孤児院
救貧院や孤児院は、貴族の寄付で成り立っている側面が大きいため、貴族が奉仕活動をしたいと言えば、基本的に受け入れるものだ。
ただ、アポなしは嫌がられるので、あらかじめお伺いを立てる必要がある。
面倒だが、先方にも都合というものがあるだろう。
査察目的でもない限り、その辺の慣例は守るべきだ。
本当は私とせいぜい兄と二人で行くつもりだったのだけれど、領地経営研究同好会のメンバー全員で行くことになってしまった。
大ごとである。
学生の孤児院での奉仕活動というのは、ほとんどが子供と遊んだり絵本を読んだりというのが主流だ。中には掃除などの手伝いをすることもあるけれど、上流階級のお貴族さまは、自分の部屋でさえ掃除したことがないのが当たり前なので、やろうと思ってもできないだろう。
殿下が行くとなると、いろいろ警備とか大変なので、先方とかなりやり取りすることになった。
私としては、孤児院に併設している神殿も含めて、例の声の主がいるかどうかを確認したいだけなのだけれど。
ちなみに、神殿は光輪派に属しており、ローバー・ダリン司祭を支持しているところだから、フロド・ガデリ司祭はあまりよく知らないらしい。同じプロティア教でも派閥によって『教え』そのものが違う部分が多いため、仲がいいとはいえないようだ。現在光輪派は少数派ではあるものの、熱狂的な信者が多くて、勢いを増している。
数回の調整が行われた後、私たちはマーケー地区の神殿を訪れた。
マーケー地区は商業区域の端にある。神殿は規模の割には裕福さを感じさせる建物だ。おそらくかなり裕福な資産家が、神殿に寄進しているのだろう。併設してある孤児院は逆に清貧を絵にかいたような建物で、少しちぐはぐだ。
私がそういうと、「きっとその方がかわいそうに見えるからだ」と、リオン殿下が教えてくれた。
「俗っぽい話をすると、孤児院の経営もいかに寄付金を集めるかってことが大事だから」
「なるほど……」
世の中世知辛い。
神殿の前には既に神官長が私たちを待っていた。
「やはり、殿下と一緒だと違いますわね」
エミリアさまが耳元で囁く。
皇族に匹敵する力を持つ公爵家のエミリアさまでも、ここまで丁寧に迎え入れられることはないそうだ。
「これはこれはリオン殿下、よく来てくださいました。私はここの神官長を務めております、シュリーマンと申します」
痩せた少し年配の男性だった。へらへらとした笑みを張り付けて、頭を下げる。ただ、目は笑っておらず、見定めるような目つきだ。
会ってすぐに決めつけてなんだけれども、私はこの人が嫌いかもしれない。
「やあ、無理を言ってすまないね。ポルダ子爵がよくここを訪れると聞いてね。私も一度来てみたいと思ったのだ」
リオン殿下は僅かに口角を挙げて微笑む。完全な営業スマイルというやつだ。
「やあ、みなさまもよくおいでいただきました。どうぞこちらへ」
リオン殿下のすぐ後ろに立っていた私をスルーして、シュリーマン神官長はエミリアさまに愛想を振りまく。
侯爵家以下はおまけなのかな。それとも単純にエミリアさまが好みだったのかもしれないけれど。まあ、いいけどね。
神殿の礼拝堂に入ると、美しい女神プロティアの像が目に入った。大理石だろうか。神殿の規模を考えるとかなり大きめだ。
壁面に施されたレリーフも凝っている。
「随分と立派な神殿ですね」
大祭司がいる中央神殿とはさすがに規模が違うけれど、うちの領地にある神殿に比べると圧倒的に金がかかった装飾である。
「プロティアさまのご慈愛の賜物でございます」
シュリーマン神官長は女神に向かってうやうやしく頭を下げた。
「こちらの神殿には何人くらいの神官がいらっしゃるのですか?」
兄がさりげなく質問をする。
「十人ほどですよ。実際には常にここにいるのは私くらいで、皆、孤児院の子供たちの世話をしております」
「子供たちは今どれくらいいらっしゃるのですか?」
「二十人ほどですね。乳飲み子同然の子から、十歳まで、いろいろです」
孤児院では、原則として十六歳まで預かることになっている。その間に養子縁組をおこなったり、職業訓練をして独り立ちできるように指導したりするのだ。
「思ったより人数が多いのですね」
マーケー地区は比較的豊かな地区だから、孤児の数は少ないと思っていた。
「そうですね。あまり大きな孤児院ではないので、人数的にはギリギリかと」
シュリーマンは頭を掻いた。
「ですが、不幸な子供を見殺しにするわけには参りませんので」
「それはそうだな」
殿下は頷く。
「では、女神へ祈りを捧げたら、そちらの方を見学させてもらうよ」
「承知いたしました。殿下にお会いできることを子供たちもそれは楽しみにしておりました」
シュリーマンは愛想よく微笑む。
私たちはプロティア教の作法どおりに頭を下げ、女神に祈りを捧げると、孤児院の方へと向かった。
孤児院の建物は、神殿と違って質素な作りだった。とはいえ、目に見える部分で修繕が必要な個所などはなく、古いけれど掃除は行き届いた感じだ。
子供たちの服は、洗いざらしで繕ってあった。
神官たちの服が小ぎれいなのとは対照的だ。もちろん、大人と違って、子供はすぐサイズが変わるというのもあるだろうけれど。
どの子も少しやせ気味だ。
「今日はリオン皇子殿下が来て下さった。みんな、ご挨拶なさい」
シュリーマンが合図すると、子供たちが集まってきて、『こんにちは』とあいさつをした。表情が皆固いのは、緊張なのだろうか。
挨拶が終わると、私たちはそれぞれ子供と遊ぶことになった。
兄とクラーク先輩は男の子たちを集め、外で遊び始め、フィリップ兄さまとエミリアさまはそれぞれ絵本の読み聞かせを始めた。
私は何をしようかと辺りを見回していた時、「血だ」という子供の声に気づいた。
「あら、鼻血?」
四歳くらいだろうか。男の子の鼻から血が出ている。
「まあたいへん」
私はハンカチをとりだし、鼻にハンカチをあてた。ハンカチがどんどん血に染まっていく。すぐには止まらないやつだ。
「とりあえず、横になりましょう」
すぐそばにあったクッションの上に、男の子を寝かせる。その時、彼の体が熱いことに気づいた。
鼻血だけじゃない。発熱している。
「誰か!」
私は声を上げた。
「どうした?」
すぐに駆け寄ってきてくれたのはリオン殿下だった。
「殿下、この子、熱があって」
「わかった。すぐ人を呼んでくる」
殿下が神官を呼びに行ってくれたので、私は氷の呪文を唱えて、手で男の子の額を冷やすことにした。
「ぼく……しぬの?」
男の子は不安そうだ。
「大丈夫。すぐお医者さまに見てもらおうね」
「やだ。お医者さま……こわい」
ぶるぶると男の子が震え始める。
よほど過去になにか痛い思いでもさせられたのか、男の子は涙を流し始めた。
「こわくないよ。大丈夫だから」
なんとか安心させようと声をかけながら、彼の額を冷やし続ける。
「大丈夫ですか?」
女性の落ち着いた声がした。
その声を聴いた時に、体に恐怖が走る。あの声に似ている──確証はないけれど。ぎこちない仕草でそちらを見ると、四十代くらいの女性の神官と殿下がいた。
「アルマク嬢?」
「この子、熱があって……」
「まあエディ、奥でゆっくり休みましょうね」
「や……だ」
女性が男の子に手を伸ばすと、男の子は、びくんと体を震わせた。
「いかない……こわい……たすけて」
男の子は私の袖を握り締める。
「エディ、お客さまを困らせないで」
神官は男の子を私から離そうとするが、男の子はギュッと袖を握り締めたまま、私を見つめた。
たぶん、この子はこの女性が怖いのだ。そして、『奥』に『嫌』なことがあるのだろう。
「わかりました。この子は私がアルマク家の医師にみせます」
「それはいけません。規則が!」
「わかった。私が抱いていこう」
殿下は男の子を抱き上げる。
私たちは、追いすがる神官をふりほどき、急いで馬車に向かった。




