第四章 出航、そして動き出す紅
紅無双
「まったく、情けないわねぇ…。」
「いや、初見であれは結構堪えるよ…。」
この船…正確にはヴィリアントに付き添い続けている悪霊『リリアンヌ』。悪霊…亡霊故、見た目こそ幼女だが実際の年齢は三桁をとうに超えている。
そのリリアンヌに脅かされたアイカとエリゼネアなのだが二人ともすっかり腰を抜かしてしまい、完全にリリアンヌに怯えてしまった…。特にエリゼネアの方は重症で、辛うじて立ち直ったアイカを強引に連れて行き、与えられた部屋へと引き篭もっている。
「怖くて一人で眠れないってパターンっすかね?」
「馬鹿な奴だ。"この船そのもの"がリリアンヌ"婆さん"みたいなものだってのに…痛ってぇ!!」
カザキリがそう呟いた瞬間、天井のライトがいきなり彼の頭に落ちて直撃した。パキャ!!と小気味よくも鬱陶しい音と呻き声が廊下に響く。リリアンヌが亡霊族特有の怪奇現象を実行したようだ…。
「カザキリちゃ~ん?最近"お姉さん"耳が遠いのよ~、もう一度言ってくれるかしら…?」
「何でもありません、ごめんなんさい……。」
「次、口に出したら部屋ごと外に吐き出すわよ…?」
「肝に銘じておきます…。」
リリアンヌは取り憑いた船を己の体のごとく、意のままに操ることができる。先ほどのように、船の一部ならば電球だろうがエンジンだろうが舵だろうが好きに動かせるのだ。
なのでこの船に乗る=リリアンヌの腹の中に放り込まれるのと同じようなものであり、彼女を怒らせることは死を意味する…。
「さてと、改めてお久しぶりね~アスト。」
「はい、お久しぶりです。あと、ジェームズとカザキリも改めてよろしくね?」
「はいっす。」
「おうよ。まぁ、もうしばらく初対面のフリすりゃいつも通りに会話できるだろ。それまで少々面倒だが、我慢するとしようか…。」
流石に今日からいきなり親しくすると怪しまれるが、三日くらい立てばいつも通りにの調子で会話しても言い訳ができるだろう…。それまで他人のフリをするのは心苦しいが、耐えることにしよう…。
そこでふと思い出したかのようにカザキリが口を開く。
「そういえば、ヴァンはどうした?お前が来たってことは、あいつも帰ってきたんだろ?」
「昨夜僕と鬼ごっこしてたせいで今はリゲルと鬼ごっこ。」
「オーケー、なんとなく分かった…。」
「ちょっと待ってて頂戴、私が探すわ。え~と…。」
同時に目を瞑り、意識を集中させるリリアンヌ。どうやら、彼らが今艦内(体内)のどこで何をしているのか確かめているらしい…。
やがて二人がどこに居るのか分かったらしく、目を開けた…。
「ヴァンはブリッジに行ったみたいね。あ、リゲルと紅葉も一緒だわ…。」
エリゼネアを医務室に連れて来た紅葉はすぐさま何処かへ行ってしまった。何をしているのかと思ったらヴィリアントを探しに行っていたらしい…。
「どうやら艦内放送でもやるみたいよ?」
「へぇ…。」
『ピンポンパンポ~ン』
間の抜けた、尚且つ古臭いチャイムが艦内に鳴り響く。それに続いてヴィリアントの声がスピーカーから流れてきた。
『全乗組員に告ぐ。先ほどクローマ侯爵から出航許可が出た。よってこれより我々はイトリア無法地区に向かって出航を開始する!!』
「あれ、まだ動いてなかったの?」
「そうよ。なのにあの御嬢ちゃんはやれ『スピードが速すぎる』だの『運航が下手くそ』だの言ってたのよ?」
「…今すぐ降ろそうかな?」
まだクローマ侯爵の敷地すら出ておらず、ただ上空に浮かんでいるだけだったにも関わらず船酔いに陥ったと聞き、あまりに情けないエリゼネアを本気でここから叩き落そうかと考えたアストだった…。
「あらそれは困るわ。だってあの子、貴族でしょ?」
「ん?…そうだけど、何か関係あるの?」
「ま、こっちの話よん♪」
『この航海は以前にも増して辛い物になるであろう。だがしかし、我々はそのようなものに絶対に屈しないと信じている!!』
何やらはぐらかされた気がしたが特に気にはならなかった。何故なら、さっきからヴィリアントらしくない口調で痛い放送が耳に響いていたからである…。
彼はこういう仰々しくも鬱陶しい格式ばった口調は嫌がってたと思うのだが…。
『それでは諸君、我らの航海に栄こ……。』
『ねぇヴァン、もういいや…。アンタ、似合わないにも程があるよ…。』
『自分でこの罰ゲーム提案しといてなんだが、これは酷いな…。断言してやる、お前は貴族とか紳士には絶対になれない。』
『お・ま・え・ら・なっ!!見てみろ俺のこの真っ赤な顔!!言ってる本人が一番ダメージ受けてるんだよ!!』
放送に混じって聞こえてきた会話から察するに、この厨二臭い放送をすることでリゲルにさっきの件を水に流してもらうことに決まったらしい…。
言ってる本人が一番キツイかもしれないが、聞いているこっちも何かダメージを受けた気分になってしまった…。無法集団の彼らには尚更である。
『気を取り直して…聞きやがれ、飯時と戦闘時にしか集まらないこん畜生共。さっきも言ったとおり、侯爵から出航許可が出た。つーわけでリリアンヌ、早速頼む。』
「お任せよ~。エンジン始動!!」
その瞬間、船に衝撃が通り抜けた。リリアンヌの意思により、船のエンジンが本格的に始動したようである。徐々に船全体の振動が強くなっていく…。
『上出来。ジェームズはゆっくりでいいからエンジンルームに行って来い。ミレイナは昼飯の準備、雑用組みは二人の手伝いだ。』
「うい~す。」
「了解。んじゃ、俺はジェームズを手伝う。」
『あ、お客様はクルーの邪魔しなきゃ自由にしてていいからな?…だがカリーヌ二等武官、てめーは駄目だ。邪魔になるところしか想像できん!!』
どっか遠くの方で彼女が憤慨する声が聞こえた気がするが、おそらく彼の言う通りだろう…。
『最後にひとつ言わせて貰うぞ?…今回はいつもと違うことが多々ある。だが、俺らのやることと比べたらそんなもの些細なことに過ぎねえ。』
だから…と一拍置き、少しの沈黙が流れる。その場に居たアストも含め、歩き出していたカザキリとジェームズ、リリアンヌまでもがヴィリアントの声が流れてくるスピーカーを凝視した。
やがてさっきの無理に気取ったものでは無く、彼らしい口調で彼らしい言葉が聞こえてきた…。
『今回もまた、世界に向かって大いに迷惑を掛けてやろうじゃねぇか!!…出航だ野郎共!!進路は西南、空白地帯中央部。全速前進!!』
「「「「おうっ!!」」」」
轟く乗組員達の掛け声。明らかにさっきまでとは違うリリアンヌ号に伝わる振動。密室の艦内に居るにも関わらず、外で吹き荒れているであろう風達を、アストは確かに感じた気がした…。
『今年の総選挙の結果、大統領は『世界統一党』の『コルト・カラシニコフ氏』に決まりました。カラシニコフ氏は言わずと知れた政界の重鎮であり、俗に言うタカ派の筆頭でした。今までは世間に過激派のレッテルを貼られ表立った動きはありませんでしたが、何も進展しない現政権に見切りをつけた者が続出し……』
「『国家安定党』の次は『世界統一党』か…。今度こそ帝国は変われるのかねぇ?」
「どうせ何も変わらないだろうよ。『安定党』の前の『銀河進出党』の時も同じこと言ってたぜ…。」
「「はぁ…。」」
薄暗いバーで店主と一人の客が同時にタメ息を吐いた。自分たちの国の政権が交代したにも関わらず、他の客も似たり寄ったりの薄い反応である。
何故なら、何も期待していないからである…。
「この国はいつからこうなったんだ…。」
「さあな…。皇帝が政権を奪われた千年前くらいじゃないか?」
二大国家のひとつ、キルミアナ帝国。建国当時は皇帝が独裁制で治めるれっきとした帝国だったが、長い歴史の中で民主制に変わっていった。今となっては皇帝の一族はただの国の御飾りである。
皇帝一人による独裁から国を強奪した当時の民衆は歓喜した。自分達のための政治を自分達で作れるのだ、もう皇帝の機嫌を伺う必要も脅える必要も無い。次々と新たな政権と政策を打ち立て、いつしかマルディウス王国と拮抗するだけの国力を得るまでになった…。
だがここで新たな弊害が誕生した。いつしか共喰いが始まってしまったのである…。
皇帝一人による独裁制と違い、民主制になってからは多くの人間の意見が用いられて話し合う。人間それぞれ別の意見や考えを持つ故に、次第に会議の場は意見の交換をする場所ではなく衝突させる場所へと成り下がってしまった…。
年々それは激化の一途を辿り、ついには政界での謀略や暗殺は当たり前の世界になってしまった。酷い時には戦場での戦死者より政権争いで死んだ人間の方が多い年さえあった…。
いつしか民衆と政治家は別物になった。最終的に各政党が独自の戦力を所持し、戦争中のマルディウス王国そっちのけで醜い権力争いに没頭しているのが現状である。国全体の方針が数十年ずっと決まることなく迷走を続けているのが今の帝国の実態なのだ…。
「王国に滅ぼされる前に自滅しそうだな、この国は…。」
「かと言って魔力の無い俺たちは王国に亡命なんてできねぇし、空白地帯は物騒だし…。」
王国の人間は魔力を持たない存在は人として見ない傾向にある。空白地帯の人間は勿論のこと、帝国の人間も例外なくそうである。
それ以前に帝国の二倍の広さを持つイトリア無法地帯…通称空白地帯をただの一般市民が渡りきることなんて不可能…。
結局、この帝国以外に生きる場所なんてありはしないのだ…。
「お前さん、これからどうするんだ?」
「どうせいつも通り働きに行って、いつも通りに愚痴を零しに帰ってくるさ…。」
「邪魔するぜぇ!!また来てやったぞマスター!!」
男が席を立ち去ろうとしたその時、野太い声と共に店の扉が乱暴に開かれた。突如店に響いた騒音に客の視線が入り口へと向けられた。するとそこには、細かい装飾品が付けられた緑色の制服…帝国軍人の軍服を纏った男が6人、イヤラシイ笑みを浮かべて立っていた。
さっきまで目の前の男と会話していたマスターはその姿を見るや否や顔を青くした…。
「い、いらっしゃいませ少尉殿。今日はどういった御用件で…?」
「何を言ってやがる、飲みに来たに決まってるだろうが。」
「ですが、前回の代金がまだ…。」
「今度まとめて払うって言ってるだろ。それとも何か?俺らに文句でもあるのか…?」
「い、いえ滅相もございません…。」
政治家一人の権力は都市ひとつ支配することなど容易いものである。それ故、その支配下において彼らの身内や部下と敵対することはその街そのものが敵になることなど当たり前のことである…。
マスターの知人である常連客の一人は以前、この少尉と揉めたことがある。その翌日、その知人は街のゴミ捨て場でバラバラの状態で打ち捨てられていたそうだ。後で知ったことだが、この少尉の父親は街の企業家であり、この街を支配している政治家の従兄弟だったそうだ…。
そのため、どんなに理不尽なことをされようが街の人達はこの男に逆らう勇気など持てなかった…。
「分かりゃいいんだよ分かりゃあ…。よし、お前ら今日は俺のオゴリだ…なんつってな!!」
「ありがとうございます、少尉。」
「おら、席譲れクズ共。こちとら命懸けで戦場に出てるんだ、少しは感謝しやがれ!!」
少尉と呼ばれた男を筆頭にゾロゾロと店に入ってくる6人。客たちは脅え、そそくさと店から退出していった。実質彼ら6人の貸切状態である…。
「お?…少尉、あれ。」
「なんだ軍曹……ん?あれは…。」
---カウンター席の端っこに座る彼女を除けば…。
その女性はバイクにでも乗ってきたのだろうか、白い横ラインが入った赤いライダースーツを身に付けていた。年は20代前後、髪は長めの茶髪を髪留めで短く纏めており、瞳は緑色である。
まるで何かを思い悩むかのように、憂いの影を帯びて店のワインをチビチビと飲んでいた…。
「ヒュ~、結構な上玉じゃねぇか…。」
「ですよね、ですよね!?」
「少尉、軍曹!!俺が声を掛けてきます!!」
「よし、許可する。行ってこい伍長。」
「イエス・サー!!」
彼女に目をつけた彼らは彼女を引き込もうと声を掛ける。これまで権力者の威を借りながら好き勝手やってきた彼らは、どんな形であれ彼女がこちらの誘いに首を縦に振ることを信じて疑わなかった…。
どうせ断ろうとしたところで軍服を見せ付けるなり暴力で屈服させてしまえばいいのだ…。
そんなことを考えながら、伍長と呼ばれた男は意気揚々と彼女に近づいていった。そして、接近するや否や彼女の肩に手を置きながら早速声を掛ける。
「よう御嬢さん、俺たち軍人さん達と一緒に飲ま…………」
「寝言は永眠してから言え、ブサイク。」
マスターを含め、そこに居た全員が思わずあんぐりと口を開けてしまった…。彼女は、権力者の飼い犬には絶対に逆らわないという暗黙のルールを破るだけに止まらず、あろうことか罵倒したのだ。
まさかの展開に言われた本人はショックで呆然とし、少尉は激昂した。
「このクソアマ!!俺らは帝国軍人だぞ!?逆らえばどうなると思ってやがるんだ!?」
「うるさい、黙れ、ムサ苦しい、失せろ。さもなくば自然消滅しろ。」
「て、てめぇ!!ふざけてんのかああぁぁぁ!?」
一般人が聞いたら思わず竦んでしまう様な怒号。だが、それにさえ彼女は少しも動じない…。座ったままグラスに入った赤ワインをまた一口飲みながら答える。
「そもそも帝国軍規に『市民を傷つけた者は徹底懲罰』というものはあれど、『軍人に不敬を働いた者を罰する』なんて法律は無い筈だが?」
「うるせぇ、そんなもん関係ねぇ!!おいてめえら、この女を半殺しにしろ!!そのあと全員でヤっちまえ!!」
「軍曹、あまり殴り過ぎるなよ?傷物とやるのは気が乗らねえからな。ぎゃははは!!」
「おう、任せとけ!!」
「悪いがちょっと痛い目にあってもろうか!!」
殺気を滲ませ、下衆な笑みを貼り付けながら迫りくる男たち。一般人であるマスターは店の奥の方に逃げていってしまった…。
「やれやれ、しばらく帰らないうちに物騒になったものね…。」
彼女は呆れたように呟いた。自分の想い人と会う為にしばらく前線に留まっていたが、先日帰還命令を受理して街に戻ったらこのザマである…。
「入隊したての4年前が懐かしい…。」
あの時はまだ辛うじて忠誠を誓うだけの価値と誇りを持つ価値がこの国にはあった…。今となっては見る影も無いのが残念で仕方ない…。
「さっきから何をブツブツ言っ(コキャキャ)……コキャキャ?」
再び伍長の言葉が続くことはなかった。何故なら…。
---彼の右腕の間接が全部外されていた…。
一切力が入らず、あらぬ方向に曲がったままだらんとぶら下がった右腕。それを認識した瞬間、彼の意識に激痛が遅れてやって来た…。
「あ、あぁ…俺の腕があああああああああああああああゲフウっ……!!」
「本当にうるさいだけだな、お前ら…。」
「ご、伍長!?」
激痛で叫んだ彼が残った左腕で腹部を抑えながら崩れ落ち、そのまま沈黙した。おそらく間接を外された後に腹に一撃喰らって失神したのだろう…。
やった張本人はグラス片手に座ったままこれをやったようだが…。
「こ、こいつ…!?」
「うろたえんな!!一斉にかかれ!!」
「うおおおおおおお!!」
先ほど軍曹と呼ばれた男が彼女に勢いよく彼女に殴りかかる。常人からしたら、当たれば骨の二本や三本平気で折れそうなそれを少女と言っても過言では無い見た目の彼女に放つ…。
だがそれを彼女はつまらなそうな視線で一瞥し、空いた左手をかざした…。
「へ?…うごわっ!?」
ガシャーン!!と音を立てながら拳を放った筈の軍曹は吹き飛ばされ、そのまま店の飾りであるガラスのショーケースに突っ込み気絶した。
それを確認した彼女はようやくグラスを置いて立ち上がりつつも、ろくな構えも取らずに残った4人と向かい合う…。
「おらぁ!!」
4人のうちで一番近かった一人が殴りかかってきた。それに対して彼女はさっきの軍曹を投げ飛ばした時と同じように、拳を受け止めるかのように片手をかざす。拳と手のひらがぶつかる刹那、二人はすり抜けるかのごとくすれ違った。
手のひらをかざした彼女は何事も無かったように歩き続け、拳を放った男は…。
「ぐあああああああああああああああああ!?」
振りぬいた筈の腕が真ん中からバッキリと折れていた…。
「クソッタレ!!死ねえぇ!!」
さらに仲間を負傷させられ、激昂した一人が回し蹴りを放ってきた。しかし彼女は軽く身を反らすだけでそれを回避し、そのままバクテンしながら相手の顎に蹴りを叩き込んだ。男は何も言葉を発することなく沈黙した…。
「畜生!!殺してやる!!」
今度の男はナイフを引き抜いて襲い掛かってきた。ナイフを逆手に持ち、それっぽい構えで切りかかって来る。あくまでそれっぽいだけだが…。
振り下ろした手首をあっさり片手で掴み、もう片方の手でナイフを持った腕の脈の部分を勢いよく突く。男は思わずナイフを手から離してしまい、それを瞬時に掴み取って彼の首筋に押し当てた…。
「なっ!?」
「素人が…。この騒動が終わったら二度とその制服を着るな!!」
「ゲブふっ!?」
返事を待たずして喉に拳を叩き込み昏倒させた。ナイフの男が崩れ落ちると、視界に最後に残った少尉と呼ばれる男が目に入ってきた。
震えた腕でこちらに拳銃を向けているが…。
「う、動くんじゃねぇ!!動いたら撃つぞ…!!」
「…。」
彼女は躊躇無く一歩踏み出した。拳銃を向けているにも関わらず、脅しを完全に無視するという反応に彼は一層追い詰められる…。
こっちは屈強な男が6人いた…。にも関わらず、このガキと言っても差し支えの無いこの女に自分たちはゴミ処理をするかのごとく片付けられていった…。
自分たちに歯向かう者などいない…そんな彼の常識が着々と崩壊していった…。
「動くな!!来るな!!うわああああああああ!!」
---パアン!!
震えが止まらない指で、彼は引き金を引いた。響く一発の銃声、そして…
---キィン!!
「な…に……?」
ナイフで銃弾が弾かれた音だった…。撃たれた筈の彼女はナイフを持った腕を左から右へとなぎ払うように振り抜いた姿勢を維持していた。
そしてその腕を今度は右から左へと振るい、ナイフを少尉が持っている拳銃に投げた…。
---ズガッ!!
「うわぁ!?」
残像すら見えそうな速度で投げられたナイフは拳銃に直撃し、見事に粉々になってしまった。少尉は完全に戦意を喪失してしまい、その場に膝から崩れ落ちた…。
「今時リニア機能も付いていない拳銃に露店で手に入るようなチャチなナイフ…。貴様ら、軍人は軍人でも街の警邏隊だな?」
街の警邏隊は確かに軍属である。だが、彼らの任務は街の警備であって滅多に戦場に出ることは無い。それ故拳銃は骨董品、警棒ならまだしもナイフに至っては所持する義務などない。
もっとも、化け物のような実力を持つ彼女を前にして彼の思考は若干麻痺しており、彼女の呟きはあまり耳に入ってないようだが…。
「お、お前はいったい…?」
「いい加減に不敬罪でシバくぞ少尉…。私は対魔装甲機兵団所属『フィノーラ・ヴェルシア』大尉だ。まさか、この後に及んで貴様の父親がどうにかしてくれると思ってないだろうな?」
「対魔装甲機兵団!?…しかも、フィノーラって『クリムゾン・ストライカー』の!?」
帝国最強を誇る特殊部隊『対魔装甲機兵団』。基本的にこの部隊はどこの政党にも派閥にも付かないが、その代わりに街が危機に陥った場合は例外なく防衛戦最終兵器になってくれるため、帝国中から重宝されている。
その価値は目の前のチンピラのような警官紛いとは比べるまでも無い。ましてや彼女は部隊を代表するエース。彼女と揉めたと発覚すれば切り捨てられるのは間違いなく…。
「お、俺が悪か…いや、自分が間違ってました!!だからどうか…!!」
見逃してください!!綺麗な土下座をかましながら彼は許しを請う…。自分から絡んで来た挙句に殺人未遂と強姦未遂、それで尚且つ返り討ちにあって見逃してくれとはいささか虫が良すぎる…。
それでも、フィノーラは満面の笑顔で答えてやった。
「……貴様のことはよ~く分かった。だから許してやろう…。」
「ほ、本当ですか!?」
プライドをかなぐり捨て、額を床に擦り付けながらの懇願により指した一筋の希望。思わず顔を上げると、床で真っ黒だった光景が一転して美しい笑みを浮かべたフィノーラが視界に入ってきて…。
「あぁ、一発だけで許してやる。」
---顔面に飛んできた回し蹴りで再び真っ暗になった…。
「ふぅ、やれやれ…。おっと、繋がったか。レナード中尉?」
『はい、どうかしましたかヴェルシア大尉?』
酒場のチンピラ警邏隊をコテンパンにしたフィノーラは店の外で部下に連絡を取っていた。さっきの6人は縛り上げて店の中に転がしてある。
「迎えを含めて何人か寄越してくれないか?ちょっと馬鹿共に灸を添えてやったのでな…。」
『またですか…。彼氏さんに会えないからって鬱憤溜まってるんじゃないですか…?』
「その通りだが?」
『開き直りましたね…。』
半年前に受けたプロポーズ…。それに首を縦に振って答えたものの、互いの立場はそんなに簡単なものではなく、中々会うことが出来ずにいた。
先日も碌な会話をすることもなく別れてしまい、悶々とした日々を送っている。その憂さ晴らしを兼ねての飲んだ暮れと馬鹿潰しであり、副官であるレナード中尉が日頃寝不足に陥る原因なのだが…。
『何はともあれ、そろそろ何かしら特別手当てを要求していいですか?』
「言ってみろ。」
『女口調の大尉と一日デート!!』
「よし、そこを動くな。今すぐシメに行く…。」
『冗談です…。ハァ、唯一大尉の女口調を聞けるという噂の彼氏さんが羨ましいですよ…。』
それを最後に通信は切られた…。実を言うと、フィノーラがアストと付き合ってるのは彼女の部隊では周知の事実である。流石に名前と敵国の精鋭であることは発覚してないが、空白地帯の住人ということで通っている。
なんでそんなギリギリな設定が信じられているかというと、帝国は王国ほど空白地帯の人間たちに敵意を向けていないということもある。だが、何より…。
「まさか、王国から追われるの覚悟で私を助けるなんてね…。」
半年前、フィノーラは王国軍に捕まり殺されそうになった。その時に己の身を顧みず、自分の味方をなぎ払いながら彼女をアストは救い出したのだ。
その時に、彼が自分の仲間にまで黙っていた『秘密』と彼女に対する想いを告げられたのだが、その詳細はまた今度に語る(惚気る)としよう…。
「その後アストがどうにかそれを誤魔化せて国に帰れたのは良かったのか悪かったのか…。」
その出来事の後アストとはしばらく音信不通になり、気が気ではなかった…。ところが、ある日突然何事も無かったかのように戦場で再会を果たした。
いや、一層に互いのことを意識するようになったので何事も無かったわけでは無いか…。
「……とにかく、早くまた会いたいわ…。」
---私の『女の部分』を思い出させてくれた、彼に…。
するとその時、ポケットに仕舞ったフィノーラの通信端末に再び通信が入る。取り出して確認すると、それは自分の直属の上司であり装甲兵団の指令官でもある『ロンバル少将』からの物であった。
内容はメール形式による指令状。それに目を通した途端、フィノーラの表情が変わる…。
「……あなたに感謝するのは久々ですね、少将閣下…!!」
彼女は通信端末を閉じ、おもむろに視線を街の北方向…空白地帯に向けた。
「待ってなさいアスト、今度は長く話せそうよ…!!」
新たな任務を受け取った彼女の表情は、さっきとは違い本当に嬉しそうだった…。
『緊急任務
本日未明、マルディウス王国より一隻のレイスター級が出航したのが確認された。そのレイスター級は先日、蒼風一味により強奪されたものと同一と思われる。よって、ここに空賊追討任務を命じる。
尚、この船には王国の兵士が数名乗り込んだ模様。その中には『マルディウスの黒牙』も確認されているため、激戦になることが予想される。
これらを含めた詳細説明を司令部より受けた後、速やかに任に就くこと。
対魔装甲機兵団総司令・ロンバル少将』




