会計責任者
あっというまに鬼まんじゅうを平らげて、後片付けをすると私たちは雪華の部屋に案内された。
部屋全体に雪の結晶の装飾がほどこされた美しい部屋だ。ここは、椿宮でも有名な部屋で、ルシアーナ妃がお茶会を開いたりするときに使用したりするお部屋らしい。大きなガラス窓からは、広い庭園が見える。
椿宮の由来となった椿はまだ咲く季節ではない。庭園には水路が設けられていて、小ぶりな橋がかけられている。ちょっと日本庭園を思わせる作りだ。鹿威しとかあったら完璧なのになんて思ってしまう。何となく郷愁を感じさせる風景だ。
「アルマク嬢?」
つい庭に気を取られていたら、リオン殿下に顔を覗き込まれた。
「わ、殿下?」
距離が近くて、思わず一歩下がる。
「どうしたの?」
どうやら自分が思っているよりずっと長い間、放心していたようだ。
「申し訳ございません。珍しいお庭だと思いまして」
「うん。そうだね。この宮を設計したのは曽祖母らしい」
曽祖母、つまりひいひいおばあさんにあたる方は、異国出身のお妃だったはず。詳細は覚えていないけれど。
「気になるなら、あとで散策してみるかい?」
殿下がにこりと微笑む。
優しい瞳に胸がどきりとした。顔に熱が集まってくる。
「おい、アルキオーネ、そろそろ始めようぜ」
退屈そうな兄の声で私は我に返った。
「そうですね」
いけない。どうも私は殿下の晴れ渡った夜空色の瞳に弱い。美形は罪だ。魅入られてしまう。
何か魔術でもかけられているのかな──そんなわけはないのだけれど。
ふと、視線を感じてそちらを見ると、エミリアさまがずっとこちらを凝視していた。
リオン殿下に見とれてしまったことを見抜かれてしまったかも。少し気まずい。エミリアさまがリオン殿下のことが好きなことはここにいる誰もが知っているのに。
「アル、こっちに座りなよ」
フィリップ兄さまが自分の隣の席を指さした。
「はい」
テーブルの上座に殿下、そのすぐそばに兄が座る。兄の隣がエミリアさま。
殿下の対面の席は空いていて、フィリップ兄さま、私、クラーク先輩が座る。
エミリアさまはあいかわらず何も言わずにじっと私を見つめている。
いっそ嫌味とか言われたら私としては、すっきりするのだけれど。
ただ、リオン殿下は普通に私と話していただけだ。私が勝手にリオン殿下に魅了されたことを指摘したところで、エミリアさまの利にはならない。
この国の皇族は一夫多妻制。悋気の強い女性は后に向かないと言われかねないのだ。だからたとえエミリアさまとリオン殿下が婚約関係にあったとしても、他の女性を牽制すると非難されかねない。理不尽ともいえるけれど。
エミリアさまは非常に自制心の強い、良識のある方だ。誰かを蹴落とそうとかするようなタイプではない。
ただ純粋に、リオン殿下が好きという、真っすぐな人である。
原作でエミリア・メルダナという女性が登場したかどうか、全く記憶がないから、彼女の恋がどうなるのか、先は読めない。メルダナ公爵は現時点では、娘が皇族と婚約することをさけたいようだから、そこも障害の一つではある。
でも。
エミリアさまみたいな女性が殿下のそばにいれば、殿下は闇堕ちしない気がする。あんなにまっすぐに『好き』を伝える人がいるのに、『愛を知らない』はあり得ないと思うのだ。
「あの、出来たてを食べるってやっぱり美味しかったです」
クラーク先輩が遠慮がちに口を開いた。
「いいえ。その、私、悪い遊びを広めている気がして申し訳ないです」
厨房に入るのも、立ち食いも、貴族のマナーに反することばかりだ。しかも宮廷ですることではない。
「自覚あったのか?」
兄がケラケラと笑う。
「まあいいんじゃないか? お前見てたら他の令嬢はみんな淑女に見えるようになるだろうし」
「そうでしょうね」
ふんと私は兄から顔を背けた。そばにいたら、また思いっきり足を踏んでやるところだ。
「アルマク先輩言い過ぎです。アルキオーネさんもご自身を卑下なさってはいけません」
「エミリアさま?」
思わぬところからの援護射撃だった。さっきは私に腹を立てていると思ったのに、なんて優しい人なのだろう。
「そもそも厨房で食べたいと言い出したのはダビーだろう?」
リオン殿下が苦笑する。
「うっ」
痛いところをつかれて兄は視線を泳がせた。
「アルはアルのままでいいよ」
フィリップ兄さまが私を慰めるように、にこりと微笑む。
「ぼ、僕もそう思います」
クラーク先輩も同意する。
「おい、俺の味方はなしかよ」
兄はさすがにいじけたようだった。
「ふふふ。そうではありません。みんな同罪なのですわ」
「そうだな。許可したのは私だから」
リオン殿下は頷く。
「さて、そろそろニック・ドロワ男爵が来てくれたようだ」
廊下を歩く足音が止まり、ノックの音がした。
会計責任者のニック・ドロワ男爵は、三十代前半。紫色の髪をした、恰幅の良い男だった。てっきりすごく若いか、年配者のどちらかと想像していたので、思った以上に働き盛りの年齢でびっくりした。
本来なら宮廷の会計責任者だから働き盛りの人が着任してもおかしくないのだけれど、あまり帳簿の知識がないのかな、なんて思っていたから。
「今日はニック・ドロワ男爵に昨年の詳しい帳簿などを持ってきてもらった。実戦ではどうするのか、どうしているのかということを説明してもらおうと思っている」
「ニック・ドロワです。業務に差しさわりのない範囲でしたら、お答えしましょう」
真っ白なテーブルクロスのかけられた広いテーブルの上には、たくさんの帳簿が並べられた。財務局に提出する財務諸表だけでなく、総勘定元帳、買掛金元帳、請求書や現金出納帳などもある。
よくこれだけ赤裸々にとは思うけれど、殿下が『勉強の為にぜひ』と講義料金までポケットマネーから支払ったらしい。
「基本的な質問で恐縮なのですけれど、帳簿をつけるタイミングはいつなのでしょう?」
早速エミリアさまが挙手をして質問をする。
「それは、都度と申し上げたいところですが、一日ごとに区切りをつけ、つけるようにしております」
「ちなみに、区切りはどのくらいで?」
「役所の定時と同じ時間にしております」
ドロワ男爵は丁寧に答える。講義料金の分の仕事はきちんとこなすつもりのようだ。
「あの、帳簿を見せていただいても?」
「どうぞ」
私はそっと請求書の束に手を伸ばした。
「あの、単純な興味なのだが、椿宮にはどれくらいの商人が出入りがあるんです?」
兄がすかさず男爵に質問をして気をそらす。
「そうですねえ、かなりの数になります」
「支払はつけ払いなのですか?」
質問を兄に任せ、私はパラパラと請求書をめくっていく。請求書は日付順に閉じられているけれど、商会別にはなっていなかった。
「形式が全部違って、見にくいものなのですね」
私の手元を覗き込んだフィリップ兄さまが呟く。
「そうなんですよ。支払方法、期限も違ったりするので、いろいろと面倒ではあります」
それは普通の商家同士ならわかるけれど。皇族なのだから、いっそ高圧的にそろえさせる手もあるのではと思ったが、今私がすることはそういうことではない。そもそも、違う商会の請求書を全部一緒にしてあるから見にくいのである。普通は商会別に分けて整理するべきだと思う。正直な話、とじひもをほどいて、全部並べ直したい衝動を必死でこらえる。
今私がするべきは、椿宮の生活が財務諸表から見えない原因を探ることだ。
何枚かめくったところで、聞いたことのない商会の名を見つけた。バックス商会とあるその請求書は、どうやら魔道具を商っている商会らしい。
かなりの高額な請求金額だ。内容は『保冷箱』とあった。日付は昨年の今頃だ。値段から見ると、今、魔塔で販売しているオーソドックスなものだ。
間違っても大魔術師グラドの作品ではない。
そもそも大魔術師グラドの保冷箱のあるこの椿宮で、別の保冷箱は必要なのだろうか?
疑問に思いながらも顔には出さぬように、私は請求書をさらに見ていく。
バックス商会の請求書は他にもあった。
『魔道灯』など割と少額な道具の他に、『製粉機』の名もある。製粉機こそ、一年前に殿下が修理したと先程聞いたばかりだ。保冷庫は二台あっても不思議はないけれど、製粉機は二つは、いらない気がする。絶対はないだろうけれど。
さらに気になったのは、ルシアーナ妃のものだろう。貴金属やドレスもバックス商会から購入しているようだ。バックス商会は随分と手広く商っているらしい。
「アルマク嬢、随分と熱心にご覧になっておられますが、何か?」
男爵に話を振られて、私はハッとなった。怪しまれてしまったかもしれない。
「いえ。さすが椿宮のお買い物は金額が大きいなと思いまして。あとルシアーナさまはどこでドレスをおつくりになるのかな、なんて思ってしまいまして。つい見るのに夢中で、お話を聞くのがおろそかになってしまいました。申し訳なかったです」
「まあ。でも、それは興味を惹かれてしまいますわね」
エミリアさまがすかさず口を添えて下さる。特に打ち合わせもしていないのに、絶妙なフォローだ。
「非常に興味深かったです。やはり宮廷に出入りなさる商会さんは違いますね」
私はそっと請求書を閉じ、元の場所に戻した。




