遺跡 9
扉を開くと、そこは天然窟のようだった。それほど大きくはない。
「待って下さい」
先に外に出たロイスナートさんが小声で外に出ようとした私たちを制した。
「何かいます──いえ、幻影のようですね」
ロイスナートさんは注意深く前に進む。
「熊?」
折れ曲がった岩の向こうに大きな熊の姿があった。
一瞬、驚いたけれど、ロイスナートさんの言う通り幻影のようだ。
熊の姿は僅かに燐光を帯びて光っている。獣臭もない。動いてはいるものの、同じ動作を繰り返しているだけで、巣穴に現れた私たちの方を向いても何の反応もない。
「それほど難しい術式じゃない。魔力が働いているのはそこだけのようだし」
リオンさまが目を凝らす。
「特に大きな仕掛けがあるということもないようです」
幻影の術を仕掛けるときは、物理的な罠を仕掛けることも多いらしいけれど、ここは幻影だけらしい。
外光が差し込んでいるのか、ほんのりと明るいことを考えると、単純に知らない人間が迷い込まないようにしてあるのかもしれない。
「かなり古い術だな。それこそ、魔術王国時代からずっとあるのかもしれない。あえて、そのままにしてあるのだろう」
特に害もないため、そのままということなのだろうか。
遠くに鳥のさえずりが聞こえる。
「つまりそれなりに人里離れた場所ということでしょうね」
人里が近かったら、熊を退治しようとするだろうし、そうなれば術は簡単に解除されるだろう。つまり、熊が生息していても問題なく、人の方が熊に遠慮するくらいの場所ということになる。
「帝都からある程度離れている可能性もあるか……」
移動の陣なのだから、かなり離れた場所に設置されている可能性も高い。遺跡からの脱出用だったりするのかもしれないし。
「あまり離れていて欲しくないな。さすがにあそこに戻りたくはないから」
兄が私の方をちらりと見て、呟く。
移動の陣をもう一度動かせば、また元の位置に戻れるだろうけれど、先程の魔法陣のあった部屋の惨状を考えると、普通に移動の陣が使えるかどうかもわからないし怖い。
いずれきちんと調査をする必要はあるのだろうけれど。
正直な話、冒険をしたいと思っていたくせに、覚悟は全然足りてなかったのだなと思う。あそこに戻ると考えただけで、体が震える。
「離れていたら、それはそれでいいけれどね。正直、舞踏会に間に合わないほうがありがたい」
リオンさまは幻影の陣を調べ終えると、リオンさまはいたずらっぽく微笑む。
私が負担に思わないようにしてくれているのだろう。さりげない優しさが嬉しい。
「殿下、それは、私は聞かなかったことにしますので」
ロイスナートさんが眉をよせながら、岩窟の出口へと向かった。
特に問題がなさそうで、手招きされて外に出ると、そこは森の中のようだった。辺りは木々がみえるだけだ。陽光は傾きかけている。やみくもに歩いては危険ということで、ロイスナートさんがとりあえず、木に登って周囲をみることになった。
「舞踏会はお嫌いですか?」
「舞踏会がというより、公務だからというほうが正しいかな」
待っている間、質問するとリオンさまは苦笑した。
「いろんな奴が、勝手なことを言って兄上と対立させようとしたりして、非常に面倒なんだ」
「……ああ、なるほど」
次の皇帝が誰になるか決まっていないので、貴族たちは誰につくのが賢いのかと腹を探りあっている。
「リオンさまは臣下降下されると伺っておりますが、レジナルド殿下とフィーナ殿下はどのような心づもりなのでしょう」
「いまのところ、私も兄上も、フィーナが継ぐだろうと思っている。スーヴェル皇后陛下はやり手だし」
「そうですか」
スーヴェル皇后陛下は非常に政治家として優れている。そのこともあって、その子供であるフィーナ皇女が皇帝になる流れができつつあるという話だ。
「とはいえ、王配の最有力候補であったマルドーネ公子が皇后陛下の逆鱗に触れてしまったことで、また兄上を推す声も大きくなっているけれど」
「……なるほど」
あの決闘の一件で、マルドーネ公子は皇后陛下に嫌われてしまった。
ただ、マルドーネ公子に匹敵する家柄の男性となると、なかなかに難しい。
「私たちがいくら帝位に興味がないと言ったところで、そこに権力がある以上、人が群がってくる。まあ、私は兄上とフィーナがいての三番手だから、そこまでうるさくはないから、ぜいたくは言えないけれど」
「レジナルド殿下は、たいへんみたいだからねえ」
兄が気の毒そうに呟く。
「学院内でも令嬢に囲まれているから。婚約者が決まれば少しは落ち着く……かなあ?」
「どうでしょうね」
レジナルド殿下はモテる。とにかくモテるから、婚約者が決まったところで、結婚するまで諦めないという令嬢もいるかもしれない。
「それこそ周囲の人間が納得できる令嬢でないと、大変かもしれません」
例えば、原作のようにマイアと結ばれるようなことがあったとしたら──かなり揉めるだろう。私はどっちでもいいけれど、原作のアルキオーネのようにマイアを蹴落として自分が婚約者にと思う令嬢も出てくるかもしれない。
「レイベナ先輩とかエミリアさまとかなら、公爵令嬢ですから、文句があっても誰も面と向かっては言えないでしょうけれど」
家柄、人柄的にもあの二人なら問題が全くない。
「メルダナ嬢?」
兄は一瞬、驚いたようだった。
確かにエミリアさまは、リオンさまのことが好きだったから、レジナルド殿下のお相手とは考えにくかったのだろうけれど、そこまで驚くことだろうか。
「うん。そうだね。兄上が皇帝になるとしたら、最適な結婚相手だとは思う」
言いながらリオンさまは頷く。
「メルダナ嬢はわからないけれど、メルダナ公爵は望まないだろうね。レイベナ公爵は兄上が望めば受け入れそうだけれど」
「やっぱりメルダナ公爵は、権力の中枢にエミリアさまが入ることを望んでおられないということですか?」
「殿下! もう少し行ったところに道があります」
質問の答えを聞く前に、ロイスナートさんが木の上から声をあげたので、話はそれで打ち切りとなった。
リオンさまが舞踏会に間に合いたくないというのは、ある程度は本心だろうけれど、さすがにまずい。
まずはここはどこなのだろう。
「植生を見る限り、たぶん、帝国だと思うよ」
リオンさまが私の心を読んだのか、私に微笑みかける。
「帝国だと仮定すると、この岩に、少しずつ含まれている赤い貴石はきっと炎の魔素が固まってできたものだ。そうなると、ここはラミネの森のかなり深部だと思う」
ラミネの森は、帝都近郊の広大な森だ。都市近郊部分はかなり開発されはしたものの、魔物や獣の数はまだまだ多い。深部はラザール山という火山のふもとになっている。
それにしても、植生とか石とか見て場所を推理できるって、リオンさまはすごいな。素直にそう言うと。
「別にすごくない。魔道具の材料を集めるのに必要な知識だから」
なるほど。確かにそうかもしれないけれど。
しばらく進んでいくと、壊れかけた建物があり、馬が一頭、繋がれている。
廃屋の壊れた扉から、人の姿が見えた。
「失礼だが──」
ロイスナートさんが声をかける。
「あれ? おっちゃん?」
振り返った人物を見て、兄が思わず驚きの声を上げた。
フロド・ガデリ司祭だった。




