赤い月 1
兄とエミリアさまは無事婚約し、婚儀は私とリオンさまの婚儀が行った後にということになった。アルマク家は慶事が続くことになる。アルマク家を出ていく私はともかく両親や兄は大変だろう。
フィーナ皇女殿下のお相手についてはしばらく見送られることになったが、フィリップ兄さまは最有力候補として名を挙げられるようになった。ランデバー侯爵が殿下に忖度して、兄さまのいくつかあった縁談をすべて白紙に戻してしまわれたらしい。
兄さま自身は他家に婿入りするより、官吏として身を立てるつもりで頑張っていたから、それはそれでよかったとは言っている。ただ、フィーナ殿下については、『中等部に入られるようになれば、お気持ちが変わると思うよ?』と言っている。
とはいえ。フィーナ殿下は既に兄さまに本気で恋をしているようだ。
これからどうなるかは、まだわからない。
そうして時は過ぎ。
兄やリオンさまたちは三年生になり、もうすぐ卒業を迎えようとしている。
リオンさまたちが卒業してしまえば、未来視でみた『高等部の制服を着たリオンさまに殺される』ことは、ありえない。
もちろん、リオンさまがそんなことをするとは私自身はもう微塵も疑ってはいないのだけれど。ローバー・ダリン司祭は既に亡くなり、光輪派はほぼ解体された。マイア・タランチェ子爵令嬢の神力も復活することはなく、私を龍の巫女だと知る者はほぼ一部の人間だけである。レジナルド殿下の婚約者は、ラキア・レイベナ公爵令嬢。私でも、マイアでもない。
『学院の赤い月』の世界が再現されることはないだろう。
とはいえ、帝都の遺跡、龍の寝床、シーマ司祭の自宅などの捜査、調査は継続されている。すべてをなかったことにしてしまうという意見もあるにはあったのだけれど、シーマ司祭のご先祖が信じたように、失われた技術で救えるものだってあるに違いないということになったのだ。
すべて禁忌とふたをしたところで、同じことが起こらないという保証はどこにもない。
現在は慎重に塔と神殿が密に連絡を取りながら、研究を進めている。
ちなみに、リオンさまは未来視をまだ気にしているところがあるらしい。というのも、実は遺跡の入り口が発見されてから何度も庭園の再整備が提案されているらしいのだけれど、リオンさまがことごとく却下しているとか。できるだけ『現状』を壊したくないそうだ。
荒れ果てているのと、再整備の工事中は明らかに違うものではあると思うけれど。
「アルキオーネさん、お疲れみたいだけれど大丈夫?」
授業中にうっかり欠伸をしたのを見られたらしく、エミリアさまが心配そうに私の顔をのぞきこんできた。
「すみません。少し寝不足で」
私は頭を掻いた。
昨日は塔の帝都の遺跡の探索に同行して夜が遅かったのだ。
何しろ私は『鍵』でもあるので、定期的に調査に同行することになっている。
「まったく。アルキオーネさんは学生なのだから、塔もそのあたりも考えて欲しいわね」
エミリアさまは我がことのように憤る。
「ちょっと緊急で調べたいことができたのだそうです。極力配慮していただいておりますから、大丈夫ですよ」
私は首を振った。
普段の調査は、長い休み中とかに限られていて、学業に影響が出ないようにしてもらっている。ただ、今回は緊急ということで、休みまで待てなかったらしい。私は調査の後、そのまま椿宮に帰ったけれど、リオンさまをはじめ塔の人たちは、塔で持ち帰った資料を徹夜で確認するという話だった。
「緊急の調査ですか。悪いことではないといいのですけれど」
「ええ。詳細は私もあまり聞いていなくて」
ざっくりした話によれば、暦に関する資料を呼んでいた教え長が、ある事実を確認するために赤い月の遺した資料を調べたいとのことだった。
「そういえば、アルキオーネさんは、卒業パーティ用のドレスはもうご準備なさいましたの?」
「採寸はしました。まだ現物を見てはいないのですが」
「内緒なのでしたっけ。リオンさまがデザインをお決めになられて、アルキオーネさんは知らないのでしたわね」
「はい」
ドレスを着る本人がどんなドレスを着るか知らないなんてあっていいのかどうかはわからないのだけれど。とにかくリオンさまがドレスから靴まで全部用意させてほしいと譲らなかったのだ。
「エミリアさまは、兄と選ばれたのでしたよね」
「ええ。ダビーさまの服も私がお選びしましたの。万が一にもダビーさまに他の令嬢が近寄ったりしないように、しっかりと私の色をまとっていただくのですわ」
くすりと、エミリアさまは微笑む。
さすがにエミリアさまみたいな美女が隣にいるのに、割り込もうとする令嬢がいるとはとても思えないのだけれど。兄は次期侯爵だから、まったく持てない訳でもないけれど、エミリアさまは公爵令嬢なのだし。
「用心は必要ですわ。この時期になると、定期的に『婚約破棄伝説』が流布しますから」
「婚約破棄伝説?」
「あらご存じありませんの? 学院の七不思議的なやつですわ」
もともとは何かの小説が元ネタなのだろうけれど。
身分違いの恋に落ちた恋人たちが、政略結婚の相手との婚約を卒業パーティであれば簡単に破棄できるという『伝説』があるらしい。いや、どんな伝説? とは思う。
学院の卒業パーティは正式な社交界のパーティとは違うから、たとえば婚約者ではない相手をパートナーにして出席をしたところで後ろ指は刺されない。学生時代のアバンチュールな思い出を作るというくらいのことは可能だけれど、婚約破棄が簡単にできるとかは全くない。そもそも貴族同士の婚約って、書類上とはいえ、陛下の許可がいるものだ。当然、破棄をするとなれば、それなりの手続きというものが必要になる。書類上の手続きだけでも、かなり面倒なものなのだ。
「アルキオーネさんもお気をつけて。もちろんリオンさまがあなたを手放すわけはありませんけれど」
私とリオンさまの婚約は、解消することもあることを前提に結ばれている。今では、解消する気は私にはないけれど、約束は約束。リオンさまが望むなら、そんなバカげた方法をとる必要はないのだ。
「ただ、勘違いして突撃してくる人間はゼロとは言えませんもの。ああ、突撃してくるのは令嬢だけとは限りませんわ。令息がアルキオーネさんを攫いに来る可能性だってあるのですから」
「それはないと思うのですけれど……」
「まあ、そんな人がいたらリオンさまに抹殺されるでしょうけれどね」
エミリアさまは冗談にしては随分な物騒な物言いで、くすりと微笑んだ。




