先手必勝
謁見中何度も皇子との婚約を迫ってきた陛下だったが、その後、両親にそのような話が打診されることもなく、『ああ、あれはジョークだったのだ』とほっとした。
殿下はあの後しばらく学院を休まれた。横領の捜査や、椿宮の人事が忙しかったようだ。
今日は久しぶりの『領地経営研究同好会』。本来の目的は達成しつつあるけれど、私は結構気に入っている。
ヴァルダ先生のお話はためになるし、勉強はとても面白い。
殿下としてはもうやめるとなるかもしれないけれど、同好会自体は残してほしいなあって思う。ただ、みんな兼部している状態だから、無理かもしれない。
「アルキオーネさん!」
教室に顔を出すと、エミリアさまが笑顔で出迎えてくれた。
エミリアさまは高貴なひとで、ちょっととっつきにくい雰囲気があるけれど、実際にお話ししてみると優しくて可愛らしい人だ。
こういう人が国母とかになるといいなあって思う。ただメルダナ公爵は皇族の継承権争いに娘を巻き込みたくないとの考えらしい。
その考えは立派というか、エミリアさまは愛されているのだなって思えるけれど。
「やあ、遅くなってすまない」
最後に教室に入ってきたのは、殿下と兄だった。
「今日はちょっと、みんなに話があるんだ」
殿下はみんなを見渡しながら話し始めた。
「昨日、椿宮の会計責任者であるニック・ドロワ男爵を逮捕した」
「え?」
何も聞かされていなかったクラーク先輩とフィリップ兄さまはさすがに驚いたようだった。
「実は、この同好会そのものが椿宮の横領について調べるために作ったものだった」
殿下は同好会を始めた経緯について説明を始めた。
「皆をだますような形ではじめて申し訳なかったと思う。ただ、私はこの同好会そのものの活動は非常に楽しく、皆が許してくれるなら、続けていきたいと願っている」
「続けるつもりなら、別に全部ぶっちゃける必要はないと俺は思ったのだけれど、殿下は真面目だから」
兄は肩をすくめて見せた。
「よかった。殿下がおやめになると仰るのかと思いました」
続ける理由がなくなったから説明を始めたのかと思った。
「アルは続けたかったの?」
「はい。楽しいので」
フィリップ兄さまに問われて、素直に頷く。
「アルが楽しいならいいけどさ。正直、おれとクラークだけ蚊帳の外だったのが気に入らないのだけど。殿下とは魔術研究部も一緒なのに」
「そうです。僕もダビーさまとはいつも剣を交えているのに」
クラーク先輩と、フィリップ兄さまは少し怒っているようだ。
「私はアルキオーネさんに誘っていただいたのですわ」
なぜかエミリアさまは得意げだ。
むむぅと、いう表情でフィリップ兄さまはエミリアさまを睨む。
「アルがそんなに薄情だとは思わなかった……」
「えっと」
エミリアさまを誘ったのは成り行きみたいなものだった。別にフィリップ兄さまやクラーク先輩を信用していないとかそういう意味ではない。
「すまない。悪いのは私だ……」
「別に殿下を責めているわけではないです。秘密裡に進めたかったら、知っている人が少ない方がいいのは事実ですから」
フィリップ兄さまは慌てて首を振る。
「魔道具を作ったりするとかでない限り、おれが役に立てることはなかったでしょうから。ダビーみたいに、信じられないほど知人がいる人間でもないですし」
「僕も……荒事なら、話は違ってきますけれど」
クラーク先輩も頷く。
「そういえば、お母さまが、ルシアーナさまとの面会に行くことになりましたの。直筆のお手紙もいただいたそうですわ」
「ああ。ありがとう。その件も含めて、いろいろとみんなに知恵を借りたい」
殿下は、深呼吸をし、私たちを見た。
「まず、母がみたという未来視を安全に変えたい。今の母はまだ病床にあるから、衝動を完全に自身でこらえるのは大変なのではないかと思っている。もちろん、病気の母だ。取り押さえるのは、私でも難しくはないとは思っているのだが……」
ルシアーナさま自身の心の準備というものもある。
「ルシアーナさまに『覚悟』ができたら、で、よろしいのではないでしょうか? 少なくとも、ルシアーナさまにそのあたりのお話をお伝えして、しっかりご相談をなさった方がよいと思います」
今なら大事になることは少ないかもしれないけれど、『衝動をこらえる』というのがどこまで本人にとって大変なのかわからない。それにそもそも動機がなんなのかはっきりしていないから、突発的な行動となる可能性だってゼロではないのだ。
「私もそう思います。直接お会いしてご相談は難しいのかもしれませんが、今大切なのは、お互いの情報を共有なさることですわ」
エミリアさまも私に同意する。
「そうだね。家政婦長の他に三人ほど母の世話のためにねじ込んで、ようやく話が通るようになったから、少し話し合うことにする」
「……お薬は飲まれていらっしゃいますか?」
「まあ、今は何とか。そういえば、母も『鬼まんじゅう』をとても気に入っていたよ」
温かいお饅頭の食感がとても気に入られたらしい。
「あ、そう言えば、私も作ってきました」
エミリアさまがかばんから包みを取り出した。鬼まんじゅうだ。
「アルキオーネさんほど上手ではないのですけれど」
「鬼まんじゅうですか?」
「へぇ。うまそう。いただきます」
覗き込んですぐに手を伸ばそうとする兄の手を私はパチンとたたいた。
「お兄さま。いやしいにもほどがあります。きちんと皆さんにお配りして、その後ですよ」
そもそもエミリアさまは兄よりリオン殿下に食べてほしいはずだ。
「まあまあ、アル。ダビーが食いしん坊なのはいつものことだろう? きちんといただきますと言っているあたり、ダビーなりに遠慮はしているってことだよ」
「あら。私は遠慮されない方がうれしいですわよ」
くすりとエミリアさまが微笑む。
「ほら。メルダナ嬢もそう言っている。いただこうぜ」
兄は我が意を得たと言わんばかりに、鬼まんじゅうに手を伸ばす。
ああでも、そうか。エミリアさまは公爵令嬢。リオン殿下はともかくとして、フィリップ兄さまやクラーク先輩は、私の時のような気楽さでは手を伸ばせなかったのかも。いや、クラーク先輩は私の時でも遠慮していたっけ。
兄はそんな空気を読んでふるまっていたのかな──いや、単純に食べたかっただけのような気もする。
「美味しいです!」
冷めてしまっているのは残念だけれど、とても美味しい鬼まんじゅうだ。
「……メルダナ公爵に怒られたりということはなかったですか?」
公爵家の令嬢が突然厨房でお菓子を作りだしたら、周囲はかなり困惑したはずだ。
「とても素朴で美味しいお菓子だと、家族は褒めてくれましたわ」
「案外寛容なご家庭なのですね……」
うちの親も私が厨房に立つことを反対しないけれど、そういう親は少数派だと思っていた。
「私、今まで何もしないことが美徳だと思っておりましたけれど、それが間違っていたことに気づかされましたの。アルキオーネさんのおかげですわ」
エミリアさまはふふっと笑んだ。
「思えば私は他人から幸せにしてもらうことばかり考えておりました。これからはアルキオーネさんのように、自分が自分や他の人を幸せにできるようになりたいと思っているのですわ」
「私は……別にそんなたいそうなことは」
エミリアさまの覚悟はとても立派だけれど、私は自分勝手に好きなことをして生きているだけで、そんなふうに言われるようなことは何もしていない。
「確かに……アルマク嬢やダビーは、他の人間を幸せにできていて、凄いなあと思う」
リオン殿下がエミリアさまに追従する。
「二人がいなかったら、私はきっとなすすべもなく孤独の闇に沈んでいただろうから……」
「そんなことは……」
ない、と言いかけて、ふと思った。
もしルシアーナさまになにかがあって。陛下の叱咤激励が悪い方向に働いて、リオン殿下が孤独になった時、リオン殿下は誰に頼るだろうか。ポルダ子爵だろうか。ルシアーナさまのご実家であるエローナ侯爵家、それとも『神』か。
孤独な殿下に手を伸ばすのが『龍使い』だとしたら……。
「殿下、一つ調べていただきたいのですが」
思いつく範囲のどこかにあの声の主のヒントがあるかもしれない。調べてみる価値はある。
今はまだ、殿下と接触していないかもだけれど、何事も先手必勝なのだから。




