Dearest [Death] Dealer 11
ホロパイネンがその話が持ちかけられたのは、1週間ほど前の事だった。
突然現れたレイ・ブルームスという正体不明の存在。
その正体を探ろうと接触すればダミアンに接触禁止を言い渡され、そうこうしている内にホロパイネンの仮の婚約者であるフィオナ・フリーデンはレイ・ブルームスに心を開いていった。
まずい事になった。
そうその状況に焦るホロパイネンを余所に、事態は望まぬ方向へと進んでいく。
もしフィオナがレイに嫁ぐ事を望んでしまえば、確定している訳ではないホロパイネンとの婚約など破棄されてしまうだろう。
そう考ええてしまえばしまう程にホロパイネンの焦燥は募っていき、そして出会ってしまった。
最大級の武装テロ組織ラスールに。
非番を終え家路を行くホロパイネンの車を数台の車両が囲み、誰も乗っていない助手席へと乗り込んできた、パーカーにデニムというカジュアルな装いの男。
一目で中東の出身だと分かる顔をした男は、自身をラスールの部隊長だと名乗った。
その男はホロパイネンに銃口を向けられながらも臆したりはせず、むしろ自身らがホロパイネンを包囲している状況を理解させるように外の車両達を眺めた。
乗用車から大型のワゴンまであるそれらに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ホロパイネンは銃をおろした。
しかしそのラスールの部隊長と名乗る男は取引を持ち掛け、その取引の内容にホロパイネンは表情を困惑したものに変える。
ラスールの男がホロパイネンに持ち掛けたのは、”誘拐の幇助と商品の横流し”というホロパイネンの一存では何も出来ない要求だった。
だからこそホロパイネンはそんな事が出来る筈がないと拒否をするも、ラスールの男が助手席に乗り込んでしまった際にホロパイネンの運命は既に決まってしまっていた。
ラスールの男は意味ありげな笑みを浮かべながら、パーカーのポケットからある物を取り出した。それを見たホロパイネンは車内から逃げ出そうとするが、決まってしまった運命は覆らない。
ホロパイネンの服の上から突き刺された注射器、そして血液とは違う温度が体に広がっていく確かな感覚。
それは世界中の兵器流通を握っているフリーデン商会に居るホロパイネンも知らない、”赤い薬液のナノマシン兵器”だった。
ラスールの男はホロパイネンに従わなければ殺す、裏切っても殺すと簡単そうに言って見せた。
事実そのナノマシン兵器はボタン1つでホロパイネンの造血器官を食い荒らし、耐え難い苦痛を与えてから脳を殺す事が出来る物だった。
そしてホロパイネンは生き残る為にフィオナの通学路を教え、誘拐が失敗した後にラスールの人間達をフリーデン邸へと侵入させた。
ラスールの男達はホロパイネンの同期の仲間や世話になった先輩達を、煙を払うように気軽に、雑草を抜くように躊躇いもなく殺していく。
それでも自身が死ぬ訳にいかないホロパイネンは止まれなかった。
たとえそれが描いていた未来を殺し、その未来の為に利用しようとしていた婚約者を捨てる事になったとしても。
「協力はした! 失敗したのは貴様らだ! 早く私を解放しろ!」
触る事すら許されなかったD.R.E.S.S.の足元で、ホロパイネンは倉庫から商品を運び出す男達へと詰め寄る。
フィオナ誘拐は2度に渡ってレイ・ブルームスに阻止されてしまったが、商品の横流しどころか強奪に協力したホロパイネンはそう訴えていた。
自身ですら最初の誘拐が失敗に終わり、フリーデン邸内の警備を任されるまで中に入る事すら許されなかったフリーデン邸に、ラスールの男達を招き入れる事はとても骨が折れる事だった。
自らのIDの複製、自身の思惑に気付いた同僚の殺害の窃盗、そして商品の強奪の為に倉庫まで導いた。それら1つ1つが耐え難い苦痛であり、ホロパイネンはたとえ生き残れたとしてもダミアンに殺されるのではないかという恐怖に震えていた。
だからこそホロパイネンは早く解放され、ギリシャから逃げなければならない。
「大丈夫だよ。ここまでしてくれたアンタをナノマシンでむごたらしく殺そうだなんて、誰も思っちゃいないよ」
その飄々とした態度とは裏腹に、ラスールの男も内心ではホロパイネンと同様に焦燥に駆られていた。
そのほとんどがナーヴスに無理矢理銃器と装甲を付けただけの物とはいえ、9機も持ち込んだD.R.E.S.S.の全てが撃破、もしくは戦闘不能まで追いやられ、残っている戦力は強奪したルード1機とクラック2機だけとなっていた。
今逃げ出しても間に合わないかもしれないが、このまま逃げ出して生き残れたとしてもラスールは、命令違反をした挙句に9機のD.R.E.S.S.を失った男達を許しはしないだろう。
そんな事を考えながらもラスールの男は、不平不満の言葉を紡ぎ続ける耳障りなホロパイネンの声に苛立ちを募らせていく。
「そのナノマシンを注入した貴様が何を言う! 私は早く行かなければならない、だから――」
「うるさいね、分かったよ。約束通りアンタを解放するよ」
そう言いながらラスールの男はスリングで肩に掛けたライフルの銃口を、当然のようにホロパイネンへ向けて引き金を引いた。
乾いた銃声が響き、固体を混じらせた液体が飛散する。
そして頭を吹き飛ばされたホロパイネンだったそれが地面へと崩れていく。
「時間ないよ、車に載せられるだけ載せたらさっさと行くよ!」
約束通りナノマシンで殺すことはせずに、解放したホロパイネンに一瞥をくれたラスールの男は部下達にそう叫び作業を急がせる。
ラスールの本隊に男達が許され、生き残るにはとにかく物資が必要なのだから。
しかし男達の生存に決定的な妨害が入ってしまう。
『敵機接近、上空から!? にげ――』
奪った1機のクラックを纏うラスールの1人はそう叫んだ次の瞬間、クラックのサンドイエローの装甲と共に突き出された合金の刃に腹部を貫かれる。
ラスールの男達は突然現れた灰色のルードに呆然としてしまう。
ホロパイネンの情報にもなかったその右肩部のコンテナに、単眼のマシンアンと同じシアングリーンのバーコードを刻んだルード――ネイムレスに。
『さて、仕事の時間だ――さっさとくたばりやがれ、クソヤロウ』
そう言うなりクラックを貫いたブレードユニットが付いた左腕をネイムレスは振り、もはやただの鉄塊とかしたクラックから逃れるようとラスールの男達は倉庫へと走り出す。
だが何人かの男達はその3m級の質量とアスファルトに挟まれてその命を終えさせられる。
フリーデン商会が所有していたルードはネイムレスを敵と認めるなり、右手のライフルの引き金を引きながらネイムレスへと突撃する。
ルードはその突撃の勢いをネイムレスへぶつけようと、左手のウォーハンマーを振り上げる。
シンプルでありながら頑強なそれの攻撃を嫌ったネイムレスは、ターンブースターで旋回するように回避しながらルードの右側へと回り込む。
『アンタが腕利きの切り札か? ならもっと頑張ってみろよ』
そう茶化すように言いながらレイは、ターンブースターで勢いを載せたネイムレスの右腕でルードを殴り飛ばす。
今まで粗悪なナーヴス改修機のみしか乗ってこなかったであろうルードの搭乗者は、ターンブースターを駆使して体制を立て直そうとするも、予想外の出力に後方でスナイパーライフルを構えていたクラックを巻き込んで地面に叩きつけられる。
この状況のまずさに気付いたラスールの歩兵たちは倉庫からロケットランチャーをを持ち出して、ネイムレスに向けるもシアングリーンのマシンアイはその行動を見逃さない。
『俺を恨むなよ、ダミアン』
前部に付けられたブースターで後方へ回避行動を取りながら、ネイムレスは右肩部のコンテのハッチを開く。
シアングリーンの視界でロックしたのは倉庫の破られたシャッター、叩きつけられた以降動きもしないルードと、その下敷きにされたクラック。
「やめ――」
その開いたハッチから覗く6門のミサイルポッドの砲口に気付いたラスールの部隊長は、そう叫びながらネイムレスに静止をかけようとするも、それに気付かないレイはその言葉を遮るように別れの言葉を告げる。
『あばよ、クソヤロウ』
そしてミサイルが放たれ、夜のアテネを轟音が包み込んだ。