お気に入りの丘で
『────博士、起きてクダサイ…………』
眠りの淵から、リオの声が聞こえてきた。
もう朝のようだ。
『…………起きないのデシタラ………』
う……ん?もう少し眠らせてくれ、リオ。
と言うのも面倒くさいので、ボクは寝返りで意思を示した。
『フゥー。』
「ぅわぁ!」
突然耳元に息をかけられ、ボクはベッドから飛び起きた。
「リ、リオ!?何でこんなことを!?」
『人は息を吹きかけラレルことに弱いというデータを見つけたので。』
「どこにそんなデータが!?」
『秘密デス。』
ボクはふと思い出した。
起動したばかりの彼女は、このようなことはしなかったはずだ。
もしかして彼女の中で、少しずつ心が芽生えつつあるのではないかという考えが頭をよぎる。
そう思うと、ボクは嬉しくなった。
「おはよう、リオ。」
ボクはベッドに座って言った。
『おはようゴザイマス、博士。
コーヒーを淹れ直して来マスネ。』
リオは机の上にあるコーヒーを持ってトテトテ……と小走りで、キッチンへ向かって行った。
ボクは枕元に置いていた眼鏡をかけて立ち上がり、いつもの白衣に袖を通した。
そして、ボクは窓を開けて外の景色を見た。「ふわぁーあ、今日はいい天気だなぁ。」
背伸びをしつつ、のんびりしていると、何かを忘れている気がした。
何だっけ?
『オ待たせシマシタ、博士。コーヒーをどうぞ。』
…………リオ?
あ!
今日はリオの誕生日じゃないか。
「リオ。誕生日おめでとう。」
ボクはコーヒーを受け取り、一口飲んだ。
今日のリオのコーヒーはいつもよりおいしく感じた。『タンジョウビ?』
「そう、誕生日。君が生まれてから、一年経ったんだ。」
『誕生日。博士ハ?』
「ゴメン、分からないんだ。ボクはいつ生まれたのか、今何歳なのか分からないんだ。」
だからこそ、リオの誕生日は祝わないにいかない。
『…………』
リオは黙ってうつむいた。
「今日のコーヒーはいつもよりおいしかったよ。」
コーヒーを飲み終え、ボクは微笑みながら言った。
『…………』
でも、沈黙がつらい。
「…………今日はいい天気だから、外へ行こうか。」
『ハイ、博士。』
ここは辺りを一望できる小さな丘だ。
そこには、大きな木がたった一本だけ立っているが、この木には何か惹かれるものがあった。
だからボクは、昔からずっとこの木陰からの景色が好きだ。
今日、ボク達はここで歌の練習をした。
そして、練習を終えるとボクは昔のように、木に背を任せて座る。
ここの景色は昔と何一つ変わらなかった。
リオはボクの隣に座り、ボクを見ているのか、それとも景色を見ているのか分からない。
でも、ここから見える景色は
雲ひとつない蒼天、
苔やツタに覆われた銀色の滅びた都市、
どこまでも広がる緑の地平線が見えるのだが、今は昔と違って見える。
多分、リオがいるからだ。『博士。』
「どうしたんだい?」
ボクは頭だけを動かして、リオの方を向いた。
『ワタシは何のために生まれたのデスカ?』
予想外の質問だった。
リオが自分自身の生まれた理由を、自分自身の存在意義を知ろうとするなんて────
「────それはね……」
ボクは一体何から話そうか少し悩んだ。
「人はいつか滅ぶ。それは、もう止められないから。
ボクは人が創った歌という遺産を残したかったんだ。」
ボクはいつの間にか真剣に話していた。
『危機的状況の場合、人間は通常種の保存を優先シマスガ?』
リオはデータを見て言ったようだ。たしかにそれはそうだけど。
「DNAの保存とかは、とっくに他の専門家がやっているさ。…………音楽は言葉を超えて分かりあえる素晴らしい文化だ。
────歌を伝える遺産。それが君だよ、リオ────」
ボクは何か気恥かしくなって目線を景色に移した。
「────なんて動機は大層なものだけど、今は君が生まれたことがただ嬉しいよ。
ボクはこの世界できっと君に救われている。」
だって君が……リオが生まれてくれたからボクは、独りではなくなったんだから。
君のおかげでボクは孤独じゃなくなったんだよ、リオ。
とボクは言おうとしたけど、心の中に言葉をおさめた。
風が吹き始め、ザーッと木々が揃って音を立てる。
そろそろ帰らないといけないな。
「風が出てきた、帰ろう。」
ボクは立ち上がってリオに手を差し伸べた。
『…………?』
でも、リオはボクの手を取らずに首をかしげていた。
「やっぱり手を取ってくれないか。」
ボクの期待は裏切られ、少し切なかった。
「…………帰ろうか。」
リオはスッと立ち上がり、ボクらは家に帰った。