売られるはずの伯爵令嬢は、御者と夜を駆ける
短編で出したつもりが連載になっていたので、投稿し直しました。
最初の投稿で評価をくださいました方、ありがとうございます。(申し訳ありません!)
「お嬢ちゃん。途中で泣いて帰るなら、今のうちにどうぞ」
目の前の男は、軽薄な声でそう告げる。
正直めちゃくちゃ腹が立つ。腹が立つ、けど今はそんなことを言ってる場合ではない。
一刻でも早くこの領地から逃げ出さないと。
「途中で帰りなんかしないわよ。急いでるの。あなたの言う値を払うわ――高いけど」
「ふぅん」
声は軽薄なのに、瞳は気だるげ。
髪は肩くらいの金色を後ろで一つに束ねているこの男に、今の私は頼るしかないのだ。
「じゃあ乗って」
男は軽やかに馬車に乗ると、車体の横についている小さなステップを指した。
小型の幌付き二輪馬車なんて初めて見る。横についた小さなステップに足をかけて、御者台の脇へよじ登るらしい。
「これに足をかければいいのね」
「危なっかしいなぁ」
「なによ、大丈夫……ひゃっ」
「おっと」
ドレスの裾を持ち上げていたら、バランスを崩しそうになる。
あやうく落ちそうになるところを、男の手が私の腕を支えた。
「あ、りがとう」
「いえいえ。一度降りてくれますかね」
もたもたしてる場合じゃない。
素直に従うと、男は私の横に回り込んで手を貸してくれた。
「なによ。最初からこうしてくれればいいのに」
「はは。これは別料金だから」
「嘘っ! お金とるの?」
「冗談ですよ」
胡散臭い笑みを浮かべたその男は私を馬車に座らせると、再び御者席へと乗り込んだ。
「んじゃ、改めてお嬢ちゃん。俺はジェット」
「私はお嬢ちゃんじゃなくてよ。コーラル。コーラル・ホイットビー」
「ホイットビーっていや、この領地の伯爵さまじゃねぇか。あんた伯爵令嬢かよ」
「ええ。成金ジジイの後妻として売りつけられる予定の、ね」
馬車の後ろに見える伯爵家をちらりと見て、私はそう口にする。
夕暮れに照らされた建物の影が、まるで今にも私に掴みかかりそうで、思わずぶるりと体を震わせた。
「おい。高値のつきそうなお嬢さんには、見送りまでつくのか」
「えっ?! まさかもう見つかったの?!」
「コーラル嬢、しばらく黙ってな」
「何を」
「舌、噛んじまうから」
ジェットは口の端をちらりと上げてそう言うと、馬車の速度をあげつつ、建物と建物の間の細い道へと入り込んだ。
ぐねぐねと折れ曲がった道を、器用に手綱さばいていく。
後ろを見れば、追手は道を曲がるたびに数を減らしていった。
古い戸板が敷かれた道を抜ける。車輪が回るたびにガタガタと大きな音を立てた。
頭上には左右に渡した縄紐が張られ、洗濯ものが吊るされたままだ。
よくもまあ、こんなところを知っているものだと思う。
「道、詳しいのね」
追手の姿が見えなくなり、馬車の速度が落ちたところで尋ねる。
「あー、まぁ御者ですし?」
「私が知っている御者は、細い道は知らないわ」
「そりゃ伯爵家が使うような御者はね」
片眉をあげて私を見て笑うジェットは、最初に思っていたよりも少しだけ信用できそうな男に見えた。
「ふふ。それもそうね」
思わず笑えば、ジェットがまじまじと私を見る。
「ちょっと! 前を見て! 前を!」
こんなに狭いところでよそ見をするなんて、いくら腕が良くても不安しかない。
私の言葉に、ジェットは両肩を軽くすくめて前を見た。
「この辺りに関してちゃ、真っ暗闇でも道がわかるくらいだから平気だよ」
「そんな夜中に、馬車に乗る人がいるのね」
「まさか。俺の昔の稼業さ」
「それはまた、真夜中のお仕事なんて大変だったでしょうね」
真夜中に働く仕事なんて、私には想像もつかない。
家庭教師も教えてくれなかったけれど、平民の仕事の種類というのは思ったより多いのかも。
「あはははは!」
「ちょっと! 何を笑ってるの」
「いやぁ、コーラル嬢は本当に伯爵令嬢なんだなって」
「でもこれからは、元、がつく予定よ」
「――あんた、本当に逃げるのか?」
少しだけ、声を低くしてジェットがそんなことを言い出す。
顔がカッと熱く、赤くなった。
「失礼ねっ! わた、私の決意をそんな風に思ってるのなら」
その場で立ち上がると、馬車が大きく揺らいだ。
「わーっ! 馬鹿! 座れ! 悪かった! 俺が悪かったから座ってくれ。馬車がバランス崩す!」
「マナーのレッスンで、私の体幹はしっかりしていると褒められたのよ」
ドレスを引っ張られたので、仕方なく座る。
「あんたの体幹がしっかりしてても、馬車のバランスには関係ねぇんだよ」
ジェットは笑いながら、そんな風に言う。
そうやって笑ってるけど、私はまだ怒ってるのよ。
ついと顔を背ければ、ジェットは笑い声をおさめた。
「悪りぃ。貴族のお嬢ちゃんってのは、素直に従ってる方が楽に生きられると思ってさ」
「そうねぇ。ジェット、貴族令嬢ってどんな一日を過ごしているか知ってて?」
「飯食って、ドレス選んで、宝石買って、茶を飲んで過ごすんじゃねえのか」
彼の言葉に、今度は私が笑う番だった。
「ぜーんぜん違うわ。朝は日の出に合わせて起きるの。でも、侍女が部屋に起こしに来るまでは、ベッドから出ちゃだめよ。そしてモーニングティを飲んだら身支度をする。早速コルセットよ。朝食をいただいたら、再び着替えるの。家庭教師が来るまでに届いた手紙の処理をして、授業を受けたらお昼。昼食を食べたら午後は音楽かダンスのレッスン。お茶の時間はマナーの授業を兼ねていて、場合によっては来客対応。そして晩餐用に着替えて食事をして、最後は家長であるお父様のお言葉をひたすら聞く時間ね。夜会があるときは晩餐の代わりに夜会に出かけて、明け方まで過ごすのよ」
一気に話し切れば、ジェットは頭をぐるぐると回す。
「まったく自由なんてないじゃないか」
「当然よ。貴族の娘は家の商品。できるだけ高く売るために、準備させられるわ」
「それで売り先が成金ジジイの後妻ってのは」
「婚約者に浮気されて婚約破棄。被害者のはずなのに、値が下がったのは私のほう」
笑ったつもりだった。
でも、目の前に映るジェットの顔がわずかに歪む。
「おい、泣くなよ。困る」
ばさりと頭から布が掛けられた。
触れるとごわごわと重くて硬い――彼の外套らしい。
「……泣いてないわ」
「ふぅん」
「泣いてないってば」
「だったら」
ジェットは片手で外套の端を少しだけ引っ張る。
「逃げ切ろうぜ」
低い声が、さっきまでよりずっと近くで響いた。
***
細道を抜け出し、領地を囲う城壁が見えてくる。
夕日はだいぶ地平に近付き、あたりは暗くなってきていた。
「やべぇな」
ジェットはそう言って目を細め手綱を緩める。
「どうしたの?」
「あれ」
そう言ってわずかに顎を上げた彼は、右肩と右耳を近付けて笑う。
「検問だ。どうやらあんたのお父上は、追手の他にも手を打ってたみたいだな」
「まずい?」
「そりゃそうさ。あんたを捕まえるためにやってる検問だ」
視線の先を追えば、領地の出口になる門の周りには人だかりができていた。
一人ずつ確認しているのか、時間がかかっているように思える。
ジェットは少しだけ馬車を回して、家の影になる場所に移動した。
私は思わず背筋を伸ばす。
「いや、そういう堂々としたとこ、今はいらねぇから」
「じゃぁどうしろって言うのよ」
「うーん。その格好のまま座ってると、一目で良家のお嬢さんって感じなんだよな」
そう言われて、私は自分の姿を見下ろす。
目に入るのは淡いピンク色のドレスに仕立ての良い上着。
その胸元には細かなレースで飾られた襟。それに磨かれた靴。
頭から被せられた外套の中にある髪の毛は、しっかりと結い上げられている銀髪だ。
「確かにこの格好じゃ、良くないわね」
「だろ? 外套をかぶっていても、ばれる可能性は高すぎる」
「……どうすればいいの」
「どうにかするしかないねぇ」
随分と雑な物言いだ。
でも、ここで引き返すわけにはいかない。
領地から出ないことには、私に明日はないのだ。
「ねぇ。それ、貸して」
「それ?」
「その腰に下げてるやつ」
「おい、戦いでもするもりか?」
「まさか」
見当違いの返しに笑いながら、彼の腰にある剣をもう一度指さした。
「探してるのは伯爵家の令嬢、でしょ」
耳元のイヤリングを外し、上着を脱ぐ。
私がやろうとしていることに気付いたのか、ジェットは腰に下げている剣ではなく、足元から小さなナイフを引っ張り出した。
どこに隠していたのかしらね。
「剣はあんたにゃ重いだろ。何かあったときのためにも、こっちを持っておけ」
「ありがと」
そのナイフを襟元に近付ける。
「うわぁっ! 待て! ナイフでも危なすぎる。俺がやる」
「そう? 確かにちょっと切りにくいわ」
胸元はよく見えないので、任せることにした。
顔を上にあげて襟元を差し出すと、ジェットの顔がよく見える。
「……あなた、思ったより格好良い顔してるのね」
「なんだ、今更気付いたのか」
笑いながら、ナイフの先が私の胸元のレースに触れた。
私の胸に手がかからないように、気を使ってるのがよくわかる。
さすがに――気にしないでとは言えなかった。
糸が切れる音がぷつぷつと聞こえる。
そのたびに体が軽くなっていくような気がした。
「よし、胸元のレースはだいたい取れた」
戻されたナイフを手に、目を自分の体に向ける。
確かに上半身の豪勢な飾りはなくなっていた。
「あとは」
結い上げられている髪を解く。
ばさりと背中に揺れた三つ編みを片手で持つと、私はそこにナイフを入れる。
「コーラル嬢っ?!」
銀色の髪は首元あたりで分離して、片割れは私の片手に残った。
「髪の短い貴族令嬢なんていないもの」
「……あっはは! 確かにな」
ジェットは笑いながら、私の手から髪の毛を受け取る。
「こいつは領地を出たら売るといい。あんたの逃亡資金になる」
「髪の毛がお金になるの?」
「銀色の髪は平民でもいるけど、これだけ長く伸ばしてきれいな状態のもんはそうそうない。かつらを作るのにうってつけだろう」
そう言って、髪を袋にいれこむと、同じ袋に私が身に着けていた装飾品やリボンも放り込んだ。
「荷を改められたら終わりだからな。後ろのスペースの下に押し込むか」
「だったら私のスカートの中に入れればいいんじゃない?」
クリノリンは折りたためるので、座っているときは気付きにくいけど、実は結構スカートの布の分量はある。
なのでこの中に入れ込めば、さすがにスカートをまくれとは言ってこないだろう。
「さすがに俺が入れるわけにはいかねぇからな。自分で押し込んでくれ」
「当たり前でしょ!」
準備ができたところで、私たちは検問の列へと近づく。
姿勢を崩し、猫背になってジェットの外套を肩にかける。
これで一見してドレスを着ているようには見えないだろう。
「なぁ」
待つ間、不意にジェットが私の髪に手を伸ばした。
「似合うじゃねぇの」
そう言って笑う彼の背に日没寸前の強い太陽がかかり、私は表情を伺うことができなかった。
――絶対、格好良かったと思うのに。
「止まれ」
検問の男が声をかける。
緊張が走るけれど、それを顔には出さない。
淑女教育で得た技術で、少しだけすきのある笑みを浮かべる。
「どこへ行く予定だ」
「王都です。なんでも客の兄さんが結婚するらしくてね」
男はジェットの言葉に、私を見た。
結婚式に参列するために、少しばかり見栄を張った女に見えるだろうか。
「なるほど。靴を汚さないよう、式場まで連れて行ってやれ」
「へい」
私は軽く頭だけを下げる。
家庭教師に見られたら、手を鞭で叩かれそうな挨拶だ。
「よし、行っていいぞ。次の者」
検問を通過し、馬車は無事に領門を抜ける。
車輪が門から抜けきると、ジェットは馬車の勢いを上げた。
「とりあえず、行けるところまで行くぞ」
「お、王都に?」
「まさか! ああ言っときゃ、もしも追いかけて来たとしても、王都に向かうだろ」
「そうだったのね。なんで王都って思ったけど」
夕日が消えそうな夕闇の中、馬車は勢いよく前に進む。
「このまま予定通りアイドクレース公爵領でいいのか?」
領地を出てしばらく走る。
暗くなり月が顔を出したころに、ジェットはそう言って私を見た。
アイドクレース公爵領を選んだのは、私が知っている近くの領地で一番広い場所だったからだ。
「あんたのことだ。大方広い領地だったら、見つかりにくいとかって思ったんだろう」
「まぁ……そうだけど」
「なら、モンテブラサイト辺境伯領まで行かないか」
「随分遠いところを提案するのね。もしかして、私と離れがたい?」
思わず口をついて出た言葉に、両手で口を押えてしまう。
「あれ、なんでわかったんだ?」
ジェットは外套を引っ張り、顔を近付ける。
えっ、これもしかしてそういう展開?!
思わず目を閉じたら、額を指でトンと押された。
「あんたは知らないだろうから、教えてやるよ。男にそういうことを迂闊に言うと、食われるぞ」
「今食べなかったのは、私がおいしそうじゃないから?」
馬鹿にされたような気がしてそう言えば、ジェットは笑って馬に鞭を入れる。
「逆だよ」
「つまりは?」
「なんでそこ、食い下がるのかなぁ。ほら、それでどうすんだ?」
ジェットは周囲を見ながら、森の入り口で馬車を止めた。
「ここが分岐だ。アイドクレース公爵領は広いが、広いってことは人も多い。金も伝手もない女が一人で紛れるには向かない」
言われてみれば確かにそうだ。
屋敷を出るときに持ってきた宝飾品だって、無限ではない。
ジェットにも高く吹っ掛けられた。
――結果として、金額以上に助けられているけど。
「モンテブラサイト辺境伯領には、俺の知り合いの馬車宿があるんだ。それにあそこは流れ者に寛容だから、あんたが働き口を見つけるのも、公爵領よりは容易いと思うぜ」
ジェットの提案はものすごく現実的だった。
問題は一つ。
「なにを悩んでるんだ?」
「……予定よりも遠くに行く場合、あなたへの支払いがまた上がってしまうことよ」
私の言葉に、ジェットは噴き出す。
「言われてみりゃそうだな。でもま、ここまで付き合ったんだ。最後まで同料金で構わねぇよ」
「それじゃぁ、お願いしようかしら」
馬車は森を右手に、石敷きの道へ向かう。
「コーラル嬢、この道の先がモンテブラサイト辺境伯領だ」
「もう、令嬢ではないわ」
「そっか」
ジェットはそれだけを言って、馬を走らせる。
どれだけ夜道を駆けたのか。
「あんたはよくやったよ。……コーラル」
月が真上に上り切ったころ、眠った顔で目を閉じていた私に、ジェットがそう言ったのを聞き逃しはしなかった。
了
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