エピローグ
長めのエピローグです。
早朝、まだ日が昇る前の薄暗い中、アイリスは一人で屋敷を出た。
と言っても、向かうのは屋敷の裏手にある一族の墓地だ。本来は幽霊や怪談のたぐいが苦手なアイリスだが、父や実の母、そしてマリアが眠っているかと思うと不思議と怖くは無かった。
(この花……きっとクライヴ殿下ね)
先日マリアを埋葬した一族が眠る墓には花が供えてあった。おそらく昨日のうちにクライヴが供えてくれたのだろう。
彼にとってもマリアは母のような存在だったという。
本当ならば葬式にも参列したかっただろう。しかし第三王子が来れば騒ぎになるのをわかっていたのだろう。だから彼は今日まで待っていてくれたのだ。
(大人なのだわ……)
突拍子もないところもあるが、アイリスよりずっと。
風に揺れる花束を見つめて、今更ながらにそんなことを思う。
(お母様、眠れないから来てしまいました)
日が昇るにはまだ少し時間がある。
アイリスは墓の前にしゃがみこんでぼんやりと頬杖を突いた。
実はマリアからの手紙でわからない部分がひとつだけあった。
「お母様、殿下が私をずっと大切に思っているってどういうこと? 説明がたりませんよ」
口に出してみると少々恥ずかしい。なんとなく照れ臭くてひざを抱えて俯いた。
一瞬、誰かがこちらに来るのが見えたからだ。
「こんなところで何してるんだ?」
「お墓参りです」
「こんな真夜中にか?」
「もうすぐ朝ですよ。どうせ眠れないので。お母様も寂しいでしょうし」
隣に並んだのはクライヴだった。
昨晩はジャスティンの件の処理で遅くなり泊まっていたのだ。
風が吹いて身を縮こまらせたアイリスの肩に上着をかけてくれる。もじもじと立ち上がったアイリスは視線をそらしたまま呟いた。
「昨日はその、危ないところをありがとうございました。お見苦しい姿をお見せしてすみませんでした」
「こっちのことは気にするな。無理しすぎだ、君は」
頭をぐしゃぐしゃと撫でられて慌てて横に逃げる。髪型がくずれるだろう。
それになんだかわけもなく恥ずかしい。
「あの、お母様とはずっと連絡をとりあっていたのですか?」
「年に数回な。結婚してからもマリアは俺のことを気にかけてくれていたんだ」
アイリスは俯いたまま気になっていたことを聞いてみた。
今なら顔が赤くても見えないだろう。
「……王妃様主催のお茶会で、私と会ったことを覚えていたんですか?」
「ああ、もちろんな」
「う……」
「でも、あの時の君は可愛かったな。転んで今にも泣きだしそうなのに、小さいながらに必死で我慢しててな。でも髪はぼさぼさで木の枝がひっかかってたし」
むう、とアイリスは愉快そうに笑うクライヴを見上げた。
「マリアに言われたんだ。あの子は頑張り屋さんすぎてちょっと意地っ張りだから、もし困っていたら助けてあげてほしいって」
「お母様ったらそんなことを……。だから、あの時助けてくださったんですか? このリボンも」
今にも泣きそうだったアイリスの髪に、幼いクライヴがたどたどしく結んでくれた淡い橙色のリボン。それをアイリスはずっと大切な思い出として身に着けていた。
「それもあるが……ずっと君のことは俺が守ると決めていたからな」
「え……」
「マリアが結婚して城を去るときに言ったんだ。私はこれから小さな女の子のお母様になりにいきますって。俺にとってマリアは母代わりだった。だから寂しくもあったけど、俺はもう分別が着く年頃だったし、同じように寂しい思いをしている女の子に母親ができるなら、それもいいかなって思ったんだ」
アイリスはぽかんとしてクライヴの横顔をじっと見つめてしまった。
なんて優しくて強いのだろう。アイリスだったら母親がどこかに行ってしまうなんて絶対に嫌だと言ってしまいそうだ。
「城にマリアを迎えにノーマン卿が来たんだ。そのとき、君も一緒だったんだぞ。実はそれが初対面だ」
「え!? 覚えてないです……」
「それはそうだろう。俺は陰からこっそり見てただけだし」
なんと初対面は王妃主催のパーティーでもなかったなんて。
薄暗い中愉快そうにくつくつと笑うのが気配でわかる。
「そのとき、思ったんだ。これがマリアの家族になるんだなって。マリアの大切なものは俺の大切なものだ。だから君のことはずっと守るってそのとき決めたんだ」
「そんな理由でここまでしてくださったのですか……?」
「別にそれだけじゃないが……、マリアからは手紙で君の様子は聞いてたし。貴族学院に通ってた時は、時々こっそり見に行ってた」
「え……」
まったく気がつかなかった。
というか、そんな昔から見られていたなんて少々恐ろしいような。アイリスの様子に慌てたクライヴがわたわたと手を振る。
「か、監視してたとかじゃないぞ! マリアの娘である君が元気にやってるかどうかが気になってただけであって。時々、本当に時々だ!」
「へー……」
「あ、信じてないな?」
「そういうわけじゃないですけど、だったら声をかけてくれてもよかったのに」
ふてくされてそう呟いてから、はっとアイリスは我に返る。
なんだかこれでは、クライヴと話したかったみだいではないか。そもそも昔のことを覚えていない時にいきなり第三王子が話しかけてきても驚くだけだろう。
アイリスはこほんとわざとらしく咳払いした。
「お、お母様の病気のことも知ってらしたんですね」
「一年くらい前かな。マリアに手紙をもらった。身体を悪くしていると。自分がいなくなったあとの君のことをひどく心配していた。自分に何かあったらアイリスを助けてやってほしいと言われたんだ」
「え……それは」
だったら何も婚約など申し込まなくてもよかったのでは?
アイリスの後ろ盾になるなら、訳を話せばいいだけだ。そういえば、彼が占い師に言われたという『アイリス以外と結婚すると嫉妬に狂った女に殺される』という予言も嘘だったと言っていた。
どうしてまたそんな無茶な嘘をついたのかまだ聞いていない。
「クライヴ殿下は……どうして私に婚約を申し込んでくれたのですか?」
隣に立つクライヴへと身体を向けて、アイリスは彼をじっと見つめた。クライヴもアイリスへと向き直る。
少しずつ、空が明るくなってきていた。
「最初は、遠くから見守っていられたらそれでいいと思ってた。君は遠くにいる妹みたいなものだと。だけど、君に婚約の話しがたくさん舞い込んでいると聞いた時、黙ってはいられなかったんだ」
クライヴは言う。
最初はマリアへの思慕からくる義務のような気持ちだったのかもしれない。けれどアイリスのことを知るうちに、その気持ちは違うものへ変わっていったのだと。
「ずっと君を見てきて、思ったんだ。しっかり者で、気が強くて、母親が好きすぎる、本当は甘ったれの君を俺がちゃんと守りたいって。簡単に言うと、君が好きだ」
はっきりと言葉にされて、アイリスは叫びだしそうになってぎゅうっと両手を胸の前で握った。
心臓が今にも破裂してしまいそうなほどうるさい。
「アイリス、俺と結婚してくれないか」
「で、でも、殿下は……私では身分違いでは」
「そういうことは、俺も色々考えてる。難しいことは抜きにして、俺のことが好きか嫌いか答えてくれ」
「ええ!?」
がしっと肩を掴まれてアイリスは哀れな声を上げた。
首まで赤くなっているアイリスを見て、もはや答えはわかっているだろうに、クライヴは意地悪く紺碧の瞳で覗き込んでくる。
「わたし、は……その」
「うん?」
アイリスは勉強はできるが、恋愛事には耐性がほとんどない。
母が大好きで過ごしてきたので、異性にあまり興味なかったのだ。そのおかげで貴族令嬢として、男性のあしらい方ももちろん知らない。
ああこんなことならもう少し恋愛小説でも読んでおくんだった、とアイリスは後悔した。
(ど、どうしよう。お母様)
気の利いた返しなどひとつもできない。
頭の中がぐるぐるとしてきたところで、ふんわりとしたマリアの笑顔が浮かんだ。
『素直が一番よ、アイリスちゃん』
そろりと手を伸ばして遠慮がちに指でクライヴの服を掴む。
「……あなたが、すき、です」
服を掴むアイリスの震える手を、クライヴの手が包み込む。そのまま胸の中に抱きしめられた。
「……よかった」
ほっとしたようにクライヴが息を吐いている。彼の心臓の音がかなり早い。余裕があるように見えて、実は緊張していたらしい。
アイリスはクライヴの胸の中でまだ固まっていたが、そのうちお互いの体温の温かさに少しだけ身体が緩んでいく気がした。
「……日が昇ってきましたね」
「そうだな。ここからは朝日がよく見えるんだな」
山々の向こうが黄金に輝いて、少しずつ黒から群青、そして橙色へと空の色が変わっていく。
クライヴが墓へと向き直った。
「さて、と。ちゃんと見てたか? マリア。それにノーマン卿とアイリスの実の母上」
「え、殿下?」
急に何を言い出すのだろう。
驚いて見上げるアイリスの肩をクライヴが抱く。
「俺は彼女を必ず幸せにします。……だから、安心して見ていてくれ」
「……クライヴ殿下」
アイリスの目にじわりと涙が浮かぶ。
見えないけれど、きっと今頃マリアや父、そして実母は笑って二人を見ていてくれるだろう。
零れそうになった涙を拭ってアイリスは顔を上げた。
「……わたしも、私も殿下を支えます。必ず二人で幸せになってみせます」
「これは心強いなあ」
「冗談ではないですよ。私は本気ですから」
アイリスの宣言にクライヴがにやりと笑うので、口を尖らせてそう胸を張った。
そうして二人で視線を合わせて同時に噴出した。
きっとこれからは、こんな風に言い合いながらも楽しく暮らしていける。
そんな予感がした。
「君には山のように縁談が持ち込まれていたと聞いて、正直かなり焦っていたんだ。君は結婚する気はないと言っていたけど、心変わりしてしまったらどうしようと」
「それであんな強引なことを……」
両親達へ挨拶を済ませた後、アイリスはクライヴと共に屋敷に戻りながら今までの話を聞いていた。
聞けば聞くほど、クライヴのアイリスへの執着が強くてちょっと怖い。けれど反面気持ちがわかってしまうのは、アイリスも一人の人間に執着しまくっていたからだろうか。
(お母様、本当に偉大だったのね。私のこの重い気持ちを受け止めて包み込んでくれていたなんて)
ジーンと感動していたら、クライヴに手を繋がれた。
それだけでぽっと頬が赤くなってしまう。
「……よくへこたれませんでしたね」
「そりゃあ最初はショックだったさ。だけど、なんだか段々おもしろくなってきてな。どうやって君の気持ちをこっちに向けようかと」
「人の気持ちで遊ばないでください! まったくもう」
「遊びじゃないんだけどなあ」
困ったように呟くクライヴを見て、アイリスは思いきってその腕にしがみついてみた。
「当然です。私が重たい女なのはご存じでしょう? これからどうするつもりですか」
「俺も相当重い男だぞ。覚悟しろ。王位継承権を放棄して、その代わりに君と結婚する許可をもらう。もう大体話はつけてある」
「え、もう!?」
「だって早い方がいいだろう? もちろんマリアの喪が明けてからだが……」
クライヴの行動の速さに驚いていると、当然のように彼は胸を張る。
「継承権を放棄して、公爵の爵位を賜ったら、ノーマン領の近隣にある土地を貰い受ける約束はもうできてるんだ。そうすればノーマン領と合わせてそれなりの広さになるからな。税収も増えるだろう」
「け、結婚できるかわからない時点でそこまで行動してたんですか? これは思った以上に重たいですね……」
「なんだよ、愛は重い方がいいだろう? 特に君は」
「……当然、最高です!」
いつからそんな算段をしていたのか、クライヴは当然のように話す。本当に遊び人ではなかったのかとアイリスは今更ながらに思った。
軽そうに見えて、これはとんでもない重さで愛されることになるんじゃないだろうか。
きっと今頃マリアは天の国で笑っていることだろう。
空を見上げると、山々の向こうからあふれ出るような陽光が周囲を照らしていた。
ふとアイリスは、クライヴの髪に手を伸ばした。
「殿下の髪色と同じですね」
「……君、昔同じことを言ったのを覚えてるか?」
アイリスの髪のリボンをもてあそびながらクライヴが笑った。え、とアイリスは昔を思い出そうとするが、覚えていない。
「すみません、なんて言ったんですか?」
また失礼なことを言っていないといいけれど、と思いながら聞くと、クライヴがそっと内緒話でもするように顔を寄せてくる。
「このリボンもあなたの髪の毛も朝焼けみたいでとっても綺麗って、言ったのさ」
さらりとクライヴの髪が揺れる。
その瞬間、アイリスは思い出した。
朝焼けの色だ。
アイリスにリボンを結んでくれた彼に、確かに言った。
アイリスはこの屋敷から見る朝焼けの美しさを知っていた。それによく似た綺麗なリボンと髪の色。
いつの間にか朝焼けの光は視界いっぱいに広がって、アイリスが何か言う前に唇はクライヴに塞がれてしまった。
(お母様、私はこの人と生きていきます)
マリアがいなくなった寂しさが消えるわけではないけれど、まだ歩いて行ける。
隣を一緒に歩いてくれる人がいるから。
クライヴは他にも色々と準備しているようで、あれこれと今後のことを話し続けている。これならマリアの喪が明けたらすぐにでも結婚することになりそうだ。
きっと彼はマリアからの最後の贈物なのだ。
アイリスが寂しくないように、幸せになれるように。
アイリスは母からの最後の贈物を生涯大切にしようと誓った。
これで完結となります。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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