発端
私、アルキオーネ・アルマクには前世の記憶がある。
記憶が戻ったのは私が十歳の時。
ファフニール帝国全土に、病が流行した。
『黒龍の息吹』と呼ばれたその病が、本当に黒龍が関係しているものなのかはわからない。
確かなことは、その年、帝都で黒龍の目撃情報があったというだけ。
風邪によく似たその病は多くの死者を出した。
私も一時は危篤状態だったらしい。
高熱に浮かされている間、夢うつつに前世と現世の記憶が混濁したこともあり意味不明な言動を繰り返し、周囲を困惑させたと聞いている。ただ、熱が下がり、体力が回復してくるとともに徐々に前世の記憶がなじみ、整理がついてきて落ち着いたので、その時の言動は病ゆえのうわ言だったと思われているようだ。
前世で私は二十一世紀の日本という国で育った。
会計事務所に勤め、料理とラノベが好きないわゆるヲタクだった。
はっきりとは覚えていないが、両親を早くに失くし、兄と二人暮らしだった気がする。恋人はいなかったけれど、寂しいと思ったことはなかったように思う。
平凡な日常を送っていた私だったけれど、ある日の通勤途中で、突然ナイフで刺された。全く知らない人だった。それ以降の記憶がないところをみると、どうやら前世はそこで終わったのだろう。
現世では、ファフニール帝国のアルマク侯爵家に生まれた。
帝国でも指折りの名家であり、両親は仲が良く、私をとても愛してくれている。兄が一人の二人兄妹。水の魔術を得意とする家門だ。
近世欧風だけれど魔術があるため、実際の『近世』より生活面では清潔で便利だ。記憶が戻ってから、『ああ、前世は良かった』と思うことは、どちらかといえば『モノ』よりも風潮とか、服装とかかな。服装はともかく、風潮は私がこうしたいと思って簡単に変えられるものではない。
何よりも一番の問題は、この世界は『学院の赤い月』というミステリー風味のロマンスファンタジーの世界だということ。
ヲタク友達が沼っていた関係で読んだラノベである。私には作風が少し恋愛に振りすぎだった。恋愛泥沼って、そこまで好きじゃなかったから。
どんな内容かといえば、国立の魔術学院が舞台で、マイア・タランチェ子爵令嬢とこの国の第一皇子であるレジナルド殿下とのラブストーリーだ。
私はレジナルド皇子の婚約者候補として、二人の恋に立ちふさがる最初の障壁って役回り。
ラスボスは、レジナルド皇子の腹違いの弟、第二皇子であるリオン皇子。
リオン皇子は、学院の地下に研究室を持っている秘密の魔術師集団『赤い月』の首魁。なぜ学院の地下? とは思ったが、学院の地下には遺跡があって、その遺跡がリオン皇子の住む椿宮と地下でつながっているとか何とかいう設定だった気がする。
実際の学院の位置と椿宮の位置を地図で確認するとかなり離れているから、本当にそんなものが実在するのかは疑問だ。
物語は、私、アルキオーネが、マイアとレジナルド皇子の関係に嫉妬し、『赤い月』にマイアをひどい目にあわせるように依頼したことをきっかけに動き始める。
当初、マイアに危害を与えようとしたリオン皇子だったが、マイアに惹かれ始めてしまう。アルキオーネは、何もしない『赤い月』に焦れ、自らマイアを害そうと試みる。そこでリオン皇子は、マイアを守るためにアルキオーネを殺してしまうのだ。
つまり、私はそこで早々に物語から退場する──まあ、それはともかくとして。
マイアは自分を守るためとはいえ、私を殺してしまったリオン皇子に恐怖する。そしてレジナルド皇子を選んでしまうのだ。
まあ、当たり前といえば当たり前だろう。「君のために殺したんだよ、だから私を愛してくれ」なんて言うような奴、やばい。
マイアに拒絶され、嫉妬に狂ったリオン皇子はマイアを攫って監禁。『赤い月』のメンバーを使って、レジナルド皇子を殺害しようとする。最終的にはレジナルド皇子は『赤い月』を倒し、マイアを救い出し、リオン皇子は自害──そんな展開だったはず。
皇子同士の骨肉の争いなのに、理由が権力闘争ではなく『女』だなんて、さすがロマンスファンタジーだなあなんて当時は思っていた。
リオン皇子とレジナルド皇子の確執はともかくとして。
前世に引き続き、天寿を全うできないのは嫌だ。
ただ。そもそものお話として。
私がレジナルド皇子とマイアの恋の邪魔をしなければ、『学院の赤い月』の物語は始まらない。物語が始まらないのであれば、私はリオン皇子に殺されることはないはずだ。私の関係ないところで皇子同士の抗争はあるのかもしれないけれど、まずは私自身の身の安全の方が大切である。
もちろん、原作の強制力とかあるのかもしれないから、油断は禁物だけれど。
今日はレジナルド皇子の十四歳の誕生会。
伯爵家以上の上級貴族の子息子女が招待されている。兄と私も強制参加だ。なおマイアは子爵家の令嬢だから、今日は参加していないはずだ。
参加者はまだ学生なので、ガーデンパーティスタイル。少し屋外のイベントごとは辛い時期に差し掛かってきたものの、今日は暖かくてよかった。
確かこのあたりから、レジナルド皇子の婚約者候補がアルキオーネを含めて何人か絞られ始めるらしい。もっとも原作では学院の高等部に入るまで婚約者は決まっていないままだったと記憶している。アルキオーネは、あくまで婚約者候補だった。たぶん、レジナルド皇子のお眼鏡にかなう令嬢がいなかったということだろう。政治的な問題もあるのかもしれないけれど。
ちなみにレジナルド皇子とリオン皇子、私の兄ダビーは、全員同い年。私とマイアはレジナルドたちの一つ年下だから現在は十三歳だ。
原作のアルキオーネは、今日、この日にレジナルド皇子に一目ぼれした。確かそんな話がちらりと出てきた。
それで、自分もそうなったらどうしようなんて思っていたのだけれど。
兄と一緒にレジナルド皇子に挨拶をした時に「うん。ない」と思った。
いや、別に高慢ちきで生意気だったとか、そういうのではない。
「アルマク嬢の髪は漆黒で実に美しいですね」などと、大人顔負けのそつのない美辞麗句もさまになっていた。
キラキラしい金髪の髪、まだ幼さは残るけれど、すっと通った鼻筋も、長いまつ毛も、芸術的なほどの造形でいかにも『皇子』さまで、しかも所作も非常に美しい。受け答えもそつがなく、高い教養が感じられたのだけれど。
だけど、だからこそ私には無理。
眩しすぎるし、存在そのものが嘘くさく思えてしまう。
少女漫画風に表現するなら、後ろに花をしょっている感じ。
前世の私は、少年漫画系が大好きだったこともあって、ロマンスファンタジーのヒーローに多い『金髪碧眼皇子』があまり得意ではなかった。いや、外見の話ではなくて、そういうキャラにありがちな、『完璧さ』がダメだったのだ。原作のレジナルド皇子も女性の夢を体現したようなスパダリで、『こんな男は実在しないし、いたとしたらウザいしメンドクサイ』って思っていた。
本当はどんな性格なのかは知らないけれど、現段階で噂されている人柄を見ると、原作通りのスーパーマンみたいな皇子らしい。噂を半分に聞くにしても、あの容姿に洗練された言動だ。令嬢たちが色めき立つのはよくわかる。
しかし、と、私は思う。
あんなキラキラしい人の隣に並んだら、たいていの人間は霞む。
今世の私は自分で言うのもなんだけれど、それなりに美人だ。けれど、この世界の人類は、地球上ではありえないカラーバリエーションに富んでいるにもかかわらず、黒髪に黒眼という実に地味な色合いをしている。皇子の隣に立つなんてとても無理だし、身の丈に合わない恋などしたくない。
それに。皇族と結婚なんてしたらきっと侯爵家の生活よりももっと窮屈だ。
皇子を囲む令嬢たちは、果たしてそこまで考えているのだろうか。
もっとも親の意向もあるから、本人の気持ち関係なく是が非でも見初められなければと必死な令嬢もいるかもしれない。
誕生会の会場は夜には夜会などが開かれる帝宮の鳳凰の間に続く、広い庭園だ。いくつもテーブルがあるにもかかわらず、令嬢のほとんどがレジナルド皇子の周囲に集まっている。そこから少し離れたところで、固まって話している令息たちや、令嬢たちもいるにはいるけれど。
私は──。
「うーん。このマカロン、美味しい!」
私は所狭しと並べられた宮廷のお菓子を堪能していた。
バイキング形式なので、実質食べ放題である。ほぼ誰も取りに来ないのが不思議だ。
宮廷お抱えのパティシエたちが作ったお菓子はとにかく味も見た目も超一級品。とろけるような美味しさである。
そう。
今日一番の楽しみは宮廷のお菓子が食べられることだったりする。普段は体型とか気にして控え気味だけれど、今日くらいは無礼講。
十三歳の少女にコルセットを着用させるなんて風習がなくてよかった。欲を言えば、前世のゴムのスカートが懐かしいけれど。
「わあ。こんなの、どうやって作っているのかしら。すごいわ!」
テンション上がる!
「それにしても、お兄さまははどこへ行ったのかしら?」
先程までは一緒にいたはずの兄の姿はどこにも見当たらない。
誰かと話をしているのだろうか。
兄は私と違って、コミュ力の塊みたいな人だから知人がとにかく多いのだ。
私にも友人は少しはいるのだけれど、パッと見た限りほとんどがレジナルド皇子をとりまく輪の中にいる。
あの輪に入ったところで、自分がレジナルド皇子に見初められるわけもないし、事実ならないとわかっている。
お祝いの挨拶は兄と済ませたのだから、もうそちらはミッションクリアだ。
何より宮廷の美味しいお菓子を味わえる機会などそうはないのだし──なーんて思っていたのだけれども。
しばらくして兄のダビーが、赤い髪の美少年を伴ってやってきた。
顔立ちはレジナルド皇子によく似ているけれど、瞳は晴れ渡った夜空色。そのせいか、きらきらしい感じはしなくて、少し落ち着いた雰囲気がある。もっとも、彼は彼で人目を惹くけれど。
「アルキオーネ、紹介するよ。リオン皇子殿下だ」
「……え?」
私は思わずその名にフリーズした。
「やあ」
近い将来、私を殺すその人は、優しく私に微笑む──その笑みは、この世のものとは思えないほど美しいものだった。




