる笑顔に薄気味の悪さを感じるも、晶はポーカーフェイスを保ちながらあくまで自然に振舞う。
――どういうことなのかしら
会議室や機密性を求められた施設は携帯電話の通信さえ妨害するジャマーを設置しており、盗聴や盗撮は確実に不可能であるはずなのだ。
しかしブルームスは何かを知っているかのように振る舞い、そしてあまりにも良いタイミングで晶の前に現れてあまりにも的確な牽制をしてきた。
そんな奇妙なそれらに疑いを持たないほど、晶は思考停止した社の傀儡ではなく晶の右手の指先は自然と胸元のメダイの表面を撫でていた。
「そうなんですか。なら今度お詫びに食事でもどうですか? いい店を見つけたんですよ」
「お断りよ。わたしに時間を使う前に、仕事に時間を使いなさい」
どうして自身を尾けていたのか、どうやって会議室での内容を知ったのか。
理解出来ないそれらの出来事と、それをもたらしたブルームスから逃げるように晶は階段を下る。
本人は自然に振舞っているつもりでも、緊張と警戒から硬直する晶の様子に口角をゆがめたブルームスは面白そうな色を滲ませた声色で囁いた。
「なんて言われたかは知りませんが、余計な事をしないでくださいよ? まだ楽しませてもらってないんですから」