襲撃
医務庁の建物全体が揺れた。
窓ガラスにぴしりとヒビが入る。
「いけない」
私はとっさにベッドに覆いかぶさった。何かが降ってくるのを覚悟した時。
「土壁!」
窓が音を立てて窓枠ごと粉砕されるのと同時に、殿下の呪文が完成し、土壁が窓際にそそり立ち、破片は壁の向こうへと落ちていく。
「ロイスナート、患者をたのむ。アルマク嬢はロイスナートと一緒に奥の部屋へ! ここは私が引き受ける」
「しかし殿下!」
「魔術での勝負で負けはしない。早く行け!」
殿下の鋭い声が飛ぶ。
外からの攻撃はまだ続いているようだ。いくつもの魔力が感じられる。状況はよくわからないけれど、複数個所からの攻撃のようだ。
殿下の護衛であるロイスナートさんからすれば、殿下以外の人間を守るために殿下から離れるのは職務的に難しいとは思うけれど、実際、魔術の対決であれば、殿下に敵う人間はおそらくこの国にはいない。
今はまだ違うけれど、原作の『学院の赤い月』では確か、すでに魔術師の塔のトップに立っていたという記述があったはず。
「わかりました」
一瞬迷ったようだったロイスナートさんも、ここは殿下に任せた方がいいという判断になったらしく、素早くエディを抱きかかえた。
「こちらへ」
「はい」
移動した部屋は襲撃のある場所から離れているらしく、魔力は感じられなかったが、ケガ人が集められた、野戦病院のような様相を呈していた。血臭がするなか、手当てする人たちの鋭い声が飛んでいる。
こうしてみると、そんなに人の数は多くないように見えたけれど、それなりにたくさんの人が働いている施設なのだと改めて思う。
「アルマク嬢!」
鋭い声に呼ばれてそちらを見るとジュテスト医師だった。白衣を着ておらず、半そでのシャツとズボンだけの軽装だったので、最初誰だかわからなかった。
「手を貸してください。水の魔術が使える人間が必要です」
一瞬ロイスナートさんと目が合ったので、軽く頷く。
「わかりました」
状況は全くわからないけれど、どうやら私に出来ることがあるらしい。
「入り口のホールに賊が侵入し火の魔石を持って自爆しました」
ジュテスト医師が歩きながら説明を始めた。
夕刻になって閉門して普通にははいれないはずなのに、どこからともなく突然現れたらしい。
「火の魔石を大量に持ち込んでいて、消火できません。現在、火勢が広がらないようにするのがやっとで……」
魔石は、魔素の塊だ。火の魔石そのものが燃えているとなると、普通の水で消すことは難しい。
廊下を進んでいくにつれて、焦げるようなにおいがしてきた。煙がすごくて目が痛い。
医務庁にいるのは医術のエキスパートであって、魔術のエキスパートではない。しかも外からの攻撃も受けている状態だ。
賊は玄関ホールに侵入した人間の他にもいるらしく、情報が錯そうしている。たまたま殿下の護衛に数名騎士が配置されていたため、現場の指揮を取ってくれているらしいが、何がどうなっているのかジュテスト医師も全部を把握しているわけではないようだ。だが、火を消すのは安全確保のために急務である。
「まだ中等部の学生であるあなたに無理を言って申し訳ないのですが」
「いえ。やります」
正直言って怖いけれど、何もしないで震えていたらきっと後悔する。
「ダメだ! 火勢が強い!」
炎が見えた。悲鳴が聞こえる。
「アルマク嬢?」
「散水」
まずは前方に向けて、弱いけれど比較的持続時間のある水の魔術を発動させる。本来は、花壇で水を撒くのに使う魔術で、火事を消すにはあまりにも微弱だけれど。とりあえず、目に見える範囲は水びたしになった。
「延焼を防ぐには、とりあえず濡らしておくのが一番ですから」
「びっくりするほど、冷静な方だ」
ジュテスト医師は私を褒める。ただ、それどころではない。
土壁を作り、その陰から呪文を唱えている人の姿が目に入った。
「ジュテスト! そちらは」
「師長、黒龍の寵児をお連れしました!」
「おおっ」
玄関ホールは火の海になっていた。廊下のこちら側はまだ大丈夫だが、ホールをはさんだ向こう側がどうなっているのか全く見えないし、高い天井まで炎がのびている。
「あの、火元はどのあたりかお聞きしても?」
「おそらく入り口付近です。ただ、賊は持ってきた火の魔石をあたりにばらまいたようですので、散らばっています」
火のついた火の魔石を消火しようと思ったら、最大級の水の呪文をぶつけるしかない。消えるかどうかは、私の魔力や術が、魔石の質、火をつけた人間の魔力を上回れるかにかかってくる。
アルマク家はもともと水の魔力を得意とする家門だし、私は水の魔力を源とする黒龍の加護を得ている。たいていの相手なら大丈夫なはずだ。
問題は、私の使える魔術は中級クラスのものだけ。一応、上級クラスの本は読んだことがあるけれど、使ったことはない。
もちろん初級の魔術でも魔力で圧倒すれば、魔石の火は理論上は消えるとは思うのだけれど。ただ、呪文がもともと持っている『力』の違いがあって、呪文の難易度が上がればその分、魔素のもつ『力』が強くなる。
魔石はいわば魔素の塊だ。質の違いはあるにしても、できるだけ難易度の高い魔術で対抗すべきだ。
「アルマク嬢?」
「行きます。視線を通したいので、少しの間だけ、私を守っていただけますか?」
「わかった」
魔術の発動場所を目視すれば、威力が増す。土壁に隠れて魔術をすれば安全だけれど、その分威力が落ちてしまう。多少危険でも目視した方がいいのだ。
「散水」
ジュテスト医師と師長さんが私の周囲に水を撒く。その水に守られながら、私は呪文を完成させた。
「雨飛!」
ホール全体に大雨が降りしきり、風が吹き荒れる。
初めて唱えた上級の呪文は、思った以上に魔力を持っていかれ、維持するのが大変だった。意識が何度も飛びそうになる。けれど、ここでふんばらなければ、火を消すことはできない。意識を集中し、魔力を陣に注ぎ込み続けた。
やがて。
天井までなめるように伸びていた炎が次第に勢いをなくしていき……消えた。きがつけば、床にいつの間にか浸水したかのように水がたまっている。
「すごい」
ジュテスト医師と師長さんが感嘆の声を上げた。
「よかった……」
ほっとした私は、思わず膝をつく。頭の中が真っ白だ。体が鉛のように重く感じる。
ああそうか。初めての上級魔術で加減が分からず、結構限界まで魔力を注ぎ込んだせいだ。
「アルマク嬢!」
倒れかけた私の体を誰かが受け止めてくれた。
ふと見上げると殿下の心配そうな顔が間近にあった。
「殿下?」
「大丈夫か?」
水を被って呪文を唱えてた関係もあってずぶぬれなせいで、殿下も濡れてしまうのではと心配なる。
「大丈夫です……殿下まで濡れてしまいます」
「そんな心配は無用だ」
殿下は少し怒ったような口調で私を抱き上げる。
「歩けます……よ?」
「気を失いそうなほど疲れているのに?」
殿下は大きくため息をついた。
「師長、ここの後始末は頼んだ。じきに近衛隊がくるだろうからそれまで頼む」
「はい。殿下」
師長さんが頷く。
ああそうか。これだけの派手な騒ぎが起これば、近衛隊だってくるだろう。
ここは宮廷から近い立地なのだからと、ぼんやりした頭で考える。
「ジュテスト医師、アルマク嬢を診てやってくれ。上級魔術を使ったのは初めてだろうから、たぶん、かなり体に負担がかかっているはずだ。全く本当に無理をする……」
そんなことはないと言いたいのに、眠気が押し寄せ、殿下の話がだんだん遠のいていき……私は殿下に抱きあげられたまま、意識を失った。




