Persist Pathetic [Pessimist] 6
「それで気絶した、と。コンディションも悪かったとはいえ、本当に苦手なのね」
「……うるせえな」
どこか茶化すように言う晶に、レイは晶の手製雑炊に舌鼓を打ちながら答える。
卵で閉じられたその雑炊は程よい塩加減を口内に広げ、その温度は押し付けがましくない温度をレイの体に広げていた。
「彼女だって悪気があった訳じゃないんだから、ちゃんとフォローするのよ?」
「分かってる。明日にでもいろいろ言っておくさ」
おそらく落ち込んでしまっているだろうエリザベータの様子を想像しながら、レイは最後の一口を口に入れてレンゲを置く。
ボルシチの豊かなトマトの香りでレイの食欲は完全に失せたかに思われたが、幸運にも食べれるものは食べれる程度の食欲は回復していた。
なおボルシチは小玲によって3度のおかわりを要求されていたのは余談である。
「そう。それで何か言う事は?」
「……ごちそうさま。初めて食べたけど、こういうの好きかもしれねえ」
「ならまた作ってあげるわ。それじゃあ早速だけどシャツを脱ぎなさい」
「はあ?」
「汗かいてるでしょ。着替えも用意したし、体も拭いてあげるから」
「余計なお世話だ」
「雑炊は余計なお世話じゃないのに?」
自身に視線を向ける事なく空になった器を片付け始める晶に、レイは思わず舌打ちをしてしまう。
舌戦での勝ち目は薄く、雑炊を平らげてしまったレイが反論のための言葉など持ち合わせているはずもない。
仕方ないとばかりに乱暴にシャツを脱ぎ始めようとするレイを、晶は慌てて制してゆっくりと脱がせていく。
汗を吸い込んだ灰色のシャツはずっしりと重く、すっかり湿り冷え切ったそのシャツにただただ深いためいきをつく。
「どうして早く言わなかったの、こんなんじゃ治るものも治らないわ」
「後で着替えるつもりだったんだよ」
「強がるんじゃないの、右腕だってまだ治ってないんだから」
返す言葉もない晶の正論にレイは2度目の舌打ちをする。
まるで見透かされているような気持ちになるのだ。
右腕を負傷し、熱から思考力は低下し、傭兵としての価値が暴落している現状に焦燥している自分を。
理解しているからこそなのか、それとも理解せずともそう振舞えるのか。晶は益体もない思考に没したレイを無視して、ケースから取り出したシートで汗まみれの体を拭いていく。
シート越しに感じる筋肉や骨のようなそれらとは違う隆起。
それは生々しくも痛々しい、レイ・ブルームスという命の足跡だった。
「銃創と火傷の痕、大分消えてきたわね」
晶はそう言いながら、指先で完全に消えつつある火傷の痕をなぞる。
その火傷は昨年の夏、レイが撃ち落された際に負ったものだ。
咄嗟というよりは無意識で、更に言うなら完全に運否天賦による幸運でレイはなんとか死を免れる事は出来たが、撃ち落されたネイムレスは修復が不可能なレベルまで破壊されていた。
その後ほぼ全壊したネイムレスごとレイを回収した晶達は、急いで拠点へと引き返して治療を施したがレイの容態は酷いものだった。
胸から肩に掛けて焼け爛れ、装甲の中で打ちつけられた体は打撲を負い、多くの血を失ったせいかレイは1週間目を覚まさなかった。
そんな最中にレイの傍を離れなければならなかった事は、晶にとってとても辛い事で大きな動揺を生んでいた。
それこそ動揺するあまり、レイのワルサーPPKを無許可で屋敷に持ち込んでしまった程に。
「女は傷と勲章を好むって聞いたけどアンタは違うんだな」
「どこの世論よ。たとえそうだとしても、大事な人が傷ついてるのを観るのが好きな人は居ないわよ」
くすぐったそうに身をよじるレイに、晶は不愉快そうに眉を顰める。
エリザベータのように自分だけを見てろとは言えないが、他の女と一緒にされる事を許せるほど晶は無関心ではいられなかった。
そして意図して苛立たせるような皮肉を吐き捨てたレイに、晶は意趣返しとばかりの言葉をぶつける。
「不精してたわけじゃなくて、本当はフィオナさんに傷痕を見せたくなかったんでしょう」
「はあ?」
「シャツを着替えなかった理由よ。恐がられるのが嫌だったのか、それともただ見られるのが嫌だったのか。そこまでは流石に分からないけれど」
「自分が正しいみたいに言ってんじゃねえよ」
「……本当に天邪鬼で、優しい子ね」
「母親気取りかよ、マジでうざってえな」
あくまで本心を打ち明けようとはしないレイに、晶は困ったような笑みを浮かべる。
体中に負った傷痕は冷酷なほどに過酷なレイの過去を窺わせるが、その傷痕に覆われた人間性は女達を守る為に傷を増やしていくのだと理解できたのだ。
エイリアス・クルセイドの傭兵が1人増えたとはいえ、レイは女達を疑う事をやめただけで手放しで信頼している訳ではないのだから。
シニカルな笑みに何もかもを隠す少年は女達のために傷つき続け、女達はそんな少年から離れていく事は出来ないままで居る。
その皮肉な現実は5人を手放す事はせず、5人は歪な関係を続けながらただただ堕ちていく事しか出来ないのだ。
だからこそ晶は歪んだ運命に抗うように囁く。
「レイ君」
「なんだよ、うるせ――」
嘆息交じりに紡がれた自分の名前に、レイは不愉快そうにそっぽを向いていた顔を晶へと向ける。
しかし吐き出そうとした言葉は遮られ、唇には柔らかな温もりが押し付けられる。
やがて離れていく見慣れているはずの顔にレイが何も言えないで居ると、晶は両手でレイの顔を包み込んで目を合わせさせた。
「母親がこんな事すると思う?」
「……知らねえよ」
見て見ぬ振りをしていた晶の女の顔に、レイは胸中に湧いた醜い衝動からも目を逸らすように天井を仰ぎ見る。
白地の天井から吊るされた好み通りのシャンデリアが、今ではただ色褪せたように輝いて見えた。




