表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/20

第8話『朱音、戦鬼の舞』

準決勝直前の控え室。試合前とは思えない静けさのなかで、朱音は黙々と腕を回していた。


赤いチャイナ風の道着。黒帯には、形意拳の流派を示す金糸の刺繍。目を閉じると、その内側で拳が踊るように動いていた。滑らかで、美しく、けれど獣のような力強さを秘めている。


そこへ、きらりが通りがかる。


「……朱音さん、ですよね」


「ええ。空手の……“舞う子”ね」


その言い方に、きらりの眉がぴくりと動く。


「さっきの試合、見てくださってたんですね」


「もちろん。あなたの動き、興味深かったわ。まるで演舞ね。美しくて、整っていて――だが、薄い」


朱音は涼やかな口調で言う。


「“武”はね、芸術じゃないの。生きるか死ぬかの世界で磨かれてきた“力の証明”。技が綺麗に決まったからって、相手が倒れなきゃ意味がないわ」


「でも……私は、舞うように戦って、本当に相手を止めたつもりです」


「それは、相手が甘かっただけ。私の前では通じないわ」


朱音の瞳が鋭く光る。


「あなたは舞台に立っていた方がお似合いよ。お客さんの拍手をもらって、キラキラしたライトの下で踊るのが、きっと一番幸せ」


挑発とも言える言葉だったが、きらりは怒らなかった。ただ、深く息を吸い、小さく微笑んだ。


「でも、今はリングが、私のステージなんです」


──その言葉に、朱音の口元がわずかに釣り上がる。


「なら、証明してみせて」


場内アナウンスが、朱音の出番を告げた。


「行ってくるわ。“舞台女優”さん」


朱音が控え室を出ていく。背中に滲む気迫に、きらりは思わず息を呑んだ。


***


準決勝第1試合。


朱音の相手は、ボクシング経験者でパンチに自信を持つ選手。だが、その鋭いジャブを、朱音はまるで風を避けるように身を引いてかわす。


「なんだあの動き……!?」

「まるで生き物みたいに間合いに入る……!」


実況の声が高まる中、朱音の体が一気に沈む。

形意拳独特の“崩拳”が地を這うように放たれた。


バシュッ!


空気を裂く音と共に、拳が相手の腹に突き刺さる。


「ぐっ……!」


相手が膝から崩れる。審判が慌てて止めに入るほどの一撃だった。


「一本、朱音──勝者!」


観客席が騒然となる。


拳を引いた朱音は、静かに構えを解いた。呼吸も乱れていない。見た目こそ少女だが、その佇まいには猛獣のような重圧があった。


控え室のモニターでその試合を見ていたきらりは、無意識に立ち上がっていた。


(強い……!)


身体の芯が震えている。恐怖でも、敗北感でもない。むしろ、昂ぶりに近い感覚だった。


(この人と……戦いたい)


自分の拳がどこまで通用するのか。“舞う拳”が、朱音の“力の証明”に届くのか。


胸の奥が、熱くなる。


そのとき――モニター越しに、朱音がきらりの方を見たような気がした。画面の中で、わずかに笑った。


まるで「おいで」と言うように。


「絶対、行くから」


きらりは小さく拳を握った。


リングの先に、決勝の舞台が見えてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ