[Revolutionary] Witch Hunt 7
ヴォロネジの人気のない通りを2人の男女が歩いている。
フードを黒いファーで縁取ったフライトジャケットを羽織り、胸に細かい彫刻が施された大きな十字架をぶら下げる皮ひもにティアドロップのサングラスを掛け、左手に小さくはない黒い旅行鞄を黒髪碧眼の男。
そしてその男の右腕を左腕に捕らえ、ファーが付いたロングコート、タートルネックのデザインニットインナー、タイトなシルエットのデニムボトム、女性としては長身の女の長い足の膝まで覆うブーツという黒で統一されたそれらに身を包みながらも、均整の取れたプロポーションを惜しみもなく露わにする、金の長髪を大きな三つ編みに纏めた碧眼の女。
「近けえ、重めえ、うぜえ」
「そんな風に言うものではありませんわ。カモフラージュなら徹底的にすべきですし、なによりこうしていた方が暖かいですわ」
「言ってることは分かるけど、俺はそんなチャチなコートに大枚叩いたつもりはねえ」
携帯電話や貴金属類を奪われたエリザベータの財布が無事であるはずがなく、その上それを奪ったテロリストごと財布はレイによって吹き飛ばされてしまった。
奪われた品の奪還は任務に含まれて居なかったとはいえ、結果として自身の懐が痛んでしまった結果にレイは八つ当たりのようにエリザベータに毒づく。
「あら、経費で落ちないんですの?」
「良くて報酬に上乗せ、悪けりゃ俺からアンタへの善意からのプレゼントだ」
エイリアスはD.R.E.S.S.規格の装備という決して安価ではない代物を平気でレイに与えてはいるが、こう言った必要経費を払うかは期待することは出来ない。
膨大な報酬の前に女1人の衣服代などは些細な物ではあるが、今後の自身の生活を変えてしまうであろう存在にその報酬を使っている事にレイは皮肉めいた物を感じた。
「でしたらモスクワに着き次第、お代を払わせていただきますわ」
「いらねえよ。どのみちモスクワに着き次第、俺は次の仕事に行かなきゃならねえ」
アテネでの戦闘後。
自身が吹き飛ばした倉庫をマシンアイ越しに眺めていたレイのシアングリーンの視界に、通信がコールされているというサインが走った。
それを受諾したレイにエイリアスのマシンボイスは、簡単な労わりの言葉と共にいくつかの事項を簡潔に告げた。
アテネでの任務成功を確認。
フリーデン邸のセキュリティは掌握。
レイに与えられた部屋の施錠を解除、次の任地に移る為に急いで部屋に戻って荷物を纏めること。そしてすぐに空港へ向かい、用意したIDとチケットでモスクワへ発つ事。
その経験から1つの任務が済み次第新しい任務が待っている事を理解したレイには、無事辿り着いたモスクワでエリザベータに代金を催促するような暇はない。
「ならば大事にさせていただきますわ。大事な"恋人"からのプレゼントですものね、レイさん」
「そうしてくれ。じゃねえと俺がやりきれねえよ」
何が面白いのか嬉しそうに笑みを浮かべるエリザベータにそう毒づきながら、目的地である宿の扉を引いてエリザベータを中へ入らせる。
本来ならばすぐにでもヴォロネジを後にしたいところではあったが、必要品を購入している間にエリザベータは体力の限界を迎えてしまい、レイはやむを得ずヴォロネジで1泊する事を決めた。
そして数日着まわせるだけの衣服と最低限の化粧品を購入し、両手にそれらと自身の荷物であるボストンバッグを持ちながら、右腕に縋りつくように体重を預けるエリザベータを支えながらレイは携帯電話で宿を探した。
安過ぎてはセキュリティに不安が生じ、高級過ぎればエリザベータの作ったカバーストーリーに隙が生まれてしまう。
その2つの条件に合う宿をレイが見付けた頃には、既に日は暮れてしまっていた。
――まあ、仕方ねえか
そう何もかもに見切りをつけたレイは、エリザベータに続くように宿に入る。
アテネの比較的温暖な気候とは違うロシアの寒気に晒されていたレイの体を、暖房で温められた暖かな空気が包む。
薄暗いとも暖かいとも言える間接照明の光に包まれる木目調のロビー、レイは近くの椅子へエリザベータを導いてその足元に荷物を置く。
寒気と食い込む取っ手によって少し痛む指をほぐしながら、レイは無人のカウンターに歩み寄り卓上のベルを指で弾いた。
甲高い金属音、それに呼び寄せられたように続く慌しい足音、そしてそれをかき消すように大きな音を立てて乱暴に開かれたカウンターの奥の扉。
「2人で1泊したい。部屋は空いてるか?」
扉から慌しく現れた皺だらけのスーツの男にレイはそう問い掛けるも、男は困ったように顔をしかめるだけで問い掛けに答えようとはしない。
安過ぎてはいけない、高級過ぎてもいけない。
そう考えた上で選んだ宿ではあったが、観光で栄えている訳ではないヴォロネジの人間全員が英語を話せる訳ではない、と気付いたレイは今更ながら自身の浅い考えに思わず嘆息する。
カウンター越しに困惑する2人の男、その状況を変えるようにそこへエリザベータが介入する。
「2人で1泊したいのですが――」
途端に始まったエリザベータと宿の従業員の流暢なロシア語での会話を理解出来ないものの、レイはエリザベータを介して手渡されたペンと台帳を受け取る。
――飛んだ間抜けだな、俺
あらゆる国であらゆるミッションをこなし、つい先日もアテネで英語が通じずに困っていたレイは短慮な自身に胸中でそう毒づく。
そしてレイが同時に気付いたのは結果的に主導権の1部を、エリザベータに握られてしまったという事実。
現段階では協力的なエリザベータではあるが、いつどんな要求をしてくるか分からない以上レイは主導権を握りエリザベータを制しておきたかったのだ。
宿の従業員に差し出された台帳にRay Bloomsと名前を記入したレイは、エリザベータに406と書かれたカードキーを受け取らせ、先ほどまでエリザベータが腰掛けていた椅子の足元に置いていた荷物を手に取る。
そして当然のように右腕を抱き寄せるエリザベータに、レイは引っ掛かっていた事を問い掛ける。
「まさかとは思うけど、スウィートルームとか無駄に高い部屋とかにしてねえよな?」
「比較的安い部屋にしていただきましたわ。洋服もレイさんのポケットマネーから全てが払われると知っていれば、もう少しランクを落としていましてよ?」
「そうか。まあいい、助かった」
レイはそうぶっきらぼうに呟く。
エリザベータがレイに購入させた衣服は安物ではなく、そして高級品でもない品でありフィオナとは違い考えて金を使える人間であると理解しているのだから。
何にせよレイはロシア語を理解出来ず、部屋はエリザベータのおかげで確保出来た。
既に疲労困憊のエリザベータを急かさないよう、レイはゆっくりと宿の従業員が止めていたエレベーターへと乗り込む。
従業員が気を回していたのか、3階の行き先階ボタンが既に押されていた。
閉まるエレベータの扉の向こうに居る従業員にレイは軽く会釈をし、動き出したエレベータの上昇を体で感じる。
複雑系アクチュエーター技術の向上により、より静かに上昇するエレベーターが沈黙に包まれる。
その小さな長方形の世界で右腕に掛かるちょっとした重さを感じながら、レイは増えていくオレンジ色の数字が移り行くのを眺める。
やがて数字が3を表示し、開かれた扉の向こうとそのディスプレイのミスマッチさがこの宿が流行らない理由なのだろうと結論付けたレイは、閉まらないように手でエレベーターの扉を押さえながらエリザベータを連れ立って406号室を目指す。
エレベーターからも、階段からも近くも遠くもない、外部の敵に気をつける他何も出来ない。406号室はそう言った部屋だった。
わざわざ木目調に仕立て上げた扉に似つかわしくない施錠装置に、エリザベータはカードキーをスライドさせ施錠を解除する。
レイはカードキーを受け取り、扉を開けて先にエリザベータを室内へ入らせてから、廊下の様子を一瞥した後に自身も入室する。
空調の効いた室内に安堵するレイが扉の横にあるカードホルダーにカードキーを差し込むと、間接照明の暖かな光がアンティーク調の室内を照らし出した。