作戦
帳簿上の変化がないということは、まず疑われるのは会計責任者である。
そして、予算が変わらないのに人員削減が続けられ、再雇用が見送られているとなると、人事権を持つ人間も怪しい。なんにせよ、椿宮における重要なポジションの人間が絡んでいるはずだ。
「陛下に言上することはできないのですか?」
「母は現在、陛下からそこまでの寵愛があるわけではない。今の段階で騒ぎ立てても、全貌を暴けないだろう」
リオン殿下の表情は苦い。
側妃ルシアーナ妃が体調を崩しがちになってから、皇帝の足が椿宮から遠のいているらしい。
体調を気遣ってのことかもしれないけれど、愛情があれば見舞いくらいするはずだ。それがないということは、愛が薄れたと少なくとも周囲は見る。
皇帝の寵愛が薄れた側妃は軽視されがちだ。しかもルシアーナ妃の生家はエローナ侯爵家。一時期は権勢を誇った家門だが、現在の当主になってからは、勢いがなくなっている。斜陽とまではいかないけれど、後ろ盾としては既に弱い。殿下の発言権はそこまで強いものではないのかもしれない。
帳簿と現実が違うという『確証』がなければ、単なる被害妄想ととらえられる危険もある。
ちなみに。
スーヴェル皇后の娘、フィーナ皇女は現在六歳だ。そのため、現在の地点で、継承権は、皇后の娘、フィーナ皇女、側妃バーニア妃のレジナルド皇子、側妃ルシアーナ妃のリオン皇子いずれも『同列』とされており、誰が帝位を継ぐのかまだ決まっていない。
決まってはいないが、リオン殿下が一番遠い位置にいるというのは定説だ。
「帳簿から暴くのであれば、まず在庫管理などから調査すべきでしょう。なんにせよ、椿宮の会計責任者および使用人の雇用責任者の身上調査はすべきかと」
「身上調査か……」
リオン殿下はため息をついた。
「護衛官の方とか信頼できるかたはいらっしゃらないのでしょうか?」
私は帳簿上のことなら協力できるけれど、身上調査とかは守備範囲外だ。
「うちから人を出すとか?」
「ダビーやアルマク嬢を巻き込んでおいてなんだけれど、アルマク侯爵にまで迷惑はかけられないよ」
リオン殿下は首を振る。
今はまだ誰が絡んでいるのかがわからないから、と苦笑する。
つまり、口にはしないけれど、国家を揺るがしかねない大物がいるのではないかと疑っているのだろう。
「うーん。じゃあ、俺がやるよ」
「お兄さまが?」
どうしてそういう展開になるのかわからず、私は首を傾げる。
「俺は殿下のクラスメイトだから、椿宮に出入りしたところでそれほど不審に思われないし、聞き込みとかたぶん得意だと思うんだよね」
「……そうかも」
確かに兄はコミュ力の塊みたいな人だ。
気づくといろんな人と友達になっている。人の警戒心を解くのが天才的に上手い。前世の日本にいたら、きっと営業のエースとかになっていたタイプだ。
「無理はしないさ。素人だしね。とりあえず周辺から探り始めてみるよ」
「私も何かお手伝いできたらいいのですけれど」
兄と違って、私が椿宮に出入りするのは不自然だ。ルシアーナ妃に面識はあまりないし。
「……だったら、私がアルマク嬢に求婚したことにしよう」
「はい?」
「は?」
私と兄が思わず驚きの声を上げた。
「私が求婚したことにすれば、椿宮に来てお茶会でもてなす大義名分がたつ」
「お待ちください。ど、どういうことですか?」
何故に私が私を殺す予定のリオン殿下に求婚されることになっているのだろう? 意味が分からない。
「言葉通りの意味だよ。それにアルマク嬢は、兄上の婚約者候補だ。私が陛下に求婚したいと言ったところで、すんなりは通らない。審議にはおそらく半年近くかかるだろう。その間、焦った私が、何度かアルマク嬢を茶会に招待するのは自然だろう? もちろん、君は『一人では無理』と断りを入れ、仕方なしに私はダビーも招待する──」
「親友の俺は仕方なしに呼ばれるというのですね……」
兄は寂しそうに空を仰ぐ。
いや、大事なのはそこじゃない。そもそもレジナルド殿下の婚約者候補になるつもりだって毛頭ないし、だからと言って、リオン殿下と婚約するつもりもない。
「すんなり通ってしまったらどうなさるおつもりなのですか? 取り返しがつかないじゃないですか。そもそも皇子殿下から求婚なんてことになったら、両親だってこちらからお断りするような不敬な真似は致しかねるかと」
「それならそれで私は構わないけれど、君には迷惑かな」
申し訳なさそうに殿下は微笑む。一瞬、その表情にどきりとしてしまったけれど。
皇族の婚約はかなり政治的な意味があって、結ぶのはもちろん、解消とかも難しい。
「殿下。尊い身で軽々しくそのようなことを口にされるのはどうかと。私が本気にしたらどうなさるおつもりですか?」
私はコホンと咳払いをする。
そもそも、椿宮で誰かが不正をしているのかどうか確かめたいという話だったはずだ。
「要は、私が椿宮に兄と出入りする理由があればいいのですよね? 私も東中等部なのですから、三人で新しい『部活』を始めればいいのです」
「部活?」
厳密には三人だと部活動の承認は得られないから生徒会から予算がもらわない『同好会』扱いになるけれど。
「しかし、殿下は既に魔術研究部だし、俺は剣術部だ。アルキオーネだって、調理部だろう?」
「まあ、そうなのですけれど、兼部する人だっているわけですから、週一で集まるくらいは何とかなるのでは?」
同じ部活をしていれば、親しくても不思議はない。頃合いを見て、椿宮に訪問すれば大丈夫だろう。
「なんなら、領地経営研究会みたいな名前にしておけば、帳簿などを見せてもらう理由になります。一応、財務局に提出する書類は原則は『公開』書類なわけですし」
公開といっても、閲覧にはルールがある。誰でも見られるというものではないし、閲覧理由も必要だ。ただ、リオン殿下なら望めば閲覧はそこまで難しくない。おそらく今までは閲覧する理由に困っていたのだろうけれど。
「ああ、なるほど。理由づけが楽になるということか」
殿下はポンと手を叩く。
「はい。何ならアルマク侯爵家のものも資料といたしましょう。顧問に、帳簿に詳しい先生をお願いできれば、なおいいですね。いざとなれば椿宮の会計担当の方に教えを乞う形で揺さぶってもいいかもしれません」
「それは、さすがに危なくないか?」
兄は慌てる。
「殿下と私が婚約するよりはよほど現実的ですし、自然に相手を探れますよ」
疑問点を問いただすのも、無知を装えば相手の警戒を解くことができる。
「他の生徒が入りたいと言ったら?」
「学内での活動は一緒にすればいいのでは?」
表向きは帳簿付けや、帳簿の見方、税金の法律や投資の勉強を本当にすればいい。前世には、そういった『お勉強の部活』に入る学生だってそこそこいた。
むしろ私達以外の生徒がいたほうが、部活の本気っぽさが出る。仲間として引き入れるかどうかは、慎重に判断すべきだけれど。
「やるからには、ある程度真面目に部活動として取り組む姿勢は必要です」
捜査権なしで探っていくには、時間がかかる。
「あとは、できるだけ味方を集めましょう。最終的には陛下に判断を仰ぐことになるでしょうけれど」
殿下は皇子だから、できること、許されることは多いし、権限もある。ただ仲間が兄や私のような学生だけでは、どうにもならないことだってある。
「なんか秘密結社でも作っている気分だな」
「なんなら、コードネームでもつけましょうか? 『赤い椿』とか」
くすくすとリオン殿下が笑うと兄も頷く。
「遊びじゃないですのに……」
言いかけて、私はハッとなる。
ひょっとして、リオン殿下が首魁の魔術師集団『赤い月』って、これが発端ってことは……ないと思いたいけれど。
よく考えたら、アルキオーネはなぜ『赤い月』に依頼できたのかとか、いろいろ疑問点が残る。
「アルマク嬢?」
考え込んでしまった私をリオン殿下がのぞき込んできた。
「いろいろ考えてくれているのに、茶化すようなことを言ってごめん」
「いえ、その……大丈夫です」
首を振りながらも。
自分でも笑顔が引きつるのを意識していた。




