Dearest [Death] Dealer 7
アテネ入りをしてからというもの温暖な気候に恵まれていたレイにとっては、珍しく冷え込んだある日。
レイはアテネにあるフリーデン商会の所有するビルの1室で、安っぽいパイプ椅子に腰を掛けてフィオナが通うハイスクール周辺を見下ろしていた。
護衛とハイスクール周辺の監視を開始してから2週間と4日が経ったが、ラスールの動きは未だ掴めないままだった。
現にオペラグラス越しに見えるアテネの街並みは平和な物であり、レイはすっかり冷えてしまったポケットの中の缶コーヒーを玩びながら情報を整理する。
フィオナ・フリーデンにつけられている護衛はレイを除いて4、5人であり、その中でD.R.E.S.S.を装備している者が居たとしても半数以下と思われる。
そしてその護衛の1人であるホロパイネンは功を焦るところがあり、注意が必要な存在だった。
「子供に何マジになってんだ、アイツ」
レイはホロパイネンがフィオナという16歳の少女に夢中になっているのではなく、フィオナを伴侶にする事で得られるフリーデン商会トップの座を狙っている事を理解しながらもそう毒づく。
しかしそれはフィオナにとっては幸運でもあった。
エイリアスが危惧するような事態に陥らない限りフリーデン商会の将来の安定は約束されており、フリーデン商会が存在する以上ホロパイネンはフィオナを守り続けるだろう。
――結局のところ、それを実現する為の足場作りに呼ばれたって事か
そう考えたレイはそこから導かれる答えに、普段出来なくなってしまった舌打ちをする。
幸いにもこの部屋には盗聴器など類は配備されていなかった。
傭兵という戦争屋であるレイは楽な仕事を望みながらも、戦争の激化というビジネスの幅が広がる事柄に魅力を感じていた。
テロリストが根絶されてしまえば戦場は静かになり、レイが生きていく方法は一切なくなってしまう上に、自身の悲願を叶える事すら困難となってしまうだろう。
――50万ドルは大事に使わねえと
訪れては欲しくない結末に備えながら、レイは思考を戻す。
フィオナの護衛嫌いという性質とこれからの信頼関係を踏まえ、護衛部隊は最悪の事態に発展するまで前に出ることが出来ない。
そのため真っ先に飛び出すのは、いずれアテネを去るレイの役目となる。
「つまり、有事の際にはアイツらをあてにしないで真っ先に飛び出せ。それも銃もD.R.E.S.S.も使わないでって事か」
その上レイ自身も護衛であるとバレてしまえば、契約不履行とされてしまうかもしないためD.R.E.S.S.はおろか、懐に隠しているワルサーPPKも扱うことは出来ない。
――戦闘を想定して派遣された戦力が戦闘を許されない、か
皮肉なその境遇にレイは辟易をした表情を浮かべ、何かを投げ出すようにオペラグラスを窓辺へと乱暴に放る。
得意ではない生身の格闘、気を張り続けなければならない監視、普段の単独戦闘とは違う協働関係にある部隊に背後から撃たれる可能性のある状況。
それらを感じながら平日は登校するフィオナの尾行、学校周辺の監視、そして放課後の寄り道に付き合い、休日はフィオナに街を連れ回されて過ごした2週間は、レイの体に確実に疲労感を募らせていた。
――次の任務もこんな感じだったら最悪だな
レイの得意分野はあくまで戦闘であった。しかしジョナサンの過保護とも言える采配で護衛、潜入、工作等の任務をレイは多く押し付けられていた。その上生まれて初めての任務である護衛の記憶が、レイに護衛の任務に対して苦手意識を植え付けていたのだ。
過去の嫌な記憶から逃避するように、レイが左手首にバングルと重ね着けしているブレスレットを指先で玩び始めたその時、監視していたハイスクールから終業を告げるチャイムの音が響き渡る。
それを聞いたレイは伸びをしながらパイプ椅子から立ち上がる。
窓際においていたオペラグラスを手に取り、校門周辺を索敵をしようとしたその時、レイの視界の端に高速で移動する窓ガラスをスモークフィルムで覆った黒いワゴンを捉えた。
すぐさまレイはダミアンに与えられた携帯電話を手に取る。
レイは情報を聞いたホロパイネンが先走ってしまう事を恐れ、ホロパイネンを除いて唯一英語が通じるポイント1をコールする。
「こちらポイント6、ハイスクールへ高速で走行する不審車両を発見。ポイントを放棄して現場に向かう」
『ポイント1、了解。ポイントの撤収を受諾。ポイント6、健闘を祈る』
スタンドプレイが目立つ護衛部隊において名ばかりではあるものの、指揮権を持った黒人の男の無線越しの返事を聞くなりレイは部屋から飛び出した。
コンバットブーツのソールが、打ちっぱなしのコンクリートの階段に強く打ち付けられる度にレイは加速を増していき、無骨な合金製のドアを蹴り開けて通りへと転がり出る。
レイが監視場所として与えられていたフリーデン商会所有のビル――便宜上ポイント6と読んでいたそことハイスクールの校門までは約400m。
発見が早かったとはいえ、人の足と速度に乗った車両では巡航速度に大きな違いが生まれるのは当然であり、現場に着いた瞬間に戦闘を開始する可能性がある。
不審車両である黒いワゴンを動かしている者達の目的がフィオナの誘拐である場合、その戦力は運転手が1人、そのバックアップが助手席に1人、中部座席のフィオナを車へ押し込む人間が2人、後部座席へフィオナを引きずり込み拘束する人間が2人と考えられる。
相手がラスールの人間でD.R.E.S.S.を展開した場合は、レイもネイムレスを展開して反撃に移る事が出来る。
だが相手がD.R.E.S.S.を展開しなかった場合はレイは生身で、フィオナを救出、脱出をしなければならない。
鉄パイプの1本でもあればとレイは裏路地を走りながら辺りを見回すも、美化意識の高いアテネにそんな物は落ちていない。
――これが終わったら、ダミアンのクソヤロウに3段ロッドでも提供させるか
そう胸中で毒づきながら、フィオナが登下校で使っている路地に踏み込んだレイの視界には、黒いワゴンとそのワゴンに少女を押し込もうとする男2人、そして必死に抵抗するフィオナの姿が飛び込んできた。
「分かりやすくて助かるぜ」
そう呟きながらレイは、ポケットに入っている缶コーヒーを取り出す。
――外に居る2人の男をぶっ飛ばした後に、護衛対象を連れて逃走
誘拐犯が銃を所持していたとしても、身柄を拘束しなければならないフィオナに銃口を向ける事はないだろう。
そう判断したレイは中身の入った缶コーヒーを、手前側の男の側頭部へと投げつける。
投擲された中身の入ったスチール缶はフィオナをワゴンへ押し込もうとしていた男の側頭部へ叩きつけられ、男は突然の激痛に血を流しながらしゃがみこんでしまう。
もう1人の男がレイという突然現れた襲撃者に気付き、スリングで肩から提げたライフルを構えようとするも速度に乗ったレイに対抗するには遅すぎた。
一気にフィオナとその男に駆け寄ったレイは、しゃがみこんだ男の頭を力強く踏みつけて踏み台にし、銃を取り出そうとする男の顔面を全力で蹴りつける。
コンバットブーツのスティールトゥは男の顎を砕き、男はかつて味わったことの無い激痛に声を出せぬまま地面へと倒れこむ。