Reason Of [Masquerade] Trust 6
「鬱陶しいほどのネオンにやかましいアトラクション。アメリカ産も、もう肌には合わねえかもな」
移動式遊園地の人ごみの中。メリーゴーランドで白馬に乗っているシンシアを眺めながら、レイは小さく毒づいていた。
ブラックレザーのフィールドジャケット、白いインナー、インディゴのデニム"誰か"の模倣のような装い。そのラフな格好は、黒いスーツという"あからさまな格好"をシンシアが嫌ったためだった。
やがて音楽をかき鳴らして回っていたメリーゴーランドが止まり、レイは出口のほうへと歩み寄っていく。
「レイさん!」
いつもと違ってどこかはしゃいでいる様子のシンシアに、レイは微笑みかけながら軽く手を振る。
護衛という立場から言えば、レイは移動式遊園地に来る事自体反対していた。
人ごみの中で襲撃者を探り続けるのは難しく、最悪レイはD.R.E.S.S.の展開すら視野に入れなればならない。
だがD.R.E.S.S.を展開する事で国防軍に事情を探られてしまえば、レイは車の無免許運転など触れられたくない傷を探られてしまうかもしれない。
ただでさえ東洋人の血が混じっているせいで実際の年齢より若く見えるレイは、ちょっとした外出でさえリスクを伴っているのだ。
「……レイさんごめんなさい。大人の人がこんな場所に来ても、楽しい訳ないですよね」
「つまらなそうに見えてしまいましたか?」
申し訳なさそうに告げてくるシンシアに、レイは取り繕った笑みを顔に張り付けて問い掛ける。
確かにレイは移動式遊園地を楽しいとは思っていないが、他に神経を割いているためにシンシアにはそう見えて居たのだ。
しかし来てしまったのは変えようのない事実で、来てしまった以上楽しんで帰ってもらいたい。
シンシアに楽しむだけ楽しんでもらえれば、後腐れなく早く帰れるのだから。
やるべき事を理解したレイは誤解だとばかりに軽く頭を下げる。
「申し訳ありません、そういう訳ではないのですが……」
「ないのですが?」
「こういった場所には来た事がないものでして、正直戸惑っています」
そう言いながらレイは苦笑を浮かべる。
ヘンリーは義務以上にレイに関わる事はなく、1流の研究者だった由真は朝と晩以外顔を合わせた事なかった。
そんなブルームス家が家族仲良く行楽に出掛けた事などあった訳がなく、結果としてレイはこういった行楽地の情報をテレビの映像程度しか持っていないのだ。
「レイさんのお父さんとお母さんは、連れてきてくれなかったんですか?」
「2人ともお忙しかったので」
「寂しく、なかったんですか?」
「……どうでしょう、今ではちょっと分からないですね」
その告白に俯いていたシンシアは隣立つレイの顔を見上げる。
いつもの穏やかな微笑を浮かべている顔は、どこか困ったような笑みを浮かべていた。
そしてシンシアの顔を見下ろしていたレイは、失敗したとばかりに嘆息する。
感傷を持ち込むのは無能のする事で、今の自分の行いが正しいとはレイには思えなかったのだ。
しかしその失態に対するシンシアの反応は、レイの予想を遥かに越えたものだった。
「なら、今日はわたしと楽しんで下さい」
そう言ってシンシアは、レイの手を握って微笑を浮かべる。
6歳で人の顔色を窺う事が出来るほどに聡明なシンシアは、父の仕事から人々が分かり合えないという事実は理解している。
そんなシンシアが自分の子供の側面を利用できないはずがなかったのだ。
「……エスコートはお任せしますよ」
返されたレイの言葉にシンシアの顔に花のような笑顔が咲いた。
そして手を引かれて歩き出したレイは、進行方向にあるコーヒーカップに思わず苦笑してしまう。
自分に合わせて動きの激しいアトラクションに乗らないで居てくれるのは助かるが、ピンクと白のカップに乗っている自分の姿がレイには滑稽に思えてしょうがなかったのだ。
しかし脳裏に描いたその光景は、突然足に走った激痛と響き渡った銃声によって台無しにされてしまう。
人間としての本能からか、見えない銃口から逃れるようにレイはシンシアを抱えて逃げ出す。
メリーゴーランド、ローラーコースター、そして銃声から逃げ惑う人々。
それらを抜けて行きながらレイは状況の整理する。
レイの足を掠めた弾丸は意図的に放たれた物。おそらく護衛の足を殺して、シンシアを拉致する予定だったのだろう。
しかしあまりにも人ごみの中での銃撃など、素人でもやらないであろう強行的な手段がレイを戸惑わせる。
既に殺されているジンデル家の護衛のようにレイを殺したいだけなら、シンシアを学校に送り届けた後で1人になっている時に殺せばいい。
だというのに襲撃者はシンシアを含めた無関係な人間に被弾する可能性をおしてまで、移動式遊園地の人ごみの中という環境でレイに銃撃をした。
レイにはそれがまるで"示威行為"や、脅迫のように思えていた。
やがてジンデル家に貸し与えられている赤い車に辿り着いたレイは、バングルのセンサー類を起動して車両のスキャンを始める。
爆弾や生体反応は無し。
バングルにシアングリーンの文字で表示されたメッセージに戸惑いながら、レイは開錠した扉を開けてシンシアを後部座席へと乗せようとする。
だがレイが抱えているやや低い体温は、胸に縋りついたまま離れようとしない。
そしてレイはようやく、シンシアの状態に気付いた。
小さく華奢な左手は胸を押さえ、色素の薄い唇から窺える歯はガチガチとぶつかり合い、 見開かれた目の灰色の瞳は精彩を失っていた。
発作が起きてしまったのだと理解したレイは、ジャケットのポケットから合金製のピルケースを取り出す。
その中身は発作が起きた際に処置を命じられている血管膨張剤が入っていた。
「いいですかお嬢様、これから薬の投与を――」
「わた、しのせいで……お父さん達に、また迷惑を……」
そのあまりにもおかしいシンシアの様子にレイは訝しげに顔を顰め、そして思わず舌打ちをしてしまう。
心的外傷後ストレス障害の併発など聞いていなかったのだ。
「そんな事は絶対にさせません、ですからこの薬を――」
「もう痛いのはやだ! 1人なのもやだ!」
何かから逃れるようにもがきながら、叫び声を上げるシンシアをレイは必死に押さえつける。
レイは戦闘の訓練は受けているが、メンタルケアのやり方など知らない。
しかしこの間にも心臓の痛みはシンシアを苦しめ、その脆い命を削り続けている。
悩んでいる暇などないレイは、シートに押し付けていたシンシアを正面から抱きしめた。
冷え切った体に温もりを与えるように、凍てついた心を溶かすように。
人間不信の自分がそれをする事がいかに滑稽かは分かっているが、れいには他の方法は思いつかなかった。
「いいかシンシア。俺はここに居る、俺がアンタを1人になんかしねえ」
柔らかな金髪を撫でながら、レイは出来るだけ穏やかに囁き掛ける。
自分を拾ってくれたジョナサンのように、新しい道を示そうとしてくれたアイリーンのように。
レイはその小さな少女を守ると誓ってしまったのだから。
「だから、俺を信じてくれ」
そう言いながらレイは自分の胸に押し付けられているシンシアの顎に手をやり、見上げるようにして顔を上げさせる。
見詰め合う藍色と灰色の双眸。
やがてシンシアはレイの言葉を信じたのか、恐る恐る小さな口を開く。
そしてレイは合金製のピルケースから取り出した血管膨張財を、シンシアの口に含ませた。
レイにはその錠剤が少女の命を預けるにはあまりにも小さく、その小さな錠剤で命を繋いでいる少女の存在があまりにも儚く思えた。




