Reason Of [Masquerade] Trust 4
天蓋付きベッド、絵本が並べられた本棚、白いレースのカーテン。
主を象徴するかのようなそれらに囲まれながら、レイはベッドに腰掛けるシンシアと向かい合って座っていた。
ジンデル夫妻は自身らが主催するファンドレイジングパーティーのため屋敷に居らず、レイはシンシアの護衛の為に同じ部屋で過ごしていた。
「――で、お母さんが――」
「お嬢様、そろそろお休みになられた方がよろしいかと」
ふと壁に掛けられた時計に視線をやったレイは、シンシアの言葉を遮って就寝を促す。
時刻は既に22時を過ぎており、6歳の子供が起きている時間ではない。
しかしシンシアはレイの黒いシャツの袖を握って首を横に振った。
「まだ、レイさんとお話がしたいです」
「でしたらせめて横になってください。お嬢様がお休みになるまで、私はここに居ますから」
珍しくワガママを言うシンシアに戸惑いながらも、レイは折衷案を提示する。
不安定狭心症のせいで体が弱いシンシアを、その身を守るレイは無理をさせる訳にはいかないのだ。
そして穏やかで思慮深いシンシアはそんなレイの立場を理解したのか、不承不承と言った様子を見せながらもベッドに入った。
レイはシーツをシンシアの肩まで掛けてやりながら、これまでにない任務の内容に小さく嘆息する。
昼は少女の通学を送り迎えし、夜は少女を寝かしつける任務などある訳がなかったのだから。
イスラエルの時と違い、ハニートラップの警戒すら必要ない年頃の1人娘。
その大事なはずの1人娘と1対1で屋敷に残されているというジンデル夫妻の信頼が、レイを更に戸惑わせていたのだ。
しかしそんなレイの困惑を余所に、シンシアの視線はシャツの袖から覗くシルバーのブレスレットに注がれていた。
「レイさんっていつもそのブレスレットしてますよね」
「……ええ、まあ」
銀の鎖と十字架が彫られたプレートの無骨なブレスレット。
そのブレスレットは最新にして最強の兵器であるD.R.E.S.S.のバングルよりも、シンシアの注意を強く惹いていた。
「大事な物なんですか?」
「命の次に、とは言いませんが」
「その、恋人からもらったりとか?」
「いいえ、命の恩人の形見なんですよ」
そのレイの言葉にシンシアは僅かに顔を強張らせる。
絵本、ぬいぐるみ、洋服。
そう言った大事な物はシンシアにもあるが、命と順序付けられる程の物ではなく、その上形見など考えた事もない。
アイリーンの形見であるそれを撫でながら、レイはおどけるように肩を竦める。
そうでもしなければ、脳裏に甦る記憶に押し潰されてしまいそうなのだ。
アイリーンの亡骸を地面に横たえ、護衛対象と共に左腕を持って逃げ出した。
黄色と黒の装甲をブレードユニットで剥がし、華奢な左腕から血まみれのブレスレットを剥ぎ取った。
仲間達全員が死んだ原因である護衛対象は悲しむ事はせず、生き残った事実を喜んでいた。
そして優秀な部隊を代償に生き残ったレイは裏切られ、裏切って今もこうして生きている。
悪夢に苛まれる事は少なくなっているが、その過ちがレイを手放す事は一生ありえない。
「その人は、どうして……」
「私を庇って亡くなられてしまいました。優秀で、とても優しい人でした」
その回答にシンシアは顔を凍りつかせ、レイはすらすらと出てきた自分の言葉に苦笑を浮かべる。
もしアイリーンが生きていてもそんな事を言う事はなかった。
だというのに、目の前でベッドに横たわる少女には躊躇いなく言えた事が、レイにはおかしく思えたのだ。
「お嬢様、私はアナタだけのナイトになる事は出来ません」
レイは出来るだけ穏やかな声でそう言いながら、教えるべきではなかった事実に萎縮してしまったシンシアの手を握る。
銃を握り続けて硬くなった手の平を手を包まれたシンシアは、灰色の瞳でレイの瞳を覗きこむ。
まるで深海のような、まるで夜空のような暗い碧眼。
突き放されたような言葉にも気も留めず、その暗い色に見入っているシンシアにレイは言葉を続ける。
「それでもアナタを守る事は出来ます。時間の許す限り、私はアナタを守り続けます」
普通の護衛対象であれば絶対に言わないであろう台詞に、レイはようやく1つの事実に気付かされてしまった。
鮮やかな金髪、灰色の瞳、決して大きいとは言えない身長。
自分はシンシア・ジンデルを、あろう事か命の恩人であるアイリーン・フェレーロと重ねているのだと。
6歳の病弱な少女と26歳の女傭兵。
そのあまりにも違う2人を、父の代替品扱いを嫌うレイは容姿だけで重ねてしまったのだ。
「ですから、今夜はもうお休み下さい」
罪悪感を和らげるように、その少女が誰かのを確かめるように、そして自分の良心の呵責から逃げ出すように。
ゆっくりとそう告げながら、レイはサイドボードの明かりを少しだけ暗くする。
そしてシンシアはその言葉に導かれるようにゆっくりと目を閉じていく。
やがて規則正しく吐き出されだしたシンシアの寝息に、レイは深いため息をついた。
その手は小さく華奢で、あまりにも無垢だった。
やや体温の低い手の冷たさを感じながら、レイは状況の整理を始める。
レノックス・ジンデルには多くの敵が居る。
その中にはシンシア・ジンデルの誘拐など直接的な手段を取る実行者と、ジンデル家とレノックスが幹部を務めるNPO団体を探る潜入者が居る。
実行者は銃器やD.R.E.S.S.等の戦力行使が想定でき、その上でジンデル家の護衛を拷問の後に殺害している。
潜入者は未だ功績を挙げていないものの、なんらかの情報を得ていないとは言い難い。
テレーゼ・ジンデルはジンデル邸から出る事は少なく、出たとしてもレノックスと共に居る事から襲われる可能性は少ない。
それらの事から、レイはか弱いシンシアが真っ先に狙われるであろう事を再確認する。
そしてレイは1つの事実に頭を抱えてしまいそうになる。
銃口を向けあい、D.R.E.S.S.を展開しての殺し合いなら得意だが、心に傷を負った少女の心の守り方などレイは知らないのだ。
話しかけられたら、手を握られたら、銃声を聞いたら。
どの条件で発作が起きてもおかしくはなく、敵対者達が強硬手段を躊躇わない以上シンシアには多少の負担を強いてしまう。
だがレイはそれを退けてやりたいのだ。
同情か憧憬か。区別の付かない感情から生まれた動機にレイが嘆息していると、背後の扉がゆっくりと開かれる。
レイは咄嗟に懐のコルト・ガバメントに手を伸ばすも、その隙間から顔を出した見覚えのある男の顔に肩を竦めた。




