Set Fire To The [Suspicion] 3
「まあ今じゃ自分の意思でここに居るのだから、文句の言いようもないのだけどね。それとこれはエリザベータさんが望んでいる答えではないけど、社長は考えを持って動いているはずよ」
「どうしてそう言い切れますの?」
「簡単よ、あの人が愛しい優秀な傭兵を簡単に手放す訳がないじゃない――それより気を配るべきはレイ君と小玲さんよ」
「何か掴めましたの?」
エリザベータは突然現れた東洋人の少女の名前に食いつく。
個人的に気に入らないと言うのもあるが、小玲がエリザベータにとっても不審な存在である事には代わりはない。
「1つだけ分かった事があるのだけど、それを含めてもこの状況はあまりにもおかしいわ――何で小玲さんを寄越せって、ドラゴンズ・ドリームを含めたどの組織も言ってこないのかしら?」
「どういうことですの?」
訝しげに眉間に皺を寄せるエリザベータに、晶はテーブルに置いていたタブレット端末を差し出す。
その画面に表示されていたのは焼け落ちた奸雄の工場跡と、D.R.E.S.S.規制委員会の人間としてエリザベータが見逃せない文章だった。
「最近の調査で奸雄の跡地から、エリザベータさんが作った"D.R.E.S.S.コード"を確実に違反している兵器製造の痕跡が発見されたわ。でもその兵器自体は発見されなかった。1部では少し前からニュースにもなっていたみたい。なのになぜ国防軍がその事実確認のための出頭を要求しないのか、なぜ保険会社がその損失に対する保障の話をしないままなのか、なぜドラゴンズ・ドリームは業務提携していた会社の令嬢を取り返しに来ないのか。ドラゴンズ・ドリームにとっては汚点かもしれないし、社屋が吹き飛ばされてそれどころじゃないのかもしれないけど、おかしい事だらけじゃない」
国防軍は"D.R.E.S.S.コード"というルールから外れて、非合法兵器製造という犯罪を犯した一家の人間である小玲を尋問するのは当然だ。
だが国防軍が小玲を罪に問わないのであれば、保険会社が焼け落ちた社屋の保障をするのは当然だ。
そして保障によって小玲が財産を得るのであれば、ドラゴンズ・ドリームの新しい経営者は資産家となった小玲を取り込もうとするのは当然だ。
その全てが導き出した結論は、何もかもがおかしいというものだった。
「ドクター・リュミエールが手を打ったのではないんですの?」
「そうだとしてもおかしいのよ。社長と国防軍は犬猿の仲。なのになぜ社長は大嫌いな国防軍を相手取るなんて手間を掛けてまで、小玲さんを抱え込んだのかしら? リベリオンとピグマリオンっていう規格外の戦力だけでも不安だと言うのは分かるのだけど、人嫌いの社長がレイ君に対するハニートラップの可能性があるあの子を招き入れる理由なんてないわ」
1年前のテキサスの任務で国防軍にディファメイションの情報を秘匿されてしまったせいで、レイとネイムレスは撃墜された。
イヴァンジェリンはその報復として、国防軍が保持するディファメイションとオブセッションの全てをデータを破壊した。
以降国防軍はリベリオンのデータを得るためにエイリアス・クルセイドに露骨な接触を繰り返し、イヴァンジェリンはその度に合法違法問わない手段でその全てを退けていた。
リベリオンは本当の意味で最新にして最強のD.R.E.S.S.であり、その技術の漏洩は何もかもの終わりを示唆していたのだから。
「……ならばこそ、ドクター・リュミエールの考えを知るべきではなくて?」
「言ってる事は分かるけど、あの人を理解しようと思うだけ無駄よ。それこそコーヒーの淹れ方でも学んだ方が建設的なくらい。だからわたしはこうやって1人で警戒を続けて、誰よりも早くレイ君が動けるようにしてるのよ」
そう言って晶は自嘲するような笑みを浮かべる。
1年と半年同じ屋根の下で暮らして来たが、イヴァンジェリン・リュミエールという女は過去の部下達とは違う意味で晶には理解出来ない人間だった。
コーヒーはエスプレッソでもブラックで飲むが、紅茶は風味がなくなるほどにミルクと砂糖を入れたがる。
世に出すつもりもないくせに、D.R.E.S.S.関係の開発を続けている。
レイと晶に無類の信頼を寄せながらも、極度の秘密主義者。
そんなイヴァンジェリンを理解してやれるのは間違いなく同レベルの天才か、レイのように一部合理化された思考を持っている人間くらいなものだろう。
そんな事を考えながら晶は言葉を続ける。
「でも聞き分けてくれなくてもいいわ、きっとわたしもエリザベータさんの立場なら引き下がれないもの。ただわたし達がすべきなのは社長を疑うだけでなく、広い視野を持って周りを見続けることだと思うのよ」
「わたくしはただ、そんな確証のない事に縋り続けるのはゴメンなんですの! 現にレイさんはドクター・リュミエールの指示以外に独断で動き始めていますわ!」
思わず怒鳴り声を上げてしまったエリザベータは、テーブルに両手を叩きつけて立ち上がる。
コーヒーカップとティースプーンは硬質な音を立て、突然のエリザベータの豹変振りに晶は驚愕から飛び上がりそうになってしまう。
エリザベータは焦っていたのだ。
朝起きて顔を合わせたレイの頬には覚えのない傷が刻まれ、それがレイのが独断行動を始めた証であると理解するのはあまりにも簡単だった。
もしかしたらもう2人の関係は取り返しのつかないところまで破綻しているのかもしれない。事態がそれをエリザベータに危惧させているのだ。
何よりエリザベータは酷く傷ついたレイを3度見ている。
1度目は自身を庇ったモスクワの路地裏で。
2度目はようやく居場所を突き止めたリュミエール邸で。
3度目は撃墜されて搬送されたテキサスの拠点で。
今までは運良く生き残れた。だがどのタイミングでレイが死んでいてもおかしくないと理解しているエリザベータは気が気でないのだ。
しかし真面目な面持ちを取り戻した晶は焦りもせず、当然だと言わんばかりに告げる。
「それでも社長はレイ君を守るわ、自分の命が惜しければだけど」
「どういうことですの?」
突然の物騒な言葉に、もはや平静を保てて居ないエリザベータはついていけないと匙を投げそうになる。
いっその事レイを連れてモスクワのアレクサンドロフ邸で暮らしていければと思うも、自身の人生に両親を巻き込む訳にはいかないエリザベータにはそれは夢物語でしかない。
自身で政治家として生きることを選び、自身の努力で飛び級が出来る学校へ通い、自身の判断で何度も死に掛けた。
その自分勝手な思想行動に誰かを巻き込む訳には行かない。
そして何より、自身のために手を差し伸べてくれるのは"恋人"だけで十分なのだ。
「……これは秘密だったのだけど、特別に教えてあげるわ。わたしは契約とは別に1つだけ社長と約束した事があるのよ」
「約束、ですの?」
いまいち理解出来ないと言わんばかりの言葉を吐き出すエリザベータに、晶は胸元のメダイを指先で撫でながらゆっくりと頷く。
「わたしが銃の引き金を引くのは生涯に1度だけ。テロリストが屋敷を占拠しても、社長が誰かに人質に取られてもわたしは絶対に引き金を引いたりしない」
そう言う晶の黒い瞳は黒い革紐に通されたメダイを愛しそうに見つめていた。
そしてエリザベータはこの時に気付くべきだった。
世界を変えた稀代の天才、その寵愛を一身に受ける傭兵。
その2人と渡り合い、無類の信頼を築いている晶が普通の人間でないと言う事を。
「わたしが引き金を引くことがあるのなら、それは"レイ君を死なせたあなたを殺すためだけよ"ってね」
そう言って晶がエリザベータへと向けた黒い瞳は、水底のような深遠をそこに映し出していた。




