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売られるはずの伯爵令嬢は、御者と夜を駆ける

掲載日:2026/04/24

短編で出したつもりが連載になっていたので、投稿し直しました。

最初の投稿で評価をくださいました方、ありがとうございます。(申し訳ありません!)

「お嬢ちゃん。途中で泣いて帰るなら、今のうちにどうぞ」


 目の前の男は、軽薄な声でそう告げる。

 正直めちゃくちゃ腹が立つ。腹が立つ、けど今はそんなことを言ってる場合ではない。

 一刻でも早くこの領地から逃げ出さないと。


「途中で帰りなんかしないわよ。急いでるの。あなたの言う値を払うわ――高いけど」

「ふぅん」


 声は軽薄なのに、瞳は気だるげ。

 髪は肩くらいの金色を後ろで一つに束ねているこの男に、今の私は頼るしかないのだ。


「じゃあ乗って」


 男は軽やかに馬車に乗ると、車体の横についている小さなステップを指した。

 小型の幌付き二輪馬車なんて初めて見る。横についた小さなステップに足をかけて、御者台の脇へよじ登るらしい。


「これに足をかければいいのね」

「危なっかしいなぁ」

「なによ、大丈夫……ひゃっ」

「おっと」


 ドレスの裾を持ち上げていたら、バランスを崩しそうになる。

 あやうく落ちそうになるところを、男の手が私の腕を支えた。


「あ、りがとう」

「いえいえ。一度降りてくれますかね」


 もたもたしてる場合じゃない。

 素直に従うと、男は私の横に回り込んで手を貸してくれた。


「なによ。最初からこうしてくれればいいのに」

「はは。これは別料金だから」

「嘘っ! お金とるの?」

「冗談ですよ」


 胡散臭い笑みを浮かべたその男は私を馬車に座らせると、再び御者席へと乗り込んだ。


「んじゃ、改めてお嬢ちゃん。俺はジェット」

「私はお嬢ちゃんじゃなくてよ。コーラル。コーラル・ホイットビー」

「ホイットビーっていや、この領地の伯爵さまじゃねぇか。あんた伯爵令嬢かよ」

「ええ。成金ジジイの後妻として売りつけられる予定の、ね」


 馬車の後ろに見える伯爵家をちらりと見て、私はそう口にする。

 夕暮れに照らされた建物の影が、まるで今にも私に掴みかかりそうで、思わずぶるりと体を震わせた。


「おい。高値のつきそうなお嬢さんには、見送りまでつくのか」

「えっ?! まさかもう見つかったの?!」

「コーラル嬢、しばらく黙ってな」

「何を」

「舌、噛んじまうから」


 ジェットは口の端をちらりと上げてそう言うと、馬車の速度をあげつつ、建物と建物の間の細い道へと入り込んだ。

 ぐねぐねと折れ曲がった道を、器用に手綱さばいていく。

 後ろを見れば、追手は道を曲がるたびに数を減らしていった。


 古い戸板が敷かれた道を抜ける。車輪が回るたびにガタガタと大きな音を立てた。

 頭上には左右に渡した縄紐が張られ、洗濯ものが吊るされたままだ。

 よくもまあ、こんなところを知っているものだと思う。


「道、詳しいのね」


 追手の姿が見えなくなり、馬車の速度が落ちたところで尋ねる。


「あー、まぁ御者ですし?」

「私が知っている御者は、細い道は知らないわ」

「そりゃ伯爵家が使うような御者はね」


 片眉をあげて私を見て笑うジェットは、最初に思っていたよりも少しだけ信用できそうな男に見えた。


「ふふ。それもそうね」


 思わず笑えば、ジェットがまじまじと私を見る。


「ちょっと! 前を見て! 前を!」


 こんなに狭いところでよそ見をするなんて、いくら腕が良くても不安しかない。

 私の言葉に、ジェットは両肩を軽くすくめて前を見た。


「この辺りに関してちゃ、真っ暗闇でも道がわかるくらいだから平気だよ」

「そんな夜中に、馬車に乗る人がいるのね」

「まさか。俺の昔の稼業さ」

「それはまた、真夜中のお仕事なんて大変だったでしょうね」


 真夜中に働く仕事なんて、私には想像もつかない。

 家庭教師も教えてくれなかったけれど、平民の仕事の種類というのは思ったより多いのかも。


「あはははは!」

「ちょっと! 何を笑ってるの」

「いやぁ、コーラル嬢は本当に伯爵令嬢なんだなって」

「でもこれからは、元、がつく予定よ」

「――あんた、本当に逃げるのか?」


 少しだけ、声を低くしてジェットがそんなことを言い出す。

 顔がカッと熱く、赤くなった。


「失礼ねっ! わた、私の決意をそんな風に思ってるのなら」


 その場で立ち上がると、馬車が大きく揺らいだ。


「わーっ! 馬鹿! 座れ! 悪かった! 俺が悪かったから座ってくれ。馬車がバランス崩す!」

「マナーのレッスンで、私の体幹はしっかりしていると褒められたのよ」


 ドレスを引っ張られたので、仕方なく座る。


「あんたの体幹がしっかりしてても、馬車のバランスには関係ねぇんだよ」


 ジェットは笑いながら、そんな風に言う。

 そうやって笑ってるけど、私はまだ怒ってるのよ。

 ついと顔を背ければ、ジェットは笑い声をおさめた。


「悪りぃ。貴族のお嬢ちゃんってのは、素直に従ってる方が楽に生きられると思ってさ」

「そうねぇ。ジェット、貴族令嬢ってどんな一日を過ごしているか知ってて?」

「飯食って、ドレス選んで、宝石買って、茶を飲んで過ごすんじゃねえのか」


 彼の言葉に、今度は私が笑う番だった。


「ぜーんぜん違うわ。朝は日の出に合わせて起きるの。でも、侍女が部屋に起こしに来るまでは、ベッドから出ちゃだめよ。そしてモーニングティを飲んだら身支度をする。早速コルセットよ。朝食をいただいたら、再び着替えるの。家庭教師が来るまでに届いた手紙の処理をして、授業を受けたらお昼。昼食を食べたら午後は音楽かダンスのレッスン。お茶の時間はマナーの授業を兼ねていて、場合によっては来客対応。そして晩餐用に着替えて食事をして、最後は家長であるお父様のお言葉をひたすら聞く時間ね。夜会があるときは晩餐の代わりに夜会に出かけて、明け方まで過ごすのよ」


 一気に話し切れば、ジェットは頭をぐるぐると回す。


「まったく自由なんてないじゃないか」

「当然よ。貴族の娘は家の商品。できるだけ高く売るために、準備させられるわ」

「それで売り先が成金ジジイの後妻ってのは」

「婚約者に浮気されて婚約破棄。被害者のはずなのに、値が下がったのは私のほう」


 笑ったつもりだった。

 でも、目の前に映るジェットの顔がわずかに歪む。


「おい、泣くなよ。困る」


 ばさりと頭から布が掛けられた。

 触れるとごわごわと重くて硬い――彼の外套らしい。


「……泣いてないわ」

「ふぅん」

「泣いてないってば」

「だったら」


 ジェットは片手で外套の端を少しだけ引っ張る。


「逃げ切ろうぜ」


 低い声が、さっきまでよりずっと近くで響いた。


   ***


 細道を抜け出し、領地を囲う城壁が見えてくる。

 夕日はだいぶ地平に近付き、あたりは暗くなってきていた。


「やべぇな」


 ジェットはそう言って目を細め手綱を緩める。


「どうしたの?」

「あれ」


 そう言ってわずかに顎を上げた彼は、右肩と右耳を近付けて笑う。


「検問だ。どうやらあんたのお父上は、追手の他にも手を打ってたみたいだな」

「まずい?」

「そりゃそうさ。あんたを捕まえるためにやってる検問だ」


 視線の先を追えば、領地の出口になる門の周りには人だかりができていた。

 一人ずつ確認しているのか、時間がかかっているように思える。

 ジェットは少しだけ馬車を回して、家の影になる場所に移動した。

 私は思わず背筋を伸ばす。


「いや、そういう堂々としたとこ、今はいらねぇから」

「じゃぁどうしろって言うのよ」

「うーん。その格好のまま座ってると、一目で良家のお嬢さんって感じなんだよな」


 そう言われて、私は自分の姿を見下ろす。

 目に入るのは淡いピンク色のドレスに仕立ての良い上着。

 その胸元には細かなレースで飾られた襟。それに磨かれた靴。

 頭から被せられた外套の中にある髪の毛は、しっかりと結い上げられている銀髪だ。


「確かにこの格好じゃ、良くないわね」

「だろ? 外套をかぶっていても、ばれる可能性は高すぎる」

「……どうすればいいの」

「どうにかするしかないねぇ」


 随分と雑な物言いだ。

 でも、ここで引き返すわけにはいかない。

 領地から出ないことには、私に明日はないのだ。


「ねぇ。それ、貸して」

「それ?」

「その腰に下げてるやつ」

「おい、戦いでもするもりか?」

「まさか」


 見当違いの返しに笑いながら、彼の腰にある剣をもう一度指さした。


「探してるのは伯爵家の令嬢、でしょ」


 耳元のイヤリングを外し、上着を脱ぐ。

 私がやろうとしていることに気付いたのか、ジェットは腰に下げている剣ではなく、足元から小さなナイフを引っ張り出した。

 どこに隠していたのかしらね。


「剣はあんたにゃ重いだろ。何かあったときのためにも、こっちを持っておけ」

「ありがと」


 そのナイフを襟元に近付ける。


「うわぁっ! 待て! ナイフでも危なすぎる。俺がやる」

「そう? 確かにちょっと切りにくいわ」


 胸元はよく見えないので、任せることにした。

 顔を上にあげて襟元を差し出すと、ジェットの顔がよく見える。


「……あなた、思ったより格好良い顔してるのね」

「なんだ、今更気付いたのか」


 笑いながら、ナイフの先が私の胸元のレースに触れた。

 私の胸に手がかからないように、気を使ってるのがよくわかる。

 さすがに――気にしないでとは言えなかった。

 糸が切れる音がぷつぷつと聞こえる。

 そのたびに体が軽くなっていくような気がした。


「よし、胸元のレースはだいたい取れた」


 戻されたナイフを手に、目を自分の体に向ける。

 確かに上半身の豪勢な飾りはなくなっていた。


「あとは」


 結い上げられている髪を解く。

 ばさりと背中に揺れた三つ編みを片手で持つと、私はそこにナイフを入れる。


「コーラル嬢っ?!」


 銀色の髪は首元あたりで分離して、片割れは私の片手に残った。


「髪の短い貴族令嬢なんていないもの」

「……あっはは! 確かにな」


 ジェットは笑いながら、私の手から髪の毛を受け取る。


「こいつは領地を出たら売るといい。あんたの逃亡資金になる」

「髪の毛がお金になるの?」

「銀色の髪は平民でもいるけど、これだけ長く伸ばしてきれいな状態のもんはそうそうない。かつらを作るのにうってつけだろう」


 そう言って、髪を袋にいれこむと、同じ袋に私が身に着けていた装飾品やリボンも放り込んだ。


「荷を改められたら終わりだからな。後ろのスペースの下に押し込むか」

「だったら私のスカートの中に入れればいいんじゃない?」


 クリノリンは折りたためるので、座っているときは気付きにくいけど、実は結構スカートの布の分量はある。

 なのでこの中に入れ込めば、さすがにスカートをまくれとは言ってこないだろう。


「さすがに俺が入れるわけにはいかねぇからな。自分で押し込んでくれ」

「当たり前でしょ!」


 準備ができたところで、私たちは検問の列へと近づく。

 姿勢を崩し、猫背になってジェットの外套を肩にかける。

 これで一見してドレスを着ているようには見えないだろう。


「なぁ」


 待つ間、不意にジェットが私の髪に手を伸ばした。


「似合うじゃねぇの」


 そう言って笑う彼の背に日没寸前の強い太陽がかかり、私は表情を伺うことができなかった。

 ――絶対、格好良かったと思うのに。


「止まれ」


 検問の男が声をかける。

 緊張が走るけれど、それを顔には出さない。

 淑女教育で得た技術で、少しだけすきのある笑みを浮かべる。


「どこへ行く予定だ」

「王都です。なんでも客の兄さんが結婚するらしくてね」


 男はジェットの言葉に、私を見た。

 結婚式に参列するために、少しばかり見栄を張った女に見えるだろうか。


「なるほど。靴を汚さないよう、式場まで連れて行ってやれ」

「へい」


 私は軽く頭だけを下げる。

 家庭教師に見られたら、手を鞭で叩かれそうな挨拶だ。


「よし、行っていいぞ。次の者」


 検問を通過し、馬車は無事に領門を抜ける。

 車輪が門から抜けきると、ジェットは馬車の勢いを上げた。


「とりあえず、行けるところまで行くぞ」

「お、王都に?」

「まさか! ああ言っときゃ、もしも追いかけて来たとしても、王都に向かうだろ」

「そうだったのね。なんで王都って思ったけど」


 夕日が消えそうな夕闇の中、馬車は勢いよく前に進む。


「このまま予定通りアイドクレース公爵領でいいのか?」


 領地を出てしばらく走る。

 暗くなり月が顔を出したころに、ジェットはそう言って私を見た。

 アイドクレース公爵領を選んだのは、私が知っている近くの領地で一番広い場所だったからだ。


「あんたのことだ。大方広い領地だったら、見つかりにくいとかって思ったんだろう」

「まぁ……そうだけど」

「なら、モンテブラサイト辺境伯領まで行かないか」

「随分遠いところを提案するのね。もしかして、私と離れがたい?」


 思わず口をついて出た言葉に、両手で口を押えてしまう。


「あれ、なんでわかったんだ?」


 ジェットは外套を引っ張り、顔を近付ける。

 えっ、これもしかしてそういう展開?!

 思わず目を閉じたら、額を指でトンと押された。


「あんたは知らないだろうから、教えてやるよ。男にそういうことを迂闊に言うと、食われるぞ」

「今食べなかったのは、私がおいしそうじゃないから?」


 馬鹿にされたような気がしてそう言えば、ジェットは笑って馬に鞭を入れる。


「逆だよ」

「つまりは?」

「なんでそこ、食い下がるのかなぁ。ほら、それでどうすんだ?」


 ジェットは周囲を見ながら、森の入り口で馬車を止めた。


「ここが分岐だ。アイドクレース公爵領は広いが、広いってことは人も多い。金も伝手もない女が一人で紛れるには向かない」


 言われてみれば確かにそうだ。

 屋敷を出るときに持ってきた宝飾品だって、無限ではない。

 ジェットにも高く吹っ掛けられた。

 ――結果として、金額以上に助けられているけど。


「モンテブラサイト辺境伯領には、俺の知り合いの馬車宿があるんだ。それにあそこは流れ者に寛容だから、あんたが働き口を見つけるのも、公爵領よりは容易いと思うぜ」


 ジェットの提案はものすごく現実的だった。

 問題は一つ。


「なにを悩んでるんだ?」

「……予定よりも遠くに行く場合、あなたへの支払いがまた上がってしまうことよ」


 私の言葉に、ジェットは噴き出す。


「言われてみりゃそうだな。でもま、ここまで付き合ったんだ。最後まで同料金で構わねぇよ」

「それじゃぁ、お願いしようかしら」


 馬車は森を右手に、石敷きの道へ向かう。


「コーラル嬢、この道の先がモンテブラサイト辺境伯領だ」

「もう、令嬢ではないわ」

「そっか」


 ジェットはそれだけを言って、馬を走らせる。

 どれだけ夜道を駆けたのか。


「あんたはよくやったよ。……コーラル」


 月が真上に上り切ったころ、眠った顔で目を閉じていた私に、ジェットがそう言ったのを聞き逃しはしなかった。



最後までお読みいただきありがとうございました。

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