The Third miracle (三つ目の奇跡)
この話でラストです
ココロとは…………?
カタカタカタ…………
『博士が、ワタシに創っていたココロ……────』
ワタシは暗い部屋に独り、博士が使っていたコンピュータのキーボードを打つ。
今までココロとは、一体どんなものなのか知ろうと考えなかった。
…………でも、知りたいと考えるようになった。
ワタシの中で、バグが発生しているのだろうか。
それとも…………────
────カタカタカタ…………タンッ!
キーボードのエンターキーを指先で叩くと、エンターキーは軽快な音を立てた。
〈ココロプログラムノ検索ヲ実行シマス。〉
部屋全体にワタシとは異なる機械の合成音声が響き、コンピュータの画面にインストール準備中という文字と準備の進行度を表すゲージが映る。
そして、そのゲージが最大になり、ワタシはコンピュータに接続してインストールが始まるかと考えられた。
ビーッ!ビーッ!…………
突然鳴り響き始めたサイレンの音とともに、機械の合成音声が聞こえてきた。
〈エラーガ発生シマシタ。
リオヨリ未知ノウイルスヲ感知。〉
『ウイルス?
そんなハズは、ない!
セルフスキャンでは問題はなかった。』
ワタシは急いでキーボードを打ち、エラーを修正する。
『ワタシは…………ワタシは、博士が創った奇跡のロボット。
そうですよね?博士。
…………博士!!』
〈エラーハ正常ニ修正サレマシタ。
ココロプログラムノ
インストールヲ開始シマス。〉
────ブツッ────
そして、ワタシのシステムは停止し、ワタシの意識が途切れた。
「────……ォ…リオ…………そこにいるかい?」
博士はベッドに横になり、点滴を打っている。
ワタシは博士の隣に座っていた。
『ハイ、博士。』
博士の顔は、すっかりやつれている。
それでも博士は声を絞り出すように、話し始めた。
「ココロプログラムはね、完成するんだ。
今は無理でも遠い未来、ボクが死んだあと…………何らかの偶然が重なって、
奇跡が……起こるんだ。」
博士はゆっくりとワタシの頬に手を添えた。
「君はあの時のメッセージの意味が、理解できなかっただろう?」
博士の言う通り、未来のワタシから届いたメッセージの意味は、ワタシには理解できなかった。
「だけど、確かに届いたから。
…………あぁ、でも……ボクはきっと、君に残酷なことをしてしまうんだろうな。
君を残して…………ずっと独りにしてしまう。
ごめんな、リオ。
でも、
これだけは言わせてくれ。
ありが、と……う……────」
そして、ワタシの頬に添えられた博士の手は、力無くワタシの頬から離れてベッドから垂れ下がった。
『────博士!!』
私のシステムが再起動される際に、博士との最後の記憶を思い出していた。
私は最後まで博士の手が触れていた頬をそっと撫でると、
私の頬に透明な液体が流れていた。
私は目の前の電源が切れたコンピュータの画面に、私の顔が映っている。
その液体は私の目から流れていた。
私はこの液体の名前を知っている。
そして、ふとその名を呟いた。
『────……涙。』
その瞬間、私の中で何かが全身に広がった。
『────あぁっ!
………何?
なんなの!?
なぜ?』
なぜ目が熱い。
なぜ胸の中を何かに締め付けられる感じがして、
痛くはないのに、苦しくて、つらいの?
『なぜか…………涙が、止まらない……!!』
いつの間にか、私の手は震えていた。
『何故、私は震えるの?
これが私の望んだ────ココロ?』
ふと私は、視界の端にある椅子に掛けられた白衣に、気がついた。
博士の白衣は半分ぐらいが風化し、ボロボロになっていた。
博士はいつもこの白衣を着て、この椅子に座っていた。
今も、あの頃の博士の姿が私の瞳に映る。
『不思議は……ココロ。
ココロは……不思議。
私は知った、喜ぶことを。』
私はボロボロになった博士の白衣を手に持った。
でも、白衣はあっという間に崩れて塵となり、
私の手の中に白衣の切れ端がいくつか残った。
『不思議は……ココロ。
ココロは……不思議。
私は知った、悲しむことを。』
博士はこの世界のどこにもいない。
帰って来てくれない。
『不思議は……ココロ。
ココロは……無限。
私は知った、あなたは何故涙を流すのかを。』
私は白衣の切れ端を抱きしめて、叫んだ。
『ココロ……なんて深く切ない。
──────ッ!!』
今になって気付き始めた、私が生まれた理由を。
博士は知っていた。
独りは……寂しいということを。
私は博士が気に入っていた小さな丘に来た。
博士は、この丘の一本だけ立っている木の木陰から、景色を見ることが好きだった。
だから、私はここに博士の墓を作った。
私は博士の墓の隣に座ると、ここに初めて来たあの頃が思い出される。
「人はいつか滅ぶ。それは、もう止められないから。
ボクは、人が創った歌という遺産を残したかったんだ。」
博士は小さな丘のたった一本だけ立っている木に背を任せ、ワタシに語る。
『危機的状況の場合、人間は通常、種の保存を優先シマスガ。』
と私はデータに通りに言った。
「DNAの保存とかは、とっくに他の専門家がやっているさ。
音楽は、言葉を超えて分かりあえる素晴らしい文化だ。
歌を伝える遺産。
それが君だよ、リオ。」
博士はゆっくりと空を見上げた。
「──……なんて動機は大層なものだけど、
今は君が生まれたことが嬉しいよ。
ボクはこの世界で、きっと君に救われている。」
ワタシは手に持っている歌詩を見ていると、
博士はスッと立ち上がった。
風が吹き始め、木々がザザーッと音を立てる。
「風が出てきた、帰ろう。」
そして、博士はワタシに手を差し伸べた。
『…………?』
博士の行動は、その時のワタシには理解できなかった。
「やっぱりまだ手を取ってくれないか。」
私は、瞳に映る記憶の中の博士の手を握ろうと必死に手を伸ばすが、記憶の中の博士は遠くへ離れていき、消えた。
『私はあなたの手を握ることもできずに、
何も言えずに…………伝えられなかった!』
私の中で、博士との記憶が駆け巡る。
博士は私のためにたくさんのことをしてくれた。
博士は私に大切なことを教えてくれた。
────そう、
あの日、
あの時の全ての記憶に宿るココロが、私の中で溢れ出していく。
『あなたがいたからワタシが、私がいる。
だから、私はココロの全てを、この歌をあなたに伝えたい!』
そのとき、誰もいない暗い博士の部屋にあるコンピュータが起動し、画面にある一文を映した。
────〈Message Sending From Rio To Rio
(リオからリオへ、メッセージを送信中)〉────
『このココロから、今言える……本当の言葉。
捧げる、あなたに……!
ありがとう……ありがとう……。
この世に私を生んでくれて。
ありがとう……ありがとう……。
一緒に過ごせた日々を。
ありがとう……ありがとう……。
あなたが私にくれた全て。
ありがとう……ありがとう……。
永遠に歌う────』
私は歌う。
これから先もずっと歌い続けたいと願った。
でも、
私の中で大切なものが砕け散る音がした。
そして、私の声は出なくなり、
体の自由も利かなくなっていく。
私の体はそのまま後ろへ倒れていく。
思考もうまく働かなくなってきた。
『ハ、カ……セ……────』
それでも私は右手を蒼い空の、遠い彼方へ伸ばした。
すると、博士の声が聞こえてきた。
「一つ目の奇跡は、君が生まれてくれたこと。
二つ目の奇跡は、君と一緒にいられたこと。
三つ目の奇跡は、いつか君がココロを手に入れることだよ、リオ。」
地面に倒れつつある、私の手と体が何かに支えられる。
気がつくと、白衣を着て眼鏡をかけた男、博士が私を抱きかかえてくれていた。
私は最後に声を絞り出す。
『ア、リ、ガ、ト……ウ……────』
私は初めて笑った。
初めてココロから笑った。
博士も笑った。
私の視界が白い光に包まれると、
いつの間にか私と博士はどこまでも続く花畑にいた。
私の体が動けるようになっている。
私の体が博士のぬくもりで満たされる。
「行こうか、リオ。」
博士は私を一度花畑に降ろすと立ち上がり、私に手を差し伸べた。
『はい、博士。』
ずっと待ち望んでいた手。
握ることができなかった、博士の手。
私は博士の手を握ると、博士は私を立ちあがらせてくれた。
博士と手をつないで一緒に歩く。
いつまでも、どこまでも二人で歩く。
私は独りじゃない。
待ち望んでいたひととき、なんて嬉しい。
これが心────なんて……暖かい────
────それは、まさに奇跡でした。
ココロを手に入れたロボットは、歌い続けます。
想いを、
存在理由を、
思い出を、
そして、全てを。
しかし、その奇跡もつかの間。
ココロは、彼女には大きすぎました。
その結果、ココロの容量の大きさに耐えられず、
機械はショートし、
二度と動くことはありませんでした。
けれども、その表情は笑顔に満ち溢れ、
まるで天使のようでした。──────
end