見た目も才能
心臓が止まったかと思った。
ビクッと身を竦ませて立ち止まる。え、えっと……どういうことだろう?
揺らぐ気持ちを押さえ、背後に耳を澄ませた。
「俺はもう一度ボーデ村に行って、刻印師に頼む。そうしたら何もかも良くなるんだ。だからおじさん、これは大事だけれど……」
「いや、これは君から離してはいけないものだ。それに――刻印師の話だが、噂によると君と入れ違いにこの街へ来ているらしい」
「えっ、本当ですかおじさん!」
どういうことだろう?
ぼくは回れ右をして二人に向き直った。セドがあの場にいた理由って……それが目的で?
「そこの食堂あるだろ? そこのおかみさんが言ってたんだ。それこそ一昨日ふらっとやってきて飯食って、世間話をしていたら『刻印師』と名乗ったそ――」
「おじさん! ありがとう行ってくる!」
セドは先ほどまで押し問答していたのを忘れたように、パッと身を翻したかと思うと、ぼくには目もくれず慌しく店を飛び出した。
えっ、えっ!? とあっけにとられていると、おじさんが「最後まで聞けというのに。ハハ……仕方のないやつだ」と笑い、丸々と突き出た腹を揺らした。
「え、と……おじさん、セドは何をしに?」
「刻印師に会いに、だよ。アイツがたった一人でボーデ村に行ったのも、それが目的だ。そこを野盗に狙われて身包み剥がされたなんてたまたまなのか、それとも……。その上、目当ての相手はこの街にいるとは全くツイてない」
やれやれ、とおじさんは腰を叩きながら椅子に座った。
たった一人で……あんな絵に描いた様なお坊ちゃんが一人で森の中にいたことへ疑問は持っていたが、最初から一人で村に来るつもりだったのか。いくらなんでも上流階級の人間が一人旅なんぞ無茶にも程があると思うのだが。
これはどういったことなんだろう……
内心混乱しているぼくを見て、おじさんは「おや?」と首を傾げた。
「ユーディ、とか言ったね。アイツの連れじゃなかったのかい?」
セドは刻印師を探しに飛び出してしまい、帰ってくる気配が無い。
――ぼくはこの街に着いたら、面倒ごとに関わるのはもう沢山とばかりにセドと別れる気でいた。しかし気になる事情が出来てしまい、それをこの目で確かめねばすっきりしない。
おじさんに食堂の場所を聞きだし、ぼくはセドの後を追った。
たどり着いたそのお店は、どこの街にもある一般的な形態で、一階が食堂、二階が宿屋という造りであった。昼時の混雑は解消されているだろう時間帯だが、それでも何組かワイワイと賑わいを見せている繁盛店のようだ。こちらも初めてのお店なので物珍しくキョロキョロしていると、年若い給仕の女が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「いえ、知り合いを探しているのですが……このくらいの背丈で、顔がやたらいい――」
「あ、分かりました! あの方ではありませんか?」
ポッと頬を赤らめて、入口から死角になる位置の卓を指し示す彼女。……そうだよね、顔だけ見るならそうなるだろうね。
ぼくは礼を言ってセドに近寄った。並んだ料理を夢中で食べているセドは、ぼくに気づくと「あっ」と声を上げた。
「……ごめん忘れてた」
「何をですか」
「………………ユーディのこと」
だろうと思った、とは言わずに黙って向かいの席へ腰を下ろした。会って二日目だが、おおよその行動は読み取れるようになっていた自分が怖い。セドの食べているものを見て、途端にぐうっとお腹が鳴った。腹ごしらえに同じものをと注文しようとして、ふと気付く。
「この食事の代金は? セド、お金持っていないですよね」
「親切にもご馳走してくれるというので、お言葉に甘えたのだ」
セドの視線の先を見ると、先ほど案内してくれた彼女がパチッと片目をつぶって見せた。……天然の女たらしだな、こいつ。
脱力しながらまあいいかと食事を頼み、話を切り出す。
「セド、その……刻印師、とは?」
「あっ! き、聞いてた?」
肉が刺さった串を、ぼたっと皿の上に落とした。目を丸くしてぼくをみるが、そもそも刻印師にどうのこうのと叫んでいたのはセドではないか。聞いてたも何も、大声で言っていたから嫌でも耳に入るというものだ。
給仕の彼女が料理を運んできたため一旦会話を切り、離れたのを確認してから声を落として続けた。
「刻印師に会いに、と聞こえたので。あの森にいたのはその途中で?」
聞かれたくないなら答えなくていいから、とぼくが言うと、ゆっくりと首を横に振った。動揺から少し落ち着いたセドは、木の椀に入った汁物をそれはそれは優雅に口へと運んだ。とても上品に食べるため見ていてとても気持ちがいいが、下町の食堂では微妙に浮いている。入口を背後にするぼくは、さりげなくセドを体で隠した。
「――そうだ。ボーデ村にいると聞いてな。ユーディ、君は刻印師を知っているのか」
「刻印師……ですか」
刻印師――
それは、この世界で唯一の技を持つ者の職業。
依頼主が持つ武器や武具に『刻印』を打つことで、過分なる力を発揮できるという技術の持ち主。
ただしこの刻印師の所在は明かされることがない。人嫌いで表に出ることを拒み、正体を知ろうとする者には一切刻印を打つ事を拒む。
自分が聞いたことがある噂をセドに声を潜めて伝えると、小さく頷いて食べ終えた食器を端に寄せた。
「昔、その刻印師に唯一取次ぎが出来る店がこのルマーズにあったのは知っている。その話を当時を知る者達に聞くと、二十年前に店を畳みボーデ村に越したという。ならばその村に行けば所在が掴めるのではないかと思ったのだ」
「しかし、直接は会えないのですよね? いまどき子供でも知っていますよ」
刻印師の力は、途方もなく千軍万馬に値すると聞く。ひとたびその刻印を得ると、使用者の意のままに威力を発揮するのだ。
ある者は力を願い、ある者は魔力を願い、ある者は平和を願った。
過去様々な事件や諍いが起こるが、それにすべて関わっている――ともいわれている。それらは伝承として親から子へ語られたり、それぞれの国が保管する書物に記されたりしているようだ。
つまり、老若男女が大なり小なり刻印師について必ず知っていると言っていい。しかしどれも共通しているのは『刻印師の正体は不明』というところだ。人には違いないらしいが、男なのか女なのかそれすらも定かではない。
この世界の大人でも子供でも会えない事は知っている。それなのに、何故そこまで会いたいのか。
そう淡々と話すと、セドは一旦目を伏せた後、ゆっくりと目を開きぼくを見据えた。
「とにかく時間が無い、刻印師に会うのは無理でも、せめて取り次いでもらう。俺は――」
ぐ、と唇を噛んで再び俯いた。どうやら言う気はなさそうだ。
ぼくはといえば、やはりセドの若葉色の瞳に引き込まれる。なんだ、この感覚は……
頭を一つ振り、気持ちを切り替えようとすっかり冷たくなった煮込み料理を平らげた。胃に収めた料理でまんぷくになったぼくは、皿を片付けてもらいお茶を一杯追加注文した。これもまたセドの分は無料として提供されたというのが腹立たしいが、頬を赤らめてお茶を出す給仕の彼女に「ありがとう」とにっこり笑って礼を言うセドを見てなんとなく溜飲を下げた。セドは無意識だ。つまり彼女の意図などまったく理解していないただの天然男だということにホッとし……した? ……ん?
「事情はなんとなく理解しましたが……それで? ここにいると聞いてどうしたのですか」
「街に用事があるとかで少し出かけているらしい。ここに宿泊しているようだから、来るまで待たせてもらっているのだ」
「なるほど」
中身は残念なものだが、顔がよく洗練された雰囲気の若い男が過剰なもてなしを受けられるのは、ある意味才能なのかもしれない。使いようによっては……ふむ。
ぼくがとても本人にいえないような算段をしていると、食堂の入口付近から華やいだ声が聞こえてきた。食事をとる客達から一斉に視線を集めるとは一体?
正体を確かめようと振り返ったぼくの目に飛び込んできたのは――