沼人
遅くなりました。
上の様子がどうなっているのか、さっぱりわからない。私が落ちてきた穴? は、まだぽっかりと空いたままなので、何らかの手段を使えば、下に降りてこれるとは思う。
けれど、ミーナは幼子を抱えた状態だ。急いで助けを呼ぶにしろ、それなりに時間がかかることが想定される。
シュリーマン神官長は光玉を杖の先に固定し明りにしていた。髪は乱れていた。顔も服も薄汚れていて、表情は憔悴しきっている。よく見れば足を引きずっていた。
ひょっとしたら、この人、道に迷っているのだろうか?
殿下と兄の話では、おそらくすでにこの男は手配中のはずだ。
普通に考えて、逃走の為にこの地下通路を使っていたとしたら、明かりが見えたら用心するし、人の姿を見たら避けようとするはず。
「お前は」
シュリーマンは私の方を見て、身構えた。
どう考えても、身構えられるような状態ではないと思う。むしろ私が身構えたい。
ただ、何とか上半身は身を起こした状態だけれど、立ち上がるのは無理だ。
「なぜ、お前が?」
「なぜと言われましても──」
今の状態の私が歩いてここに来たとでも思うのだろうか。
そもそも遺跡探索ならドレスで来ない。
その時、突然闇の中から『気配』がした。
シュリーマンはびくりと体を震わせて振り返る。明かりは見えない。
生臭い匂いだ。黒い影の中から、ぬうっと何かが現れた。
「光玉!」
私はそちらの方角に向けて、光玉を放つ。
「何?」
一番しっくりくる呼び名は、半魚人だろうか。上半身が魚。下半身は人間。体には、藻がからみついている。
「沼人?」
そういえば『学院の赤い月』でリオン殿下が実験動物として地下で飼っていた生き物? がいた。そして、彼奴等は地下遺跡に侵入する人間を食べていたような気がする。ただ、彼奴等は、遺跡の沼に住んでいて、どこにでも現れるという印象ではなかった。あくまで原作では、だけど。
少なくともこの世界で沼人というものについて書かれたようなものはみたことがないから、メジャーなものではない。
「ひぃぃ」
シュリーマンは悲鳴を上げた。
伸びた手が、シュリーマンの髪の毛をつかむ。
「た、助けてくれぇ」
沼人は、シュリーマンの叫びを気にした様子もなく、乱暴にシュリーマンを肩に担ぎ上げた。どこかに連れて行く気だ。
「いやだ、食われたくない! 助けてくれ!」
シュリーマンは泣き叫ぶ。
沼人はシュリーマンの体を放り投げ、壁にぶつける。ものすごい音と悲鳴がして、シュリーマンは大地に寝そべった。何か尖ったものに当たったのか、血臭がする。
「ひっ」
さすがに、我知らず悲鳴が漏れる。
沼人は、私に気づいたらしく、今度は私の髪の毛をつかんだ。ねちゃねちゃとした沼人の体液が目に入ってきて、痛いし、すごく気持ち悪い。
「氷の槍」
なんとか呪文を完成させると、沼人の腕に氷の槍が突き刺さった。
「ぐああ」
沼人の手が離れた。
髪の毛は自由になったが、苦しくて、咳く。体中がべとべとだ。目が見えない。
この隙に逃げなくてはと思うのに、思ったように動けない。
「炎柱!」
その時、殿下の声が聞こえたとともに、沼人の断末魔の叫びが響き渡った。
「でん……か?」
ぼやけた視界に殿下の姿が見える。
「もう大丈夫だ。動けるか?」
私は首を振る。
「ちょっと、無理です」
「殿下! アルキオーネは?!」
兄の声が上からした。
「怪我をしている! 骨が折れているかもしれないから、担架の用意を」
「わかった!」
殿下が上に向かって指示を出す。
ああ、助かるのだ。そう思ったら、急速にあちこちが痛み始めた。
「少し眠ったほうがいい。安心して眠りなさい」
殿下は、そういって、睡眠の呪文を唱えた。
目が覚めると、今度こそすべてが終わっていた。
私は右足の骨を骨折しており、全治二か月を言い渡された。ただ、さすがに、二か月椿宮にお世話になる必要はなくて、あと十日ほどたったら家に帰っていいらしい。
シュリーマン神官長は、命はとりとめたものの、かなり重症らしい。ただ、孤児院と神殿の職員の中の唯一の生き証人ということで、全貌の解明の為にぜひ、詳細を語ってもらわないといけないとのことだ。
彼の自供したところによれば、シュリーマンたちは、『ナスラン』という人物の指示で動いていたらしく、エディを保護したあの日、『ナスラン』に地下の遺跡に呼び出され、そのまま閉じ込められたようだ。出口を知らぬままさまよううちに、職員たちは沼人に殺されていったと思われる。
ちなみに、遺跡の広さは広大で、医務庁があっさり襲撃されたのも遺跡の出口を使ったかららしい。
「というわけで、しばらく遺跡の探索をすることになったよ」
「楽しそうですね」
大変なことだろうに、病室に報告に来た兄は少し楽しそうだ。
「ああ、まあね。いかにも冒険という感じだろう?」
「いいなあ」
私も羨ましい。なんだかいかにも魔法の国って感じなのに。
「お前は当分、安静だろうが」
「それはそうですけれど」
さすがに足を骨折した状態で、遺跡探索なんてできない。ちょっと悔しい。
「沼人は、とりあえず駆逐したが、どうやら、あれ、人工生物っぽくてな」
「人工生物?」
「ああ。誰が作ったのかわからない。まあ、宮廷の地下にあんなのがいたら落ち着かないよな」
「ナスランが作ったものでしょうか?」
人工生物なんて、そう簡単に作れるものではないはずだ。
「光輪派と関係があるのか、ないのか。それも含めて、もう少し時間がかかる。ああ、そうだ。アルキオーネ」
兄は忘れていたというように、私を見た。
「なんです?」
「陛下から正式にリオン殿下とお前の婚約の申し出があったよ」
私は耳を疑う。
「親父はまだ回答していないけれど……まあ、お前も覚悟はしておけよ」
原作の私は、レジナルド皇子の婚約者候補だった。
ただの候補だったし、そもそもリオン殿下とではない。
「私、未来を変えたのかしら?」
リオン殿下に殺される未来が回避できたと信じていいのだろうか。
とはいえ、このまま婚約して、リオン殿下がマイアに恋に落ちたら、やっぱり原作通りになってしまうかもしれない。
ベッドに寝転んで天井を見つめながら、婚約は回避できるのかなあとぼんやり考えていた。
一応、中等部編はこれで終わりです。




