ぼくの素性
ありえない……
薄闇になった空の色は、日の出が近いことを示していた。ヨロヨロと宿屋を出たぼくは、人気のない路地の片隅で肩を落とす。
ルーリスは、刻印師という肩書を使って、宿泊代金を後払いにしていたそうだ。宿に泊まって仕事をし、その代金で払う、という口約束がされていたようで……
宿の主人は、刻印師の仕事によって、ルーリスの元へ莫大な金額が動くだろうという計算をした。さらに上乗せするからというルーリスの言葉、そして刻印師を泊めた宿ということで、評判を高められるという下心が働いて……だから後払いも了承し、一番上等な部屋に案内した。
それが二人とも連れ去られたいま、代金踏み倒されてはかなわないと、ぼくに矛先が向かったのだ。
いくら他人だと言っても信じてもらえず、揚句ここから出さない、もしくは警備兵に突き出すと脅されて、泣く泣く腰帯に縫い込んでおいた虎の子で立て替えた。
ぜったいルーリスから取り立ててやる!
あの二人を追うための理由がみつかって、どこか安堵する自分がいるが、今は考えないことにする。
さて。セド達がどこへ連れ去られたかを突き止めなければならない。ぼくがみた映像からでは、顔も隠されていて特徴があまりつかめなかった。ただ、剣の形に見覚えがあった。幅広の片刃で、剣自体の重さを利用し相手を叩き潰すのだ。そして、この剣を好んで使う国がある。
それは、ここルマーズの隣の国、アルマリ。
徒歩で三日、乗合馬車なら一日ほどで着く割と近い国で、ルマーズとの交流は盛んだ。ルマーズが交易品を扱う国だとすると、アルマリは工業都市。金属加工はお手の物で、日常に使う鍋や釘はアルマリ産が最高の品質だとうたわれている。もちろん、武器も。世界で名だたる武器防具の数々は、アルマリから生まれたといってもいい。ぼくの家の店にある商売道具も、やはり大半がアルマリ産だ。
こうなるとアルマリが世界で巨大な力を持っていそうだが、鉄鉱石は隣のラスメリナから買っている。ラスメリナといえば鉱山を多く持つが、世界最強ともいわれる竜が住み着く場でもある。命がけの掘削にはそれ相応の賃金が支払われ、隣国アルマリから武器を仕入れたり、ルマーズから食糧や日用雑貨を輸入する。
ラスメリナ国はレーン国と関係が悪く、何年かは小規模な戦闘が起きていたが、近年両国とも王が代わり、友好国となって交易が盛んになった。それぞれ国の特性があって拮抗しているが、今のところ落ち着いている、と思っていたけれど……
アルマリの剣を持つ黒頭巾の男。セドとルーリスのみ狙っていたこと。今、ぼくの手にある情報はこれだけしかない。なんとかして手がかりを探さないと、今のままでは見つけ出すなど不可能だ。
ルマーズで力になってもらえるといったら、あの人だけれど……忙しい人だから、手を煩わせるわけにはいかない。
ぼくは、唯一セドと繋がりがあるあの店のおじさんを訪ねることにした。
ちらほらと商売用の仕入れに来る客めあてに、品出しを始めている大通りの商店。日中の人出が信じられないほど静かだ。
セドが迷って迷って辿り着いた店だが、ぼくは迷いもせず到着する。早朝故に訪ねていいか迷ったけれど、店内に動く気配が感じられた為、思い切って扉を開いた。
「いらっしゃい。まだ準備中なんだ……ん? おや君は」
「おはようございます。朝早くにすみません」
昨日初めて会ったぼくが突然訪れたにも関わらず、おじさんは丸々したお腹をポンポン叩いてにっこりと笑った。
昨日のセドとの距離感といい、おじさんはセドの抱える何らかの事情を知っているのだろう。
おじさんは手を止め、作業台のそばに置いてあった椅子へ座り、ぼくにも椅子を勧めてくれた。しかしそれを断り、ぼくは立ったまま単刀直入に尋ねることにした。
「セドが……何者かに襲われ、連れ去られたようです」
「な……なにっ!?」
座ったばかりなのに勢いよく立ち上がり、椅子がガタンと大きく音を立てて倒れる。ハッとして椅子を直すと、ヨロヨロと再び椅子に力なく腰を落とした。肩を落とし、おじさんは体中の力が抜けるようにため息をついた。
「とうとう……」
とうとう?
事情を知る上に、手がそこまで迫っているのを理解していた口ぶりだ。ぼくはおじさんの傍まで歩み寄る。
「どういうことなんですか? セドはいったい……」
おじさんは僕を見上げ、困ったように眉を寄せたが、小さく首を振った。
「おいそれと言える事じゃないんだ。それに君の命に係わるぞ」
「ぼくは、野盗に追われるセドを見ました。そして居場所すら知らないのに、刻印師を探し求めなければならないほど、追い込まれた事情があるんだろうと察しています。それよりも……ぼくは、刻印師と名乗ったあの女を許せないのです」
「名乗った、とは?」
「あの人は、偽物です」
「何っ!?」
目を向いて驚くおじさんに、ぼくは淡々と言葉を重ねる。
「そもそも、歴代の刻印師は一切表に出てこないんですよ。仲介者に会うのすら困難なのに、こんな大都市の大通りにある宿で公然と宿泊するわけがありません。そもそも当代はボーデ村にいますし……そういう詐欺は昔から多々発生していますからね。あの人もそういった手合いに違いありません」
「ユーディ、といったね。君はどうして……」
キッパリと言い切るぼくに、さすがに不信の目を向けるおじさん。
それはそうだろう。刻印師の名前は世界中で知れ渡っているが、当代の居場所まで答えられるものは皆無だ。嘘でない限りは。
「おじさんから情報貰うのに、多少はこちらも出さないと、と思いまして」
「と……当代……が、ボーデ村に……」
ごく、とおじさんの喉が鳴った。
力を欲する者すべてが憧れる唯一の存在がすぐ近くに住まうと知り、その過分すぎる情報に体が戦慄いた。刻印師の居場所を知りたいものは星の数ほどいる。ささいな情報すら金になるのに、あっさりとぼくはおじさんへ漏らした。
「い、いいのかい? そんなことをわしに言っても」
「おそらく、おじさんは信用に足る方だと思います。――あ、すみません。そこの卓上にある小瓶を貸してもらえませんか?」
ぼくが唐突に小瓶を、というのでおじさんはきょとんとしたが、商売用の墨壺をぼくに手渡し――
その手をぼくは掴み、素早くおじさんの手首に反対の手の指で何かをなぞる。
「な! なにをするんだ!?」
「保険です」
目的を果たすと、掴んだ手を開放する。おじさんは、ぼくが何かしらを施した手首を上下左右に眺めるけれど、これといって変化がないのに首を傾げる。それはそうだ。目に見えるものではないから。だって――
「おじさんは漏らす人ではない。けれど、完全ではありませんからね。処置をしました」
「処置……?」
「ええ。口を割らない、それは誰だって言うは容易いでしょう。しかし、もし拷問にあった場合どうなります? 自分の大事な人を人質に取られたらどうなりますか? その場合、引き換えにするでしょうね。セドを介し、二回しか会った事のない他人のぼくと天秤にかけたら安いものですから。だから、漏れることのないように、少し」
自分の手のひらを見下ろしながら、ぼくはゆっくりと『その言葉』を口にした。
「ぼくは、刻印師です」
おじさんの喉が、キュウ、と絞ったような音がした。
目をめいいっぱい見開き、血の気が引き、カタカタと小刻みに体が震えるのが見て取れる。
その反応を冷静に受け取りながら、ゆっくりとした口調で伝えた。
「おじさんの手首に、一切口外できない刻印を打ちました」
※活動報告にちょっとしたネタバレ? を書きました。