[Revolutionary] Witch Hunt 12
「しかし、紳士的な振る舞いも出来るんですのね」
ワークシャツの下に見え隠れするホルスターを外しながら壁際のソファに腰を下ろすレイの隣に、自らも腰を下ろしながらエリザベータは言う。
車の扉は自分で開けさせる。
腕を組んでいない限り歩幅を合わせようとはしない。
気に入らなければすぐに舌打ちをする。
エリザベータが知っているレイ・ブルームスとはそういった人間であり、自ら進んで座っているエリザベータに手を差し出すような人間ではなかった。
「婚約者か恋人か分からなくなっちまった女に影響されたのかもな。嫌だったか?」
「いいえ。取り繕った態度で距離を置かれるのは嫌ですが、大事にしていただけるのはとても幸せですわ――ただ、不満もありますのよ?」
隣に座るレイの肩に頭を預け、暗い碧眼を覗き込むように見上げながらエリザベータは言う。
「面倒なお芝居、偏食の克服。それでもまだ望むのかよ……」
前者は任務の性質上必要な行為、後者は厚意でありながら押し付け。
その両方にレイは思わず嘆息してしまう。
トマトが食べられなくても、レイは生きていくのに不自由はしないのだから。
「まあいい、それは後で聞いてやる。とりあえず今後について話をさせてもらうぜ」
そう口火を切ったレイは、エリザベータが頷く事で話しに了承した事を確認して説明を始める。
エリザベータの敵対勢力によって、エリザベータ・アレクサンドロフは死亡を前提にした生死不明とされた事。
ロシア政府はテロリスト残党の掃討の為にサラトフへ部隊を派遣しているが、その派遣はエリザベータが本当に死んだのか確認するためだろうという事。
そして敵対勢力が国の防衛戦力に息を掛けている事が予測出来る以上、見つかってしまえば2人共ただではすまないという事。
「そこで俺達が知らなきゃならねえ事が3つ。1つは国防軍の動き、2つは敵対勢力が介入出来ないアンタにとって安全な場所、そして3つ目が確実に引かれてる検問の緩そうな場所だ。国防軍の動きに関してはお互いが目を光らせるとして、他は少なくとも俺には分からねえ」
「……そうですわね。本当に、バカな方々」
エリザベータはその華奢な手で顔を覆いながら嘆息する。
D.R.E.S.S.の製造をしている企業、それを駆り経済戦争を進める軍隊、それらの頂点に立つ資産家達。
力を持たぬ者達を守る為に立ち上がったエリザベータに立ちはだかったのは力を持つ者達。
そしてそれを理解しているからこそ、エリザベータはその者達の浅はかな行動にあきれ果ててしまう。
都市部にある物ではないとはいえ、自然施設採掘工場という決して爆破された規模の小さくはない施設。
建前も何もないまま民間人を守る為ではなく、別の理由で派遣されるD.R.E.S.S.を装備した部隊とそれを派遣した政府。
かつて航空機や宇宙開発の生産の為に外国人の立ち入りを制限していた、閉鎖的な空気が未だ残る都市の人々は政府への不審を抱くだろう。
しかしそれほどまでに敵対者達は自身を消したいのだと、エリザベータは理解させられてしまう。
「……まあいいですわ。レイさんを予定よりも早く我が家に招く事が出来る上に、お父様とお母様に顔を見せられる。そう思えば苦ではありませんわ」
「アンタの家まで送る分には構わねえけど、中まで上がりこむ気はねえからな」
「あら、お夕飯くらい召し上がっていっていただいてもよろしいのでは? 出来れば1泊くらいお泊りいただいても――」
「アンタをモスクワまで送り届けたら、俺は次の任務に就かなきゃならねえつってんだろ」
「そんなに任務が立て込んでいますの?」
「うちの会社は新興企業でな、数をこなして信用と利益を得なきゃならねえ。その結果俺みたいなブルーカラーは会社の為に身を粉にしなきゃいけねえんだよ」
金次第で平気で雇用主を裏切る傭兵、経済戦争の為に暗殺や虐殺も厭わない民間軍事企業。
しかしエリザベータがもたれかかる傭兵は裏切る様子どころか、エリザベータが生き残るための手段を模索していた。
しかもその傭兵が身を寄せる民間軍事企業は大きな利益になると分かっていながら、傭兵に確保させたエリザベータを敵対勢力を差し出そうとはしない。
性善説を信じていられない世界で生きてきたエリザベータはその事実を疑い、そんなエリザベータの腹の内を知らないレイは浮かべていた苦笑を真面目な面持ちに変化させる。
「話が逸れたな。アンタの家は強襲に対しての備えは出来てるのか?」
「その辺りは問題ないかと。わたくしが拉致されて殺害された以上、備えをしていないとは思えませんわ」
「娘が死んでるってのに、アンタの親はそんなに落ち着いてられるのか?」
「わたくしが死んでしまっているからこそ、無闇に戦火を広げ人々を傷付けたりしない。それがアレクサンドロフ家の在り方ですの。父も母もわたくしの遺志を尊重してくれているはずですわ」
聡明な父と穏やかな母。その2人に悲しみを味合わせているというのは心苦しいが、エリザベータが生きて2人の元へ帰る為には自身の生存を秘匿しなければならない。
エリザベータはその事実に思わずため息をついてしまうも、最終的にモスクワへ生きて帰り両親の顔を見るまでは死ねないと気持ちを入れ替える。
「なら後でアンタの家の所在地を教えてくれ。それとアンタが知る事じゃねえと思うけど、おそらくモスクワに入る道全てに検問が敷かれてる。検問が緩いと考えられるポイントが知りたい。多少遠回りになっても構わねえ」
「確かに存じ上げる事ではありませんが……」
そう言いながらエリザベータは人差し指を唇に当てて考え込む。
中央で政権を握り、自身の描く未来へと導く為の教育を受けてきたエリザベータであっても国防軍、それもその組織の中でも末端の事など把握出来る訳がない。
「……安易に考えるのであれば、サラトフと間逆のトヴェリやヤロスラヴリから回り込む、というのが考えられますが」
「アンタの思ってる通り、爆破した規模が規模だからな。正直、国防軍の基地があるリペツクに滞在してるのもやべえかもしれない――他に方法がなかったとはいえ、何でこんな面倒くせえことしちまったんだ、俺は」
「そうは仰いますがわたくしを救い、その上でわたくしの生存を秘匿するには必要だったのですから、悔いていても仕方ありませんわ」
あの時レイが強攻策としてあの場へ乱入しなければ、エリザベータの精神はナノマシンに犯され、その身はあの粗野な男達に穢されていただろう。
――もしそうなってしまったとして、わたくしは生きている事が出来たでしょうか?
そうエリザベータは胸中で自問するも、即座に返される答えは否定。
政界は戦場だ。
甘く考えていたその父の言葉が、今のエリザベータに正しく自身が立って居るその場所を理解させる。
資産家達は金でクレムリンの意見を操作し、クレムリンはそれと引き換えに国防軍を請われるがままに動かし、国防軍が資産家達の敵を殺す為の尖兵となり、資産家達の敵となったエリザベータを救う為に自身より年下である少年もまた争いの尖兵と成り果てた。
――なんという茶番なのでしょう
かつて社会主義の象徴であった赤い星は、ルーブルの赤に取って代わられたというバカバカしい事実。
そしてエリザベータ1人を殺す為に夥しい数の人間が動き、エリザベータが殺されてしまえば更なる数の人間達が経済戦争によって殺されてしまうという事実。
だがたとえ今この瞬間に世界からD.R.E.S.S.が消えたとしても、レイの言う通り経済戦争は違う形で続くだろうと考えられる事実。
格差が生まれ弱い人々が苦しむ政治が良いとは思えない。
そして弱い人々を傷付ける悪意を駆逐する為の力が必要だとは思う。
しかしその力をエリザベータの思うように使う人間が居るとは思えない。
そうあきれ果てるほどに理解してしまっていても、描くべき未来が存在しているエリザベータはそれを見逃してしまう事は出来なかった。
「そうは言うけどよ、検問でアンタのIDの提示を求められたらアウトなんだよ。中途半端な出来の偽造IDなんて使って拘束されたらおしまいだ」
どこか疲れたような響きを持つレイの言葉に、エリザベータはふと我に帰る。
民間軍事企業のオーナーの多くは、国防軍のバックにつくレベルの資産を持った人間達である。そして国防軍と民間軍事企業を上手く操り、そしてまた資産家達がバックについているであろうテロ組織を相手取った経済戦争が続く。
「考えるべきは場所だけではなく、タイミングもですわ」
唐突なエリザベータの言葉に眉をしかめるレイ、エリザベータはそんなレイの様子を感じ取りながら丁寧に説明を始める。
大規模なテロが発生し、民主派の政治家が死亡を前提とした生死不明とされた。
冷戦以来久しく感じていなかった恐怖に怯える民衆に行われるであろう、対テロ組織に対する姿勢を示す大統領演説。
厳戒態勢を取っていたその後だからこそ、民間軍事企業のオーナーたる資産家達と揉めたくない人間達が居るはず。
幸か不幸か今のロシアには汚職が横行しており、モスクワという首都の中でさえ格差は生まれ、資産家達に媚を売りたい人間は多いはず。
なにより余所の州で起きた事件など、その内容が何であれ自身には関係ないのだから。
「……いけると思うか?」
エリザベータにとっては権力者の存在をちらつかせる策。
しかしエイリアス・クルセイドが架空の組織であると理解している、レイは無責任だと感じながらも確証を求めるように問い掛ける。
「ならばテロが風化し検問がなくなるまで、わたくしにお付き合いいただけまして?」
「アンタみたいな気が利く奴と居られるのは楽でいいけど、俺には次の依頼主が待ってんだよ」
そうどこかおかしそうに言いながらレイは話の進み方次第でやり方を変えよう、と携帯電話の電源を入れてモスクワ周辺の地図をディスプレイに表示する。
GPSをオフにしているためマニュアルでリペツクにマーカーを打った地図を、レイはエリザベータにも見えるように差し出した。
「スモレンスクから東上するのは軍からの出入りがあると見て、避けた方が良さそうですわね」
「安易に思いつく以上、トヴェリとヤロスラヴリから南下するってのも避けた方が良さそうだな」
「裏をかいて予定通りトゥーラかリャザンから北上する、というのはいかがでしょう?」
「それこそ検問が1番きついだろ。ってなるとカルーガから北上、もしくはヴラジーミルから西下ってところか」
「でしたらヴラジーミルにいたしましょう」
「ヴラジーミルって確か旧公国の首都だろ?」
「それは11世紀の話ですわ。たとえヴラジーミルからは無理でも、北上してイヴァノヴォから東上する事も出来る。そう考えてしまえば、これ以上に良さそうな案もありませんわ――何よりヴラジーミルだからこそ、わたくし達が検問を突破出来る可能がございますの」
ロシアの内情など分かるはずもなく訝しげな表情をするレイに、エリザベータは改めて丁寧にその確証に至った理由の説明を始める。
ヴラジーミルの治安維持等を担当しているフランツ・クリンコフは、"とある事件"によって力を失った旧警察機構のキャリアだった官僚だ。
しかし警察機構と軍隊が国防軍として合併した際、D.R.E.S.S.という最強の力を持った軍属のキャリア達にヴラジーミルへと追いやられ出世の道を閉ざされてしまった。
それでも出世を諦められなかったクリンコフはクレムリンを動かす資産家達に取り入ろうとし、その結果ヴラジーミルは汚職が横行する事となった。
――言ってる事は分かるけど、実際どうかな
そう胸中に生まれた大きな懸念にレイは眉間に皺を寄せる。
クリンコフという男の勢力の上から下まで全ての人間達が資産家達に取り入ろうとしているのは理解したが、エイリアス・クルセイドという架空の新興組織に便宜を図るだろうか。
警備に当たっているクリンコフの勢力が、もし決まった資産家達のみに便宜を図るとしたら。
もしエイリアスがその辺りの工作に手を抜いていて、検問で"最悪の事態"を迎えてしまったら。
――金を握らせて解決するなら楽なもんかもな
胸中でそう毒づきながら想像しえる"最悪の事態"に嘆息するレイは、ディスプレイに表示したモスクワ周辺の地図を眺めながら黙り込む。
いっそH.E.A.T.の名前を使ってしまおうかとレイは考えるも、エイリアスがわざわざ用意したエイリアス・クルセイドに意味がないとは思えず却下する。
そして民間軍事企業H.E.A.T.は優秀な軍人であったジョナサン・D・スミスという存在のおかげで大手の1つとして名を連ね、その組織に所属しているレイは世界のあらゆる場所へ飛ばされた事があるとはいえ戦場以外のロシアという国をレイは知らない。唯一市街地に出る事がある護衛の任務でさえ、機密漏洩の警戒から傭兵達に行き先を知らされない場合が多いのだ。
戦場となり瓦礫と死体が溢れる都市部しか、ロシアという国を知らないレイ。
その国に住み情報だけではなく経験としても、ロシアという国を知っているエリザベータ。
それを理解しているレイに、他の選択肢など思いつくはずもなかった。
「……決まりだ。簡単なルートを作ろう、アンタの家は?」
「ノーヴィ・アルバート通りの裏手ですわ」
それを聞いたレイはリペツクにつけていた現在地のマーカーをヴラジーミルへ動かし、行き先のマーカーをモスクワのノーヴィ・アルバート通りへと動かす。
「意外だな」
「何がですの?」
ディスプレイに表示される情報を眺めながら呟いたレイの言葉に、エリザベータはその意図がつかめず思わず問い返す。
「この辺って繁華街じゃなかったか? 金持ちってこういう場所を嫌がりそうなイメージがあったんだよ」
距離にして約200km、何事もなければ3時間ほどで辿り着けるその場所は、レイが知る限り人の往来が多い繁華街だった。
「表通りはそうですが、裏手は閑静な住宅街なんですの。そういうレイさんはどういった場所にお住まいで?」
「ロサンゼルスの外れにある小せえボロいアパート――会社に顔出しに行く度に州を越えなきゃならねえのは面倒くせえけど、あの辺が1番気楽に過ごせんだよ」
右肩に感じる暖かみのある存在に、警戒を緩めさせられてしまっていたレイは表面上に焦りを見せないように欺瞞情報を付け足す。
――どうにも調子が狂う
直接的な暴力へ訴えるような力がなくても、その気になればレイのような小さな存在に対して別の力を行使できる存在にして商売敵。
そう理解していても自身の知るやり方ではどうにも対処しきれないエリザベータ・アレクサンドロフに、ペースを乱されている自身にレイは戸惑いを隠しきれない。
――でもそれももうおしまいだ
主義を曲げてまでフィオナに生き方の1つを提示したあの時から、1つも成長していない自身を棚に上げてレイはそう自身を納得させた。