菓子
二回目の部活の日に、私は手作りのクッキーを持参した。
一通り勉強に区切りがついたタイミングで、それを取り出す。
「あの、お菓子を持ってきたのですけれど良かったら皆さん、召し上がりませんか?」
いわゆるお勉強系の部活でお菓子タイムとか、ちょっと非常識かな? とは思うのだけれど、これも作戦の一つだ。
兄から近日中に一度椿宮に部員を呼びたいと殿下が考えているらしい。それなら可能であれば、椿宮の厨房に入り込んで、食糧保管庫の状況などをチェックしたり、シェフに探りを入れてみたいのだ。それをするには、温かいお菓子を皆に食べてもらいたいから厨房をお借りしたい! なんて私が言い出してもみんなが驚かないようにするための根回しみたいなもの。回りくどいけれど。
もちろん、殿下には厨房に入ってみたいと考えていることは、あらかじめ兄から説明してもらっている。
「わぁ。アルのクッキー、久しぶりだね」
好意的に受け止めてくれたのは、フィリップ兄さま。フィリップ兄さまには『作戦』のことは話していないけれど、私が昔から厨房に入り浸っていることは知っている。
侯爵家の令嬢としてはかなりの奇行ではあるから、内心では呆れているかもしれないけど。
「アイシングじゃないんだ」
兄は少し残念そうだ。
「一番得意なものを作りましたから。皆さまの好みもわかりませんし」
兄は卵白とお砂糖を使って飾り付けたアイシングクッキーが大好きなのだ。
「いらないなら、お兄さまは食べなくても」
「そんなことは言ってないぞ」
兄は首を振る。
六人で食べても余るくらいの計算で作ったバタークッキーは、かなりの量だ。前世でこんなことをすると『女子力』アピールみたいに思われるのが嫌だったけれど、今世ではどちらかといえば『ダメ淑女アピール』なる。とはいえ、調理部にいる時点で、既に変わり種なのはバレバレだから気にしても無駄だ。
「へぇ。話には聞いていたけれど、器用だねえ」
リオン殿下が感心したように覗き込んで、クッキーに手を伸ばした。
「はい。宮廷のパティシエには到底かなわないですが、味はうちのシェフの保証付きです。毒見は兄がしますので、殿下もよろしかったらどうぞ」
「え? これ、あなたがお作りになったの?」
エミリアさまが驚きの声を上げた。
「はい。趣味なので」
私は頷く。
「趣味って……」
エミリアさまはクッキーを見ながら茫然としている。
上級貴族であるエミリアさまにとって、クッキーは使用人が作るか、もしくはお店で買うものなのだろう。
「やあ、これは美味しいな」
「え? 待って下さい、殿下。さすがに毒見もなしに口にされるのは不用心なのでは?」
ためらいなく真っ先に口に入れたリオン殿下に、私は驚く。
「アルマク嬢が、私に毒を盛る理由はないだろう?」
にこりとリオン殿下は微笑む。
「それに毒見なんて悠長なことは言っていられない感じだけれど?」
「さすがにそれは──」
ないですと言いかけて、すごい勢いで食べ始めている兄に気づいた。
「お兄さま。食べすぎです」
「そうだ。ダビー、一人十二枚までだろう! 取り分けるから、お前は少し待て」
いつの間に数を数えたのか、フィリップ兄さまが指摘して、仕切り始める。
「僕もいただいてもよろしいのでしょうか?」
「焦るなクラーク、今、全員に分けるから」
そこまで厳密にしなくてもいいと思うのだけれど、フィリップ兄さまは人数分きっちりと分けた。兄と違って几帳面な人だ。
まあいいか。
多いと思ったら、残すだろうし。
「……美味しいわ」
エミリアさまは少し難しい顔で、クッキーを口にするとぽつりと呟く。
「焼きたてだともっと旨いんだけどね」
にかっと笑う兄。なぜか兄が得意げだ。若干棒読み気味な気がする。
「私も焼きたてを食べてみたい。そうだ。今度、椿宮で焼いてくれないか?」
兄の話を受けて、ポンとリオン殿下が思いついたように膝を打った。
「え? ええ」
頷きながら、これ、根回しの結果だと気づいた。
兄もリオン殿下も、お芝居が下手かも?
自然な流れとは言い難い気がして、私は少しひやりとした。そもそも宮廷の料理人に頼めば、焼きたてのクッキーくらい出してもらえるはずだ。かなり無理がある展開である。
私としては、温かさが身上のお菓子を、なんて展開にもっていくつもりだったのだけれど……まあ、いいか。
「ちょうど椿宮の実際の会計簿なんかをみながら、うちの会計担当者に解説をしてもらおうと思っていたんだ。次の休みの日、良かったら、みんな来てくれないか?」
こちらの誘い文句はリオン殿下がもとから考えていたものだからよどみない。
「私も、お伺いしてもよろしいのですか?」
遠慮がちにエミリアさまが口を開く。
宮廷を貴族が訪れるとなると、本来なら使者を立てたり、いろいろ面倒な手続きが必要だ。
「強制ではない。ただ、あくまでも部活の一環のつもりなんだ。なんなら、顧問の先生にも声をかける予定だし」
リオン殿下は、あくまで『部活』だと強調する。宮廷の来賓記録などにもそう記載されるから、異性である私やエミリアさまが訪問したところで、そこから何か勘繰られるようなことはないだろうと説明する。
「そういうことでしたら、ぜひ、お邪魔させていただきますわ」
エミリアさまは少々前のめりぎみに断言する。
「できればメルダナ公爵の許可はしっかりともらってくださいね」
兄は少しだけ心配気にそう呟いた。
そんなことがあってからの、翌日の放課後。
「アルキオーネさま! 早く来てください!」
同じ調理部のレティアがすごい顔で教室まで私を呼びに来た。
「なあに? 呼ばれなくてもすぐ行くけれど」
「大変なんです! 部長がアルキオーネさまに助けてほしいって!」
何がどう大変なのか全くわからないまま、私はレティアに引っ張られるようにして、調理室に向かうと、そこには、エミリアさまがいた。
部長のスーザン・ケイバス先輩は青ざめた顔で、手にした紙を凝視している。
「ケイバス先輩?」
私が問いかけると、先輩は手に持っていた紙を私にみせる。
調理部への入部希望届だ。この時期には珍しいけれど、途中入部はダメってわけではない。入部希望者の欄に、エミリア・メルダナという署名が入っている。
「ど、どうしましょう。アルキオーネさま」
ケイバス先輩はかなり動揺しているようだ。
どうしようも何も、入部を受け入れるか受け入れないかしかない気がする。
ただ、ケイバス先輩は、男爵令嬢。公爵令嬢であるエミリアさまを前にして、どうしたらいいのかわからなくなっているのだろう。
調理部に所属するのは私を合わせて十五名ほどだが、上級貴族と呼べるのは私しかいない。あとはみな、子爵以下で平民出身の子もいる。
伯爵より上の子息子女が台所に立つことは恥みたいな風潮があるからだ。調理室に集まっている他の部員たちが、理解できないという顔でこちらを見ている。
「エミリアさま、調理部に入部希望って、本気でいらっしゃいますか?」
「ええ。何よ。何か問題でもあるとおっしゃるの?」
問題はないけれど、疑問はある。
あまりよくは知らないとはいえ、エミリアさまは公爵令嬢。少なくともメルダナ公爵はエミリアさまが厨房に立つことを許さない気がする。それに『領地経営研究同好会』と違って、リオン殿下がいるわけでもない。
「いいえ、もちろん入部は歓迎いたしますけれど……」
うちの両親は人生何が起こるかわからないという理由で、自分の身の回りのことを自分でできるようになることに対して、抵抗がほぼない。私に甘いだけかもしれないけれど。
「ご家族に反対されたりはしないのでしょうか?」
「学院での学びに反対されるようなことはないですわ」
なるほど。部活で料理するくらいなら、人生経験として許容するということなのだろうか。イメージより、公爵は寛容なのかもしれない。
「ちなみに、お料理の経験は?」
「ないわ」
エミリアさまはきっぱり断言する。
「経験者でないと入部できませんの?」
「そういうものでもありませんが」
部長であるスーザン・ケイバス先輩は私の後ろに隠れてしまっている。
学院にいる間は、形式上は身分の上下は不問とされることになっているのだけれど、やりにくさはあるだろう。
私の時もかなり怯えられた。
ちなみに、私は問答無用で大根の千切りを始めて、自分が料理を出来ることをアピールをしてみせた。だからエミリアさまも私のように料理がしたい、料理が好きって気持ちがあるのなら、きっと受け入れてもらえる……けれど。
「参考までに、なぜ調理部へ?」
経験者でないエミリアさまが料理をしてみたいと思ったのはなぜだろう。何か事情があるのかもしれない。
「私、あなたより優秀にならなければいけませんの」
エミリアさまはキッとした目で私を睨む。
え? 原因は私?
「リオン殿下に選んでいただくために、あなたより有益だと思っていただかなければ」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、私は別に殿下とは何もございませんけれど」
私は首を振る。
そもそも、リオン殿下は将来、私を殺すかもしれない人だ。今回、兄のせいで縁を持ってしまったけれど、あまり親しくするのは問題だと思っている。
「でも、あなたは殿下と親しくて、しかも優秀だわ」
エミリアさまは悔しそうだ。
「リオン殿下と親しいのは私ではなく、兄ですよ?」
何かものすごい勘違いをなさっているのではないだろうか。
そもそもうちの兄が、人との距離感がおかしいところがあるせいかもしれない。
「いいえ。あんなに優しく同世代の女性とお話になる殿下を見たのは初めてでしたわ」
部活の時のことを言っているのだろうけれど。
ごくごく普通に話していただけだ。特に私とだけ話していたわけでもないし、なんなら、エミリアさまとも同じように話していたように思えたけれど。
「あの、つまり私への対抗意識ということでしょうか?」
それは調理部への入部の動機としてどうなのだろう。
「もちろんそれもありますわ。でも、その……あなたのお菓子が美味しかったからですわ!」
エミリアさまは意を決したように叫んだ。
「お笑いになられても構いませんわ! 私も作ってみたいと思ったのです……その、昔から興味はありましたの……」
エミリアさまは顔を真っ赤に染め上げ、恥ずかしそうに俯く。
なんかとっても可愛らしい。
私たちの様子を遠巻きに見ていた部員たちも、ほっとしたようだ。料理を始めたいと思う気持ちはきっと本物だ。それなら、きっと一緒に楽しむことができる。私の時と同じように。
「ケイバス先輩、エミリアさまの入部、今日からでも大丈夫でしょうか?」
「ええ、大丈夫です。アルキオーネさまと同じ班でよろしければ」
私の後ろに隠れていたケイバス先輩がややぎこちない笑顔で頷く。
その日のメニューは、初心者にはちょっと工程多めのアップルパイ。少しだけ焼きすぎてしまって見栄えは悪くなってしまったけれど。
「今まで食べた中で一番美味しいですわ」と、エミリアさまはとてもうれしそうだった。




