厨房 2
「意味が分かりません」
納得できなかった。
確かに古い物を直して使うのは、新しい物を買うより経済的な効果は薄い。薄いけれど、物を大切にするというのは上に立つ人間ほど必要な価値観だ。世紀の天才の作った物を後世に伝えていくことは重要だし、そうするために必要な技術は尊ばれるべきだ。陛下はなぜリオン殿下の行動を否定するのか。
「一番は皇族が技術者の仕事を奪うのはよくないと思っていらっしゃるのさ。魔道具を作ったり、直したりするのを生業にしているわけではないのだから」
「軍の先頭に立って魔物と戦うのは、騎士の仕事を奪っているとは言わないのにですか? もし直した魔道具が兵器として使えるとしても?」
根底にあるのは、生活に根付く魔道具に対する軽視だろう。
大魔術師グラドはその才能を多方面に発揮したが、権力者に最も評価されたのは、空調用の魔道具『空間冷却暖房器具』だ。要するに、偉い人でも体感できる便利なモノである。もちろん、すごい発明であることには違いないけれど。
「殿下の技術と才能はきちんと評価されるべきです。大魔術師グラドの魔道具を修理できる技術を軽視することはたとえ陛下であっても許されるべきではありません」
ふつふつと怒りが込み上げる。
「アルキオーネ」
私を嗜めるように、兄が私の肩を叩く。
「落ち着け。少なくともリオン殿下を責めることではないだろう?」
はっとなった。
ふと顔を上げると、ジムさんも怯えた表情を浮かべているし、リオン殿下も困惑しているようだ。私の今していたことは、皇帝批判──不敬罪を問われてもおかしくない。
「……失礼いたしました」
私は大きく息を吐いた。
「いや、私はなんだか嬉しかったから」
リオン殿下の目が優しくて、胸がどきりとする。
なんだかその瞳を直視できなくて、慌てて目をそむけた。
「大魔術師グラドの発明品はその凄さを体感する機会が少ない。それは確かだと思う。私も魔道具の修理を通じて初めてその偉大さに気づいたから」
リオン殿下は淡く笑う。
グラドの発明品は、上級貴族にとっては『持っているとステータス』くらいの扱いだ。たとえばパンこね器は、実際にパンをこねる人にしか、その便利さはわからない。食べるだけの人間は、魔道具でこねようが、人が汗水たらしてこねようが、関係ないのだ。味が違えば別だけれど。
「私どもは非常に助かっております。なにぶん、不景気で人も減らされておりますから、パンこね器がなければ、夜も眠れないかもしれません」
ジムさんが苦笑する。
「パンこね器がなおったから減らされたのではなく、人員削減が先にあったのですか?」
私は思わず首を傾げつつ、ジムさんに先を促す。
「はい。昨年、ずっと一緒にやってきた料理人の一人が、田舎に帰りましてね。その後、補充を頼んでいるのですがなかなか難しいらしいのです。せめて下働きを入れて欲しいとポルダさまにお願いをしているのですが、ルシアーナさまの体調がすぐれないこともありまして、なかなか選考が難しいとか」
「すまない」
なるほど。椿宮の人事権のトップはルシアーナ妃だ。妃の許可がなければ、話が進まないというのは、一応、道理は通っている。殿下はまだ未成年だから、代行するにはそれこそルシアーナ妃の許可がいるらしい。
「いえ。殿下の責任ではございませんので」
ジムさんは首を振る。
「なあ、ルシアーナさまはそんなに悪いのか?」
兄は単刀直入に問う。少々不躾ではあるけど、兄の疑問はもっともだ。ルシアーナ妃本人ができないのであれば、家令のポルダなり、リオン殿下に代行を求めればいい。形式上、書類は必要だろうが、サイン一つもできないほどの重体なのだろうか。
「よくはない」
リオン殿下の表情は暗い。
「殿下が業務を代行しないのは、ルシアーナさまのご意思ですか?」
「母上には、私がまだ子供にしか見えないのだろう。あと、父上にそこまで悪いと知られたくないのかもしれない」
でも、と思う。
それで生活環境が悪くなってしまうのはどうなのだろうか。ルシアーナ妃本人が不自由になるのはともかくとして、リオン殿下にも不都合が生じる可能性がある。
「殿下、人事の件は一度、ルシアーナさまと話し合われた方がよろしいでしょう。厨房の仕事が回らなくなれば、今働いている人間も辞めてしまいかねないのだから」
「……そうだな」
兄に諭されて、リオン殿下は頷く。
「ところで、アルキオーネ、何を作るのか決めたのか?」
「えっと」
すっかり忘れていた。
「食糧保管庫も見せていただいてもよろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
ジムさんに頼んで、常温保存の保管庫の方も見せてもらう。こちらはほぼ倉庫だ。小麦粉や芋、カボチャ、ワインなどが置かれている。
整然としていて、ジムさんの几帳面さがよく表れていた。
「わぁ、立派な赤イモがある!」
赤イモ。前世で言うならサツマイモは、こちらでも人気のお芋だ。
「おおっ、スイートポテトか? あれ旨いよな」
兄のテンションが上がる。
生クリームとバターを練り込むスイートポテトは、この国での定番お菓子。洋菓子の顔をしているスイートポテトだけれど、実は日本発祥のお菓子だから、欧米にはあまりないという話だった。けれど帝国にはある。この世界が日本人の書いた小説だからだろう。
とっても美味しいけれど、ただ、焼いて、裏ごしして、また焼いてと工程が多い。
「うーん。でも今日はもっと簡単に、鬼饅頭がいいかもしれない」
「オニマンジュウ?」
ジムさんが首を傾げた。
そうか。いわゆる芋入り蒸しパンである鬼饅頭って、帝国ではみたことがない。そもそも日本でも地方限定のローカルおやつだって聞いたことがある。
油とか使わないから、スイートポテトよりずっとカロリーは控えめ。工程も難しくないし材料も、砂糖、塩、小麦粉、芋という超シンプルだ。お菓子初心者のみんなでワイワイつくるにはもってこいかも。
エミリアさまがおうちでも再現可能なお菓子を作ってみたいって、おっしゃっていたしね。
「あの紅芋と、小麦粉、使わせていただいてよろしいでしょうか? あと、せいろもお借りします」
「せいろ? 焼かないのですか?」
ジムさんは首を傾げている。
そうか。この国のお菓子はオーブンで焼くものが多い。プリンなんかはオーブンで蒸し焼きなんてしたりするけれど。お菓子に限らず、シンプルな蒸し料理そのものが少なめだ。
オーブン料理、いいのだけれど、慣れないオーブンって、使いにくい。この世界のオーブンは、前世の電気制御で簡単に温度管理できる前って感じで、調整が難しいのだ。
その点、蒸し料理はお湯が沸いたら、蒸せばいい。もっと言えば、せいろがなくても鍋があればなんとかなる。
「焼くのとはまた違うお菓子ですよ。芋入りのパンに近いかもです」
「それは、私も楽しみですねえ」
ジムさんは興味を持ってくれたらしい。
「殿下、みなさまがお見えになりました。雪華の部屋にお通ししております」
厨房の入り口から声をかけてきたのは、家令のポルダ氏だ。
「わかった。すぐ行く。ダビー、君たちはどうする?」
「俺たちは、お菓子作りの準備をしておくよ」
「頼んだ」
一瞬、ポルダ氏がすごい目で私を睨んだように見えた。まあ、あれか。殿下のような尊い人が厨房に入ることそのものが嫌なのかもしれない。
ただまあ、あれだ。いくら正式な客としてきたわけでないにせよ、客人を睨みつけるようでは家令失格だろう。
まあ、いいんだけれど。
とりあえず、ジムさんの手を借りながら私は材料を用意する。
「なあ、ジムさん。ルシアーナさまはご病気ということは、リオン殿下とは食事をしていないのか?」
「はい」
「では、殿下はいつも一人なのか……」
「そうですね。月に一度本宮に行かれるとき以外は」
「なるほどね。学院にいるときが一番楽しいというのは本音なのだな」
兄が呟く。
一人の食事は味気ないけれど、仕方ないとは思う。皇子が使用人と一緒に食事をすることはこの世界ではないだろうから。
「ねえ、ジムさん。ルシアーナさまのお食事、特別なメニューなのかしら?」
「いえ、特には。今までと同じものをお出ししております」
「え?」
普通に息子と夕食が取れない状態なのに、今までと同じものと聞いて驚いた。
「病人食、とかではないの?」
「はい」
ちょっと意外な気がした。勝手にお粥系のものを食べているのをイメージしてしまっていたから。
でも病気だからと消化にいい物ばかり食べてたら、力は出ない。禁止の食べ物がない限り、バランスよく食べるほうがいいに決まっている。
「それ、きちんと食べているの?」
兄が口をはさむ。
「……もともと小食の方なので」
ジムさんは言葉を選びながら話し始める。
ルシアーナ妃の病は、貧血とめまいが酷く、立って歩くことも最近ではままならないらしい。医師からは、特に食べ物で禁止されているものはなく、できるだけ肉や魚など、血肉になるものをと言われているそうな。ただ、食欲はなくて、あっさりしたものをつまむ程度になってしまているらしい。
「つまり、できれば普通の食事をするべきだけれど、現実問題として、お食事はすすんでいないということですね?」
「はい。お好きなものをご用意するなど工夫はしているのですけれど」
ジムさんの顔が苦悩に歪む。料理人としては辛いところだろう。
「いっそ、割り切ってしばらくルシアーナさまが食べたいものだけをご用意するとか?」
好きなものが並べば食欲が出てくる可能性がある。食欲って、食べることで増進するって聞いたことがあるし。
「それは……ポルダさまがダメだとおっしゃいますので」
「なぜ?」
病気で食欲がないのに、いつもフルコースって、ある意味苦行では?
「お妃であられる方のお食事の格式を下げるようなことは許されないと。また、お医者さまもいつも通りの食事を推奨されており、ルシアーナさまご自身もそう望んでおられると仰るので」
「それは……」
なんとなくわからなくもない。でもルシアーナ妃自身も、もっと自分の体をいたわって欲しい。食べることは生きること。おろそかにしていいものではないのだから。
「ルシアーナさまにしろ、ポルダ氏にしろ、随分と頭の固い、古風な人間なのだな」
兄は呆れたように呟いた。




