夜空
マイノ神官のご用意してくださった夕食は、とても心がこもっていて美味しかった。マイノ神官は、皇族であるリオンさまにお出しできるメニューでなくてと恐縮していたけれど、滋味深い野菜スープとふんわりと焼けたパンは、並々ならぬ技術と手間のかかった料理で、卑下する必要など全くないものだ。
食事の後は、ロイスナートさんとリオンさまは、私たちが帝都に帰るのに必要な馬車の手配などで忙しくなさっている。兄は兄でガデリ司祭のお仕事のお手伝いを始めたようだ。
皆が忙しくしているのに、私は食事の後片付けを手伝い終えると暇になってしまった。
「中庭に出られてはいかがですか? 今日はよく晴れていますから星が綺麗ですよ」
マイノ神官にすすめられ、神殿の中庭に出る。広い空間の真ん中にはベンチが置かれていた。
日はすっかり暮れていて、満点の星空が頭上に広がっている。
「わぁっ」
思わず感嘆の声が出た。
前世の日本ほどではないけれど、帝都では街明かりが明るくて、ここまでの星空を見ることはできない。まさしく降るような星空だ。
「なんて綺麗」
ベンチに座り、星を眺める。この世界では天動説が正しいとされていて、前世の知識のある私にはそこが微妙なのだけれど、神も龍もいるし魔法もあるのだから、世界の理が違っていても不思議ではない。
天が動いていても地が動いていても、星は美しいのだ。
「どうしたの? こんなところで」
部屋に行く途中で気づいたのだろうか。リオンさまがベンチに座っている私のところにやってきた。
「星を見ていました」
私が天を指さすと、リオンさまも空を仰ぐ。
「へぇ、すごいねえ」
「座ってご覧になります?」
ベンチの真ん中から私は少し横にずれると、リオンさまは「ああ」とうなずいて腰を下ろした。
「すごい数の星だね」
リオンさまも感嘆の声をもらす。
「ここは、心が洗われるようなところだなあ」
神殿そのものはもちろん、すべてが素朴で美しい。
「冗談ぬきで、ここで婚約式があげられたらよかったのに」
ぽつりとリオンさまが呟く。
胸がどきりと音を立てた。横顔を見ても暗くて、表情がよくわからない。
「確かに、ここは素敵です」
ここで婚約式を上げたら、政略結婚でも幸せになれそうな気がする。ただ、リオンさまは皇子だ。それはかなわない。もし、こんな田舎の村でひっそりと婚約式を上げるとすると、なんだか秘密の恋めいてしまう気がする。
「リオンさまはロマンチストなんですね」
結婚や婚約の儀式に夢を求めるのは、どちらかといえば女性の方の気がしていた。男性はもっと現実的なことを考えるイメージだったのだけれど、それは私の偏見だったかもしれない。
「うーん。相手がアルキオーネ嬢だからかな」
「え?」
言われて驚く。
「もちろん、アルキオーネ嬢は非常に現実的で、合理的だから、結婚式も婚約式も対外的な意味とか、立場とかそういう方に目が向いてしまう方だとは思う」
「それは……」
そうかもしれない。
もしリオンさまが本気でここで婚約式を挙げると言い出したら、私は全力で止めるだろう。ここは素敵だけれど皇子であるリオンさまの婚約式は少なくとも陛下やルシオーネさまの許可なく行うことはできない。ただ、うちの両親、特に母は浮かれてオッケーしそうな気はする。
「アルキオーネ嬢は、私が義務や責任感や同情で君と婚約することにしたと考えているだろうけれど、そうではないから」
リオンさまは私の髪をすくい、そっと唇を落とした。
胸の鼓動が速くなる。
「アルキオーネ嬢にとって、私はまだ危険な相手にみえているのだろうね……」
リオンさまは悲しげにつぶやく。
「未来視を否定できるだけのものを私は君に提示できていない。卒業したら……信じてもらえるのかな」
龍の未来視で見たリオンさまは高等部の制服を着ていた。もちろん、椿宮は荒れていないし、今のリオンさまが私に刃を向けるとは全く思ってはいないのだけれど。衝撃的な『記憶』は簡単には消えない。
「リオンさまを信じていない訳ではありません。ただ、龍が見せてくれたものすべてが間違っているわけでもないのです」
少なくとも、移動の魔法陣は動かすことは可能だった。
「わかっている。君が私たちの知らない『何か』を知っていることは、実は君と会う前からわかっていたから」
「私と会う前から?」
それはどういう意味だろう?
「ダビーやフィリップがよく話していたからね。令嬢らしからぬ、自由な発想を持っていて、二人が驚くほどの行動力があって。ずっとどんな人だろうって思っていたんだ」
兄とフリップ兄さまが私のいないところで、私の何を話していたのだろう。
「世間での評判は、とても優秀な令嬢で、しかも美女だって聞いていて、二人の話の人物とはなかなか一致しがたいものがあった」
「噂は真実とは違うものですからねえ」
一応、成績は悪くないので、優秀であるのは間違いではない。身ぎれいにはしているけれど、美女かどうかはわからない。
「だからね。君を初めて見た時、びっくりした」
くすりと、リオンさまは笑った。
「えっと。それはいったい何をびっくりなさったのでしょう?」
噂があまりにも違いすぎて驚いたということだろうか。
「噂通りとても美しい君が、ダビー達が話していた通りの人物であったことにだよ」
絶対に一致しないと思っていた人物像が、何の矛盾もなく一致したことに驚いたとリオンさまは言う。
「信じてくれないかもしれないけれど、一目ぼれっていうのかもしれない」
一目ぼれ?
言葉の意味が分からなくて、思わず首を傾げる。
「ああ、やっぱり信じてない。まあ、いいや。そのうち嫌でもわからせるから」
リオンさまは顔を私の耳に寄せ、そう呟いた。




