ゴブリンとお姫様
ずんぐりで、むっくり。丸っこい姿は胴だけで身体の8割を占めている。ちょこんと付いた足でせっせと走ると、装着しているマスクのせいなのか、息がすぐ荒くなる。
「フゴー、フゴー」
腰を落として小休止。ととととと、と心拍数は分に200近くまで昇る。
ゴブリンの価値観で言うところ100mはなかなかの長距離なので、小刻みに休憩をとらなければ酸欠になりかねない。それでもマスクを外したくないと思うところが、これゴブリンの矜持というものだ。
「ゴビ! 早くいかないとすぐ追いつかれてしまうゴビ! 急ぐゴビ!」
「フゴー、フゴー……。ま、まってくれゴブ。こっちは人間を一人担いでいるんだゴブ。むりむりゴブ」
しかも時々暴れてはその足が、見事にも顔面へとめり込むのだから俄然HPが足りない。
「もー、しょうがないゴビな。一緒に担いでやるゴビ」
「助かるゴブ」
そうして足の方を持とうとしたゴブリンAの顔面へ、つま先がめり込んだ。
「ぶほごぉっ!!」
「ムームー(さわるな)!」
猿ぐつわをされたお姫様の口から、抗議の喘ぎが漏れる。
「あ、暴れるなゴブ、大人しくするゴブよ!」
ドタバタするお姫様の体をなんとかホールディングし、頷きあうとゴブリンたちは再び走り出した。
向かう先は残党ダークエルフのアジトである地底湖だ。人間の都からだと南西に2キロほど離れた森の洞穴が一番の近道となる。そこまで行けばいくら知恵に定評のある人類といえども容易に辿りつくことはできない。さすればお姫様の出自である王家から、タップリの身代金を要求することが叶うのだ。
とはいえ人間相手にそこまでの荒行をする勇気や力は、ゴブリンにはない。せいぜいがダークエルフと取引をするくらいで、お姫様(人間)との交換を条件に金や食料、魔器などを頂いたらあとはさっさとトンズラをこくだけだ。それが真っ当なゴブリンの生き方であり、能力のない幻想生物のセオリーなのである。
「そろそろだゴブ! 全力でいくゴブよ!」
おー! と声を揃えかけた二匹の顔面に、またしても強力なケリがめり込んだ。
☆☆☆
暗闇にほっと松明が灯り、ゴブリンAの顔が浮かぶ。
「気を抜くなゴビよ」
「わかってるゴブ」
洞穴の奥はかつてエルフたちがミスティルを求めて使っていた坑道に続いている。
ごつごつとした狭い道程はかすかに下方へと傾斜しており、無論その奥は真っ暗闇で何も見えない。右へ左へ岩肌をしばらく進んでゆけば道は途中で二つに分かれる。さらに奥に進んでゆけば再び分かれ、その先もゆけばゆくほど途方もなく道は分かれてゆく。なのに、この洞穴には目印がない。事前に地図を手に入れなければ、地底湖へとたどり着けないどころか地上に戻ることさえ難しくなる。下手をすれば命すら失いかねない危険な(コワい)ところだ。
「ダークエルフはゴブリンにとって敵ではないゴビ。けどやっぱり侮れないヤツらだゴビ。つい最近も行商人がエルフの残党にぶっ殺されたばかりゴビ。ピンチになったらこの『呪符』で姿を消してトンズラこくゴビ」
ゴブリンAの差しだす茶けた羊皮紙を受けとり、ゴブリンBがその枚数を確認する。
「こ、これしかないゴブ? こいつはどうするゴブ?」
「ムー!」
暴れるお姫様の足をひょいと避けつつ、Bが訊ねた。
「それはもう、なんていうか仕方ないゴビ。世の中は不景気で逼迫しているゴビ」
そもそも金銭不足と食料不足がゆえ、ココまで危険な道のりを突っ走ってきたのだ。保険のためとはいえ、買えば値の張る呪符をそう易々と調達することはできない。
「でも、それじゃあせっかくの計画がパアになっちゃうゴブ。人間のお姫様ならドアーフにも需要はあるゴブ。高く売れるゴブよ。そしたら……そしたらいーっぱいご飯食べられるゴブ」
「心配するなゴビ。まず先におれが行って話をつけてくるゴビ」
☆☆☆
「ムー!!! ムームー!!!!!」
姫があまりにもドッタバッタ騒ぐので、エルフたちにバレるのではとハラハラドキドキが止まない。
洞窟内に響くあまりの音に、ゴブリンBの肝が耐えかねた。
「わ、わかったからさわぐなゴブぅ――――!! エルフに聞こえちゃうゴブよぉ――――!!!」
どうにか静めさせるために猿ぐつわだけは外してやる。
すると解放された口で思いっきり深呼吸をした姫が、やがてキッと睨みつけてきた。
「サイテーね! この世のクズよ! 人でなし! ゴブでなし!」
べー、っだ! と舌だしで罵ると顔をぷいする。
確かにやっていることは罪深い誘拐行為だ。が、人間なんかにそんなことを責められる筋合いはない。
もとよりこの大陸は精霊族のもの。それを人間たちが疫病の蔓延だか食料不足による飢餓問題だかで流れこんできて、侵略を始めたのだ。あの人間王アーサーが最悪の凶器「エクスカリバー」で精霊族の長である「竜王」を大陸ごとぶった斬ったその日から、精霊族いわんやゴブリンたちの世界は一変した。
まず生活の拠点とすべき土地がなくなってしまった。人間と精霊族たちとの戦争ですでに多くのゴブリンたちが戦死していたけれど、それでも残党ゴブリンの多くは自分たちの住処を立ち退かなければならなかった。人間たちが真っ先に「開拓」を行ったのが大陸の南東、ゴブリンの故郷である平原だったからだ。
そしてゴブリンたちを最も苦しめたのが食糧難。食い物がないのは本当につらい。おなかはぐぅぐぅ言うし、子供たちは泣く。なのに母乳を与えられるほどの栄養を、母ゴブリンたちは摂取することができない。