It's Time To [Vampire] Hunt 9
「待たせたな」
H.E.A.T.社屋の1室に辿り着いたレイは、テーブルに缶ビールを並べるたむろする男2人と女2人に疲労を滲ませた声を掛ける。
バイクをノストラフェトゥの屋敷傍に隠していたとはいえ、3日間の潜入とD.R.E.S.S.戦はレイの体に無視出来ない疲労を残していたのだ。
「待ちかねたわ、状況はどうなってるのかしら?」
「ジョナサンが入れ違いに出て行った。死体の確認もすぐに終わるだろうよ」
缶ビールを片手に握る黒髪の女――エルマ・コリンズに、レイは肩を竦めながら答えた。
作戦行動中の飲酒に思うところはない訳ではない。だが自分の為とも言える作戦に協力したコリンズに、レイは何かを言う気持ちにはなれなかった。
この瞬間にもシャドウズの男達のキツい視線は、レイを射抜かんばかりに向けられているのだから。
「そう、なら私達はもう引き上げさせてもらうわ。お姫様のエスコートはアナタに任せるわよ」
「お姫様なんて上等なもんじゃねえだろ」
「そうね、あなたも騎士様なんて上等なものではないものね」
そう言ってコリンズはヒラヒラと手を振って部屋を後にし、シャドウズの男達もそれに続く。
部屋に残されたのはアルコールに抵抗があるのか、ミネラルウォーターのペットボトルを握るウィルマ・マリーと、体良く片づけを押し付けられたレイ・ブルームスだけだった。
「怪我はないようね、安心したわ」
「そんな事はどうでもいい。仲間を呼ばなくていいのか?」
レイは燕尾服を脱ぎ捨ててウィルマの正面に座る。
既に救出、およびジミー・ハーバー殺害作戦は終了し、遺体の回収が始まっている以上ウィルマがここに居る理由はない。
しかしウィルマの関心は別のところへと向いていた。
「仲間って、父さんの事かしら?」
「もう芝居はしなくていい。アンタはジミー・ハーバーと縁を切る為に公安が送り込んだ潜入者、違うか?」
何を言っているのか分からないとばかりに顰められていたウィルマの顔が、どこか面白そうな笑みへゆっくりと変容していく。
レイの頭にずっと引っ掛かっていた疑問とは、"ウィルマ・マリーという不審な女"だったのだ。
「そう、気付いたのね。流石だわ」
「いいや、これだけヒントを出されてた割には遅すぎるくらいだろ。ミナ・ハーカーにルーシー・ウェステンラ、出来すぎた配役だよ。高説垂れてた俺がバカだったみてえだ」
空き缶が並ぶテーブルに開いていないビールを探しながらレイは肩を竦める。
ウィルヘルミナ・ハーカー。ドラキュラを追い詰めた主要人物で旧姓はマリー。
ルーシー・ウェステンラ、ミナ・ハーカーの友人でドラキュラの被害者。
思えば目の前の女は自らウィルマ・マリーと名乗った事はなく、レイはルーシーの遺体もダウンタウンに遺体が遺棄されていたというニュースも見ていない。
「そう謙遜しないの。あなたがどう思っているか知らないけど、あなたが助けてくれなければわたしは証拠と心中しなきゃならなかったんだから。大したもんよ」
「それを言うならアンタだって大した演技力だ。バカな女を演じて俺に捜査を進めさせるなんてな。信者を殺すなってオーダーも殺人幇助で捕まえるためだったのかね」
ノストラフェトゥの屋敷で見せていた無鉄砲さが消えたウィルマの言葉に、ビールがないと分かったレイは乱暴に椅子に背を預ける。
死亡した"親友"のパーソナル情報を窺わせるような発言を避けていたのは、それが公安側による後付のカバーストーリーであると理解したから。
監視カメラや盗聴器などを異常なほどに把握していたのは、証拠隠滅などに動くために全てを把握しなければならなかったから。
ジミー・ハーバーを殴り飛ばした際、ジミー・ハーバーの護衛達が一切動かなかったのは、ウィルマが彼らと司法取引をして寝返らせたから。
全ては公安の作戦であり、公安と癒着している事実を知っているジミー・ハーバーはレイの手によって殺害された。
後付された作戦を瞬時に理解して上が望む結末へと導いたその女が、浅慮であるはずがなかったのだ。
「自己紹介してなかったわね。わたしはダニエラ・ブライ、連邦公安局所属の潜入捜査官よ」
「レイ・ブルームス、非常勤のヴァンパイア・ハンターだ」
握手を求めるウィルマ・マリー――ダニエラ・ブライの手を、レイは肩を竦める事で拒否する。
自分以上に格闘技に精通し、その上策士でもある女がレイには妙に怖く感じられたのだ。
この作戦の内容を知っている以上、公安が自分に対してアクションを起こさないとも言い切れないのだから。
「それにしても大した推理力だわ、傭兵にしておくのはもったいないわね。捜査官になる気はない?」
「大学出の連中に混じれるような頭は持ってねえし、国に身を捧げる崇高な精神も持ってねえ。気持ちは嬉しいけど遠慮しとく」
レイは純粋な警戒心をシニカルな笑みに隠す。
引き抜きの交渉を受けた事がジョナサンに知られてしまえば、またファイアウォーカーの監視がつけられてしまうかもしれない。
ジョナサンはレイというヘンリー・ブルームスの代替を手放す気はなく、レイがファイアウォーカーを嫌っている事を知っているのだ。
「残念ね、あなたほど若い潜入捜査官が欲しかったのだけど」
「東洋人の血が混じってるから若く見えるだけだ。アンタが思ってるほど若くはねえよ」
「あら、今いくつなの?」
「16だ」
「若過ぎよ。今のあなたを働かせたらこっちが犯罪者になってしまうわね」
予想以上のレイの若さにダニエラがクスクスと笑っていると、社屋の外に車が数台停められる音がする。
敵対者の襲撃の可能性からレイは懐のワルサーPPKへと手を伸ばすが、ダニエラはそれを手で制して首を横に振る。
ダニエラは既にH.E.A.T.を通して局に連絡を取っており、外に集まっているだろう車はその迎えなのだ。
ならばもう自分の仕事はない、とレイはワルサーPPKから手を離して方の力を抜く。
そしてレイは任務の重圧から解放されるが、予想出来るこの後の展開に深いため息をつく。
財布も鍵もアクセサリーも全てジョナサンに預けているためにレイは帰る事は出来ず、ジョナサンは任務から解放されたレイを連れて家に連れ帰るだろう。
スミス家での平行線の会話はレイにとってただ不快で、不毛な時間でしかないのにだ。
そんな不快な今後に眉間に皺を寄せるレイの体を、真っ黒なマントとそれを纏う温もりが包み込む。
レイが見上げるようにしてその正体を確かめると、それは優しげな微笑を浮かべるダニエラだった。
「ありがとうレイ、私がここに居られるのもあなたのおかげよ」
「別に、その気になればアンタ1人で脱出出来ただろ」
「脱出は出来ても局に私の居場所はなくなっていたわ。だからこそありがとうレイ、麻薬売買に誘拐に殺人、そんな悪事を働いていた組織を壊滅出来たのもあなたのおかげよ。きっと癒着してたロサンゼルス署の人間達もすぐに罪に問われるわ」
最後に告げられた言葉にレイは自嘲するような笑みを浮かべてしまう。
ダニエラが潜入したのは証拠を隠滅するためではなく、証拠を隠滅させないように証拠を確保して癒着している人間の検挙にあったのだ。
最後まで考え抜き、誤解をし続けた自分がレイにはおかしくてしょうがなかった。
「成人して気が変わったら局まで来なさい、私の補佐官にしてあげるから」
「気が変わったらな、今のところ予定はねえけど」
「なら傭兵を辞めた時の先約よ」
「だから辞める予定なんかねえって――」
ダニエラの顔を見上げていたレイは、突如近付いてきたブラウンの瞳に言葉を失ってしまう。
天井とダニエラを仰ぎ見ていた視界は"何か"によって遮られ、前髪が掛かっていた額にはは柔らかな温もりを感じる。
やがて気が済んだのか、ダニエラは何も言わせないようにレイの唇に人差し指を当てて暗い碧眼を覗き込んでいた。
「女にここまでさせたんだから、忘れるんじゃないわよ」
そう言ってダニエラは弾かれるようにレイから離れ、足早に室内から去っていく。
その背をかろうじて見送れたレイは、赤みがかったブリュネットの髪から覗いてた赤い耳に深いため息をついた。
自己申告が嘘でなければダニエラ・ブライは未だに処女なのだから。




