神殿
森と村の境界は、小さな川だった。
すでに薄暗くなっていて、はっきりとはわからないけれど、小麦畑が広がっているのがわかる。見上げればまだ明るい空に星がぽつりぽつりと輝きはじめ、民家にも明かりがともり始めていた。
ヴァンス村の神殿は、村の外れ、森の入り口にあった。
木造のこじんまりとしたものだ。
普段は神官が一人だけ常駐しているらしい。
そんな小さな神殿に、突然四人も客人が増えるとなると大変というのは簡単に想像できるが、他に泊まる宛などないから仕方がない。
マイノという神官は、ガデリ司祭が連れ帰った客をみて腰を抜かさんばかりに驚いた。それはそうだろう。人数もさることながら、皇子に侯爵家の子息が二人だ。そんなメンバーが先ぶれもなく、こんな帝都から離れた村に訪れる理由は思い至らないだろう。
「突然、世話になることになって申し訳ない」
リオンさまはマイノ神官に頭を下げた。
「いいえ。このようなむさくるしい場所に皇子殿下をお迎えできて、非常に光栄にございます」
若干青ざめるほどに緊張しながら、マイノ神官は答えた。
「なにぶん突然のことゆえ、大したことはできませんが、すぐにご準備をさせていただきます」
「すまないなマイノ。私だけでも大変だというのに」
ガデリ司祭は苦笑する。
「そんな。とんでもないことにございます。どうぞ中へ」
マイノ神官は恐縮して、頭を何回もさげ、神殿の中へと私たちを招き入れた。
入ってすぐにあった礼拝堂は、簡素だが非常に美しいものだった。全体的には薄暗い礼拝堂だけれど、中央正面に置かれたプロティアの像はランプで浮かび上がっていた。木造だが、優しく美しい表情だ。
空気はピンと澄んでいて、それでいて柔らかい。
ああ、これが『信仰』なのだと、わかった。
「とても良い神殿ですね」
「アルキオーネ嬢もそう思われますかな」
ガデリ司祭は嬉しそうに頷く。
「プロティア教のあるべき姿がここにはあります」
「わかる気がいたします。ここはとても清々しいです」
神殿の壁にかかっているレリーフなどはとてもシンプルだけれど、心がこもっていて、しかも丁寧に扱われているのが分かる。この村にとって、この神殿はとても大切な場所なのだろう。
「こちらへは、ナスランの調査に?」
「そうですね。帝都から遠い場所の神殿は目が届きにくいですからね──それに個人的に例の小屋を確認したかったので」
リオンさまの問いにガデリ司祭は頷く。
プロティアの巫女が覚醒するきっかけとなった誘拐事件の現場を見たかったのだそうだ。
「タランチェ子爵夫妻が言うには、誘拐事件の前と後で、マイア嬢は、まるで別人のようになったと。それほどまでに衝撃的な経験であったと聞きました。事件について、マイア嬢はあまり語ることがなく、夫妻も詳細は知らないそうです」
人格が変わるほどひどい目にあったのであれば、誰にも知られたくないと思っても不思議はないし、忘れたいことをあえて掘り起こす必要はない。
「無神経なことをするつもりもないのですけれどね」
ガデリ司祭はふうっと息を吐いた。
「最近の彼女は少し危うい雰囲気がある。巫女に祀り上げられて気を張っているだけなのかもしれないけれど」
「気を張っているなんて感じには見えなかったけどなあ」
兄がぼそりと呟く。
「どっちかというと、祀り上げられて調子に乗っているわがまま娘って感じだったけれど」
「お兄さま」
マイアはプロティアの巫女だ。プロティア教の司祭であるガデリ司祭に、そんな悪口めいたことを言ってはいけない気がする。
「ただのわがまま娘か」
ガデリ司祭は苦笑した。
「彼女が増長したとすれば、教団内の大人の責任だろうな。本当はまだ親御さんのもとで生活すべきなのだろうけれど──」
マイアは現在は神殿で生活をしている。普通に考えたら、子爵家で生活するより慎ましやかで、規律正しく、わがままなんて許されない環境のような気がするけれど、どうやらそうではないらしい。
「学院での評判はあまりよくないようだね」
「学院の評判はともかく、私の印象は最悪だな」
リオンさまは肩をすくめて見せた。
「入学早々、アルキオーネ嬢に喧嘩を売った時点で無理だ」
「リオンさま!」
事実ではあるけれど、わざわざガデリ司祭に話すことでもない。
「ああ、ローバー・ダリン司祭が言っておりましたな。なんでもリオンさまが決闘をなさったとか」
にやりとガデリ司祭が笑う。
「決闘の相手は、マルドーネ公子であって、タランチェ嬢としたわけではない」
「ええ、まあそうですね。マルドーネ公爵家は、熱心な光輪派のようですから、ダリン司祭としては複雑でしたでしょう」
私たちは礼拝堂を出て、この神殿で最も広い食堂へ場所を移した。全員で座って話せるとなると食堂しかないそうだ。小さな神殿なのだからそれも当然である。
「そういえば、プロティアの巫女を皇族に嫁がせようとする動きがあるらしいけれど、おっちゃん何か知っている?」
「皇族に?」
ガデリ司祭の顔が険しくなる。
プロティア教の総意ではないということなのだろう。
「私は最近、ナスランの調査にかかりっきりで、中央から遠ざかっていて、ちょっとわからないな」
「ナスランの調査の名目で、おっちゃんを追いやっているってことかな」
「大祭司にはそんな意図はないよ。一応、光輪派に捜査させるわけにはいかないという人選だからね」
考えすぎだとガデリ司祭は苦笑した。
「それはわからなくもないけれど、ガデリ司祭が帝都に戻らないと、私はアルキオーネ嬢と婚約式があげられなくて困っているのだが」
リオンさまは不満そうだ。
「おや、知らぬ間にそんな話になっておりましたか。それは大変失礼を。式だけでよろしければ、今ここでも可能ですが……さすがにそう言うわけにはいかないですよね」
「私は別にそれでもいいのだけれどね」
リオンさまは色っぽい目で私を見つめて微笑する。
「リオンさま!」
「怒るな、ダビー、きちんと侯爵夫妻同席で行うから安心しろって。だけど、すぐにでも婚約式を上げたいと思う気持ちは、嘘ではないよ。婚約を飛び越して、結婚でもいいのだけどね。まあ、さすがに将来の義兄の目があるから、我慢しておくが」
「……勘弁してくれ」
兄は大げさにため息をつき、私は……私は自分の顔が赤らむのを感じてしばらくうつむいたままでいた。




