Deadly [Lucid] Reason 4
「何か引っ掛かってる、って感じだね」
立ち上がりもせずにただ思索にふけっているレイに、ベックは巨大な両手を広げて問い掛ける。
その気さくな様にも何も返すことは出来ないレイの様子に、ベックは少し考え込むようにして問い掛ける。
「ならこう考えてみよう、"どうして自分はそう思ったのか"って」
「俺なら、金を得るために金を払うなんて考えられない。それもリスクを冒してまで」
「お金が得るには先行投資も必要だよ。職場までの交通費、職場で着る衣服、職場で使う道具、何にしたってそう。そして今回はそれが私達にとっては大きな物に感じた、と考えられるね」
「じゃあアンタもその大金は取引のために用意されたって思ってんのか?」
「私もそう考えているよ、傭兵だって命の先行投資しているじゃないか。無事生き残っても|心的外傷後ストレス障害《PTSD》を患うかもしれない、それでパニックを起こして人を傷付ければ法によって裁かれて死刑になるかもしれない。傭兵や国防軍兵士と普通の職業に就いている人々の違いは、先行投資している物が命か金の違い、そして命と金のどちらを重く捉えているかだと思うんだ」
弾丸や刃による失血死、キャタピラによる轢死、押しつぶされたD.R.E.S.S.の装甲の中での圧死。
そんな普通に生きていれば出会う事のない死因と出会う職業である傭兵。
金のためにそんな職業につける人間が、平穏無事に生きていける確証などあるはずがないのだ。
「ただ考えるという傾向は決して悪くない、というよりはレイ君自身の傾向が良くなってきたという感じだね」
「どうだかな」
「傭兵として生きることを決めた以上、考える事をやめてはいけないよ。考えることをやめるということは緩やかな自殺であって、ただの自殺ならいつでもどこでも出来るんだからね」
「……クリスチャンの割りにすげえこと言うな、アンタ」
ベックのあんまりな言い方にレイは思わず顔を引きつらせてしまう。
しかしベックが敬虔なクリスチャンなのは、身につけているロザリオや、毎朝トレヴァーに読み聞かせている聖書によって照明されている。
「別に私がするわけでもなければ、レイ君にそれの幇助をする訳でもない。聖書もロザリオも聖三位一体の紐も誰かを裁かない代わりに、誰も救いもしないのさ。それにそんなことを言い出したら、クリスチャンの私が傭兵をやっているのもおかしいと思わないかい?」
言われるまで考えもしなかったその事実に、レイは思わず視線をベックへとやってしまう。
自身の思い通りにレイを動かせたベックは、その強面には合わない穏やかな微笑を浮かべていた。
「この部隊の人間は誰しも過去に傷を持っていて、それと折り合いをつけて生きていくために傭兵という職業に就いている。恥ずかしくて下品な話だけど、私は小さい頃から偶像性愛でね、救いを求めて祈り続けたカトリックは私のような人間を認めなかった。それで何もから逃げるように軍に入ったら、今度はゲイの上官に襲われそうになって殴り飛ばしたら不名誉除隊だ」
190cmを軽く越え、その上鍛え抜かれたベックに殴り飛ばされるという恐怖を想像してしまったレイの体が意思とは関係なく震える。
鍛えているとはいえその体躯に大きな差がある自身では、軽く死んでしまうかもしれないとレイには思えたのだ。
「でも私はまだ死にたくはなかった。自分の人生にもまだ失望もしていなかったし、そんな私にとって戦場は素晴らしい場所だった。だから考える事をやめずに傭兵になった、傭兵になって自身の本質よりも生き残る術を考えるようになった。傭兵が帰る場所は戦場で、行き着く先は地獄だからね。思考停止してしまっているようにも思うけど、これが私の生きる道なんだ。さてここからは私ではなく、アイル隊長にお願いしようかな――トレヴァー、私にもおくれ」
そう言って椅子から立ち上がったベックは、ミレーヌとタイストと談笑していたトレヴァーに声を掛けながらその輪の中に入っていく。
そして残されたアイリーンへ視線をやったレイは間髪置かずに立ち上がろうとするも、アイリーンの小さな手がレイのトラッカージャケットの袖を強く握り締めていた。
「アンタからの説教だけはゴメンだ」
「ダメ、聞いて」
そのクリアなレンズ越しに灰色の瞳の視線にレイは舌打ちをして、観念したように浮かせた腰を椅子へと戻した。
それでもレイが逃げない確証を得られないアイリーンは、トラッカージャケットから手を離すことなく話し始めた。
「物には理由がある。人間の本質が美しい物を求めるから人は着飾る。人間の本質が求めるから文化が生まれた。人間の本質が求めるから戦争が続いている。レイはどうして傭兵になった?」
「他に生きる道がなかった、悪いか?」
「すごく悪い。このままだと、レイは死ぬ」
唐突なアイリーンの言葉にレイは驚愕から目を見開いてしまう。
かつて誰よりも近くで感じ、D.R.E.S.S.によってそれから遠ざけられたとレイは確信していたはずなのだ。
「……ほざくじゃねえか」
「ほざく、レイは中途半端。死んででも何かをなす覚悟も、何をしててでも生き抜く覚悟もない――これを見て」
相変わらずだるそうに言葉を紡ぐアイリーンは、フィールドジャケットの袖を捲くって黄色と黒のバングルと共に着けられた物をレイに見せる。
それは銀の鎖と十字架を彫られた銀のプレートで作られたブレスレットだった。
「アメリカのブランドのアクセサリー、名前はクロムハーツ。そのままの意味だと"鉄の心"、でもワタシは"錆びない心"だって考えてる」
「大事なのはハートだとか、安っぽい映画みたいなこと言うんじゃねえだろうな」
「それが生きるモチベーションになるなら必要、でもレイには何もない。嫌だって思いながら言われたから傭兵になった、他に生きる方法もあったのにそれすらも見ないで」
「アンタに何が分かるってんだよ、クソが!?」
そのアイリーンの言葉にレイは激昂し、思わず怒鳴り声を上げてしまう。
ジョナサンは「残念ながらレイの人生に戦わないという選択肢は存在しない」と確かに言い、約束通り両親の復讐のためにレイに力を貸していた。
ジョナサンに引き取られなければレイ身柄は確実に軍部に預けられ、非公式なチャイルドソルジャーとなるために教育されていただろう。
それを裏付けるように軍部はブルームス家の品を写真1枚残さず、全てを押収してアメリカンヒーローではない両親を殺したのだから。
そしてトレヴァーはその光景にどこか複雑そうな表情を浮かべ、ミレーヌは呆れはてたようにため息をつき、タイストは気にする様子もなくビールを飲み干し、ベックはそんなタイストの様子に苦笑していた。
その光景をレイは知らないが、4人はそれを良く知った上で経験していた光景だった。
「何も分からない。だから恐い、取り返しのつかないことになってしまうのが」
「なら放っておけよ。くたばる時はアンタらに迷惑なんか掛けねえ、それでいいだろ」
「そうじゃない、レイは何も分かってない」
「分からねえよ、分かりたくもねえよ」
そう言ってレイは引きとめようとするアイリーンの小さな手を乱暴に振り払って、自身に割り当てられた寝室へと向かっていった。
どうせ成人していないその身に、 夜間警備が任される事はないのだから。