自尊心
「もうさ。あまり難しいことを考える必要はないんじゃないかな」
静寂を破ったのは、兄だった。
「横領の件は調査に時間がかかるのは仕方がないけれど、ルシアーナさまは時間をかけていられない。ここは陛下に言上して、信用の出来る人間を入れるしかないと思う」
「……人を?」
「ああ。病気のルシアーナさまの看護に陛下が人をつけてくれたとなれば、あの家政婦長が追い出すことはできない」
「しかし」
リオン殿下は苦い顔をする。
「殿下が大ごとにしたくないと思っているのもわかる。でもすでに椿宮で横領が行われている証拠はあるわけで、ニック・ドロワは逮捕目前なのだろう?」
「ああ」
「だったら、陛下の名を借りて、殿下が人を手配すればいい。いずれポルダ家政婦長も逮捕されるなら、代わりの人員は遅かれ早かれ必要になるだろう?」
兄の言う通りだ。陛下の名を借りれば、未成年の殿下でも人事裁量権を発揮できる。
「あの。それでしたら新たに雇うにはどんなに頑張っても時間がかかりますけれど、今いる人員を看護に回す裁量権をリオン殿下が陛下からいただくのです。それであれば、即日可能ではありませんか?」
「つまり配置転換をするということか?」
リオン殿下の顔が少し明るくなった。
よくわからないけれど、殿下は陛下に対して何か要望するということに必要以上にためらいがあるようにみえる。特に予算が必要なことならなおさら気が引けるようだ。
魔道具の修理の話の時も思ったけれど、殿下と陛下の間には何か確執のようなものがあるのかもしれない。
「はい。そもそも、ルシアーナさまのご担当が一人というのは、元々異常な事態。ポルダ家政婦長とて休みの日、休み時間が必要です。その間、全く誰もご病気のルシアーナさまの傍におられないというのは、おかしな話。もちろん、他の部署が手薄になるのは事実ですが、そちらは殿下の名前で人員を募集すればいいのです」
人員補充の見通しが立っていれば、少しの間の不自由は耐えてもらえるかもしれない。
「ポルダ子爵はあまりよい顔をしないでしょうけれど、陛下の許可を得た殿下が取り仕切ることを止めることはできないですから」
「……ああ」
リオン殿下は頷く。
「殿下」
殿下の様子をじっと見ていたガデリ司祭が口を開いた。
「殿下は未成年でいらっしゃって、さまざまな制限をうけていらっしゃる。逆に言えば、それはまだ大人の庇護を受けても良いという意味であります。もっと陛下を利用なさいませ。陛下は厳しい方ではありますが、親としての責任を放棄なさっているわけではないと思います」
「それは……」
「人事の面は、スーヴェル皇后陛下を頼られるといいでしょう」
「皇后陛下に?」
ガデリ司祭の提案にその場にいた誰もが驚いた。
「名目上は、側室の子も皇后の子であり、宮を統括する役目も担っておられますから」
「ニック・ドロワ男爵はリトラス王国とゆかりのある家門ですが、スーヴェル皇后陛下と何らかの関係があったりはしないでしょうか?」
恐る恐る、私は口を開く。
横領にかかわっているバックス商会もリトラス王国を拠点にした商会である。
「その点は調べたが、リトラス王国の本国や、陛下自身が関与している疑いはなさそうだった」
リオン殿下は首を振る。
「スーヴェル皇后陛下は良くも悪くも直球なかただから、そのような回りくどいやり方はなさらないでしょう。本気でルシアーナさまやリオン殿下に危害を加えたいと思わるなら、直接的に刺客を送ろうとなさると思います」
「……それ、褒めていないよな、おっちゃん」
兄はあきれ顔だ。
「確かに皇后陛下は、非常にはっきりしたお方だから、横領するくらいなら、予算の段階から本宮に引っ張ろうとなさるだろうな」
くすくすとリオン殿下は笑う。
どうやら、殿下は、血のつながった父親である陛下より、皇后陛下のほうに親しみを感じているようだ。不思議ではあるけれど、そういうこともあるのかもしれない。
「わかりました。ガデリ司祭。父や、スーヴェル皇后両陛下に相談してみます。私にはまだ出来ないことが多すぎる」
リオン殿下は少しだけ悔し気に自分の手のひらを見ていた。
ジュテスト医師は医務庁へ、ガデリ司祭は神殿へ帰っていった。
私と兄は、アルマク家の迎えの馬車が来るまで、しばらく殿下の執務室で待つことになり、お茶をだしていただいた。
さすが宮殿のお茶だ。香りがとても濃厚である。
「茶菓子がなくて、すまない」
「いえ、とても美味しいです」
申し訳なさそうにするリオン殿下に、私は首を振った。
「殿下は、こちらでは肩身が狭いのですか?」
殿下付きの使用人はこちらにもいるにはいるようだが、使用人に対してかなり遠慮しているように見える。
「まあね。ここは役所であると同時に、陛下や皇后陛下の住居でもあるから」
側室の子供であるリオン殿下にとっては居心地が悪いのかもしれない。
「なあ、殿下。俺やおっちゃんが、陛下を頼れと言ったこと、怒っているか?」
「……怒ってはいない」
殿下は首を振る。
「ただ、できる限り自分の力で解決したいとは思っていたから……やっぱりなとは思ったよ」
リオン殿下は苦く笑う。何かを悟ったような、寂しげな瞳だ。
「でも、私一人では最初から無理だった。帳簿についても、アルマク嬢の力がなければ決定的なものが得られなかった。聖膜にしたって、私はアルマク嬢にしてもらうばかりで、体調まで崩させてしまった」
殿下は言葉を継ぐ。
「人脈についても、私はダビーに到底及ばない。ガデリ司祭は、ダビーだから来てくれた。部活だってそうだ。部員があれだけ集まってくれたのは、ダビーの力があってのこと。私がやれたことっていったいなんなのだろうなあってね」
「殿下。上に立つ人間は、必ずしも自分が全部できなくてもいいと思う」
兄はティーカップをそっと皿に置く。
「殿下は俺たち兄妹が使えると思った。俺たちはそれに応えただけだ」
「事件のにおいを感じたのも、私たちが適材と見抜いたのも、殿下の才能ですよ」
「そう言ってもらえると、少し楽になる」
リオン殿下は僅かに笑む。
「誰も比べはしないけれど、兄上ならもっとうまくやれるのではとつい思ってしまう。なまじ年が同じで、顔も似ているから、余計に劣等感が募ってしまうんだ。私のつまらないプライドのせいだ。すまない」
リオン殿下だって、相当に優秀な皇子であると思うのだけれど。
確かに世間ではレジナルド皇子が完璧な皇子と言われているから、意識するなというのは無理なのだろう。実際のところどこまでそれが本当なのかは知らない。
「殿下、横領事件や、ルシアーナさまの環境に関しては陛下に言上すれば解決するかもしれませんが、まだ、龍の未来視に関してはどうするかを考えていく必要があります」
どう考えても、ルシアーナさまとリオン殿下が一生会わずに生きていくことは無理だ。
「私の未来視では、リオン殿下は高等部の制服を着ていました。考えようによっては、あと少なくとも二年はリオン殿下はたとえ刺されたとしても亡くなりません。今のうちに手を打つべきです」
「なるほどな。ルシアーナさまの未来視が一体いつのものかわからないが、アルキオーネの未来視より前なら、たとえルシアーナさまが刺したとしても、致命傷にはならないってことか」
兄は顎に手を当てて、考え込む。
「致命傷にならないからと言って、大丈夫という話ではないとは思いますけれど」
死なないから問題ないという話ではないとは思う。ただ、気休め程度にはなる。
「私のほうは、いざとなったら、殿下が高等部の制服を着ている期間、留学でもすれば完全に可能性を断てます。いわば鉄壁の回避法があるので、気にしなくてもいいです」
「アルキオーネ?」
「たとえ話ですよ。そもそも椿宮が存続するなら最初から起こらないと思いますし」
殿下に殺されるという未来視は、前世で読んだ小説の『学院の赤い月』と何となくシーンが被る。ということは、私がレジナルド皇子に惚れず、マイアの恋を邪魔しなければ、少なくともリオン殿下が私に敵意を向ける必要はなくなる。あえて言うなら、あの時聞こえた『手に入らないものなどない』っていう言葉は小説にはなかった気がするけれど。
「私はアルマク嬢を害するようなことなど、絶対にしないと誓う。なにがあっても」
殿下の真っ直ぐな瞳に捉えられて、胸がドキリとする。その真摯な光を信じたい。でも、信じるだけでは駄目だ。はっきりと変わったという確証がほしい。私のことはともかく、ルシアーナさまがリオン殿下を刺すという未来視は確証がないまま先には進めないのだから。
「ちなみに、龍の寵児のことって、誰が一番詳しいのですか?」
「塔の教え長、デイビット・ザナン伯爵か、陛下だろうな」
どちらも会いたいと言って簡単に会える相手ではない──けれど。
「会わせていただけますでしょうか?」
「わかった」
殿下は小さく頷いた。




