第9話『重ねた日々が、武となる』
準決勝――
リングに立つきらりの目の前に立つのは、大柄でガッチリとした体格の選手だった。道着の背には「全県柔道王者」の文字。低い姿勢から獲物を狩るように睨みを利かせる男は、すでに何人もの対戦相手を投げ飛ばして勝ち上がってきた実力者だ。
「組ませたら終わりだ」と、解説の声が漏れる。
その一言の重みを、きらりも感じていた。
(力じゃ敵わない。でも――)
ゴングが鳴る。
一歩、また一歩。対戦相手が間合いを詰めてくる。強引に腕を掴みにくるその動きに、きらりはさっと半身に構えて“受け”の型を取る。
(見て、感じて、流す)
組み手が迫る瞬間、きらりは滑るようにステップで体をかわし、逆の軸足を軸に小さく回転する。しなやかに、しかし確かな軸で。
「流した!? 組ませてない!」
「回転で力を殺したぞ!」
実況席がどよめいた。
古賀の声が頭に響く。
――「“型”は止まったものではない。崩しも破りも、すべて“中にある”。気づけるかどうかだ」
再び迫る相手の組み手。今度は逆の手で掴みにくる。しかし――
(わかる……この体の流れ、この重心の移動……)
きらりはわずかに後ろ足に体重を預け、相手が踏み込む瞬間に“開き”の型を取る。すると、相手は勢いを殺しきれず前のめりに。
すかさず――中段突き。
ドンッという鈍い音がリングに響いた。
一瞬、場が止まる。観客も、解説も、息を呑んだ。
相手はよろけながらも立ち上がる。だが、きらりの目はすでに変わっていた。
(私は……“舞っている”んじゃない。戦ってるんだ)
アイドル時代、何度も繰り返した振り付け。間違えればやり直し、何度でも身体に刻んだ“動きの記憶”。今、そのすべてが戦いに繋がっていた。
再び組みに来た相手の腕を、きらりはさばき、腰を落とし、払い受けからの足払いへと繋げる。
重心を崩された柔道家は、もんどり打って倒れ――一本勝ち。
「勝者、きらり!!」
ゴングが鳴った瞬間、会場の観客が一斉に立ち上がった。
「なんだ今の……空手なのか!?」
「いや、あれはもう……“きらりの型”だろ……!」
SNSではすでに《踊る空手少女》《#キラリスタイル》といったタグがトレンド入り。元アイドル仲間のグループLINEでは動画がシェアされ、ファンもざわめき始めていた。
「……あの子、キラリ?」「あの舞台でセンター張ってた子じゃん!」「てか強すぎるんだけど!!」
リング下、朱音が立っていた。
きらりと目が合う。朱音は微笑み、手を差し伸べる。
「いいわ。その舞、ちゃんと見せてもらう。決勝でね」
きらりは頷き、拳を握った。
“舞うように戦う”だけじゃない。
重ねてきた日々と、叩き込んだ型と、恐れながらも一歩を踏み出した自分が、「武」になった瞬間を――今、確かに手にしていた。