Screw Up The [Knowman] 5
+FINAL CASE 見ず知らずの眼鏡を掛けた少女
気付けば、対面のシートに少女が腰を掛けていた。
その理解のしがたい事態にノウマンは新聞を畳んでいた手を止めてしまう。
後ろで1つに束ねられた髪は金と黒のツートンに彩られ、灰色の瞳を飾る小さな顔にはフレアの装飾が施された眼鏡が掛けられ、その小さな体は真夏だというのにレザーのフィールドジャケットを纏っている。
その存在自体が奇妙だが、問題はそこではない。
時刻は既に22時を過ぎており、大人の社交場であるこのバーに子供が居て良い訳がない。
そして何よりノウマンと同じく、一児の親であるバーのマスターが子供を通す訳がないのだ。
「……何時だと思ってるんだ、子供はベッドで寝てる時間のはずだよ」
「ワタシは26歳、と結構過ぎてる。ただ"見た目"が小さいだけ」
どこかで聞いたような言葉にノウマンは、思わず深いため息をついてしまう。
眠そうに半分閉じられた目は"彼"と違って嘘を言っているようには見えず、今まで出会ってきた人間達とは違う雰囲気を感じたのだ。
「それで、小さなレディはここに何をし来たのかな?」
「聞きたい事がある。とても、大切なこと」
「聞いてみればいい、今日は君で店仕舞いとするよ」
どうせまた金にもならないだろう、とノウマンは肩を竦める。
何よりイヴァンジェリンの相手という人生最大の修羅場を越えたノウマンの老体は、早急な休養をただ求めていたのだ。
やがて少女は灰色の瞳でノウマンを真っ直ぐ見詰め、意を決したように口を開いた。
「あの子は、元気?」
「あの子とは、レイ・ブルームスの事かい?」
少女はその問い掛けに頷き、ノウマンは予想外の展開に取り繕った笑みを浮かべる。
レイ・ブルームスに近しい6人目の女の登場。
イヴァンジェリンにレイの情報に関する公開制限を掛けられたとはいえ、ノウマンの情報屋としての顔が貪欲に情報を求めているのだ。
「元気も元気、今日も世界中の注目を集めてるよ。ニュースを観てないのかい?」
「……そう、安心した」
表情に変化こそないが、少女は心から安堵したとばかりに胸を撫で下ろす。
そのただの恋人ではなく、家族に近いようなその態度が、ノウマンの探究心を更に駆り立てた。
「込み入った事を聞いてしまうけど、君と彼の関係は?」
「ワタシはただの過去、いずれは全てに淘汰されて消えるだけの思い出」
泥沼の7角関係に覚悟を決めていたノウマンは、予想外の少女の言葉に訝しげに眉を顰める。
レイ・ブルームスの現在を知りたいと望みながらも、自分をただの過去と称する少女。
その心情を読み取れないままノウマンが黙り込んでいると、少女は無感情な声で悔恨するように言葉を続ける。
「ただ消えるだけならよかった、ワタシはあの子を歪めてしまったかもしれない」
「歪めてしまった?」
「愛情に飢える事すら知らなかったあの子に、ワタシは道を示す事すら出来なかった。ソレはワタシの役目だったのに」
困惑を深めさせる少女の言葉に、ノウマンはついに額に手をやって考え込んでしまう。
自分と少女の持っているレイ・ブルームスの印象が違うように、少女が持っている印象と現実が違うのではないかと思えたのだ。
なぜなら、ノウマンは現在のレイ・ブルームスを知っているのだから。
「君と彼の関係を知らないからこそ言ってしまうが、心配する必要はないと思うよ」
この期に及びながらも、ノウマンは少女に打ち明けるべきか逡巡してしまう。
ノウマンが持っている情報は、並みの神経を持っていれば傷ついてしまう事実なのだ。
だが少女がそれを知りたがった以上、情報屋として知らせないわけにもいかないとノウマンは覚悟を決める。
何より少女の灰色の瞳が、その少年の面影を求めているように見えたのだから。
「君にとって幸か不幸かは知らないが、彼は5人の女性と仲良く暮らしているよ。見目麗しく、優秀な女性達とね」
せめて少女が真正面から受け止めてしまわないように、とノウマンは冗談めかすような言葉で事実を告げる。
1人は否定していたが、最低でも4人の女を侍らせている少年。
ノウマンが持つレイ・ブルームスの印象はそう言うものであり、愛情と程遠いという印象などなかった。
そして少女はノウマンの懸念とは裏腹に、ふわりと優しげに微笑んだ。
「良かった、本当に」
「……たいした度量だ、僕なら伴侶に近い存在が別の異性と居るなど耐えられないがね」
信じられないとばかりにノウマンは首を横に振る。
しかし少女は柔らかな笑みを浮かべたまま、それでいて慈しむように言葉を紡ぐ。
「あの子は傷つき過ぎて、悪意に晒され過ぎて、1人で支えるには重過ぎて、支えられるには人と分かり合えなさ過ぎる。そんなあの子を受け入れてくれる人達が居るのなら、ワタシはそれが何よりも嬉しい」
「そこに自分が居なくても、かい?」
「そう、あの子にワタシはもう必要ない」
自分の問い掛けに躊躇いなく頷いた少女に、ノウマンは思わず手で顔を覆ってしまう。
時代遅れの献身。そう切り捨てるにはあまりにも愛情深く、あまりにも歪だった。
「あれだけの大所帯だ、今更君1人が増えても変わらないんじゃないか?」
「だとしてもワタシは、もうあの子の傍らに居る事は出来ない」
「……情報の代金代わりに1つだけ聞かせて欲しい――君は彼の"何に"なりたかったんだい?」
よほど酷い別れ方でもしたのだろうかと思わせる少女に、ノウマンは望み薄の報酬を返上して問い掛ける。
飼い主、恋人、庇護者、部下。
あらゆる立場を得る事によって、嫉妬狂いの化け物を傍らに置きたがる人間は多い。
その動機に愛情はなく、あるのは打算だけ。
だからこそ、ノウマンは気になってしょうがなかったのだ。
そして少女はフィールドジャケットの袖から覗く、"何も着いていない"左手首を撫でながら答えた。
「母となり、姉となり、恋人となり、それらとは隔絶した"特別"になりたかった。擦り切れすぎたあの子を守れるのなら立場は何でも良かった。あの子にはワタシしか居ない、あの時は本当にそう思ってた」
「そこまで想わせるなんて、彼は罪な男だね」
感服したとばかりのノウマンの言葉に、少女は表情を曇らせる。
「でもただの同情だったのかもしれない、そう思う度にとても不安になる。ワタシは自分があの子に感じてるものがなんだったのか、今でも分からない」
「思慕が感情からくるものであるのなら、同情だって十分な動機だよ。問題はその過程がどんな結果を出すかだと想うね。ただの同情で終わるのか、それとも、ってね」
そう言いながらノウマンはボトルを開けて、グラスにスコッチを注ぎだす。少女が26歳である証拠はないため、自分の分だけ。
少女は考え込むようにして俯いていたが、ノウマンの言葉に決着がついたのか顔を上げる。
レンズ越しの目には既に迷いはなく、全ての憂いが消え去ったようだった。
「話を聞いてくれて、ありがとう。ようやく、全てに決着がついた気がする」
「それは良かった――せっかくだ、僕の息子が書いた彼の記事でも見ていくといい」
そう言ってノウマンは新聞を広げる。
息子が書いている記事は社会欄。そこで見つけたヒーローを賛美するよう記事を見せようと、ノウマンは新聞をテーブルに広げる。
しかし、そこに少女はもう居なかった。
まるで幻か何かのように、いずれ全てに淘汰されて消えていくだけの思い出のように少女は姿を消していた。
「……恨むぞブルームス。金にならない満足感を与えるなんて、最悪の所業だよ」
そう言ってノウマンはスコッチで満たされたグラスを掲げて一気に飲み干す。
口内に広がるスモーキーフレーバーだけが、ノウマンを労わるように香った。




