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さっきの人から教えてもらったアドレスは、resistantから始まっていた。
アドレスを整理したメモをチェックしてみたけど、resistantとはメールのやり取りがなかった。
僕はとりあえずメールを送ってみた。
―あなたのグループのflowergardenから始まるアドレスの人に紹介してもらったんだけど、今、ターゲットにされてるんだ。
どうすればいい?
―無視すれば?ターゲットって言っても建前だけで、実際にターゲットを嫌ってるやつなんてそういないし。
返信はすぐに来た。打つのは相当早そうだ。なんだかよそよそしくて冷たい感じがする。
―建前だけってどういう意味?
―攻略法だよ。心理戦って言っても開始当初しかないし、ターゲットが決まれば、あとは周りに合わせるだけ。なんとなく中傷メールを送って、あとは普通に生活するだけ。
本当にくだらない。
本当にくだらない。最後に打たれたその言葉が、やけに気にかかった。
―MTが嫌いなの?
―攻略法が分かるゲームを延々とやってんだから、嫌いにもなるよ。初日だけがんばればどうとでもなるゲームだし。
MTが始まってから、みんな変わった。嘘も平気で吐ける人間になった。
僕は、MTがリセットされた時のピリピリとした空気を思い出した。
みんなが敬遠しあって、まるで、自分以外を敵として見ているようなあの空間を、思い出した。
―MTが始まったのって、いつから?
―今年の四月原木が転校してきて始まったんだ。
今年の四月。つまり、MTは始まって半年ほどのゲームってことだ。
たった半年で、クラスのみんなはあの洞察力を身に付けたというのか。そう思うと、MTってすごいゲームだ。
そして、それを始めた原木も…
―原木が前いた学校ではMTって普通にやってたの?それとも、原木が考え出して始めたの?
―その辺は教えてくれない。ルールは今とほとんど同じだったから、開始当初からゲームとしてほぼ完成してたけど。
ただ、みんなが興味持って面白がって始めたんだ。正直、俺も最初は結構楽しんだ。
でも、そのうちMT内の治安が乱れ始めた。匿名だから、普通に悪口とか言えるし、それが原因でクラス自体の雰囲気も悪くなった。
―誰が自分の悪口言ってるか、分からないから?
―そう。それで、俺らは特定を始めた。メールが届くタイミング。その人独特の癖。そんなのから判断して、誰がどのアドレスかとか見破っていった。
だから、悪口流してもすぐバレて関係悪化したりするようになった。それが原因で決裂したとこもあるし。
しばらくすると、ターゲットってのができた。ちょっと生意気とかうざいとか、そんな理由で標的になるやつがでてきた。
いじめと一緒だけど、ゲームを面白くするためにやるんだとさ。俺はその辺からこのゲームが嫌になった。
やっぱり、いじめと同じなんだ。
MTでも、退屈だからとかそんな理由で始まったんだ。
―MTなら何言われても文句言えないから、何の問題にもならないもんね。
―まあな。でも、ターゲットにされたやつで、その次のゲームに参加しなかったやつがいるんだよ。
そいつは臆病者とか言われてシカトされるようになってさ。まぁそいつはそのまま転校したんだけど。
ターゲットにされてるなら分かると思うけど、心が安らぐ時が無いんだよ。MTでのいじめは。
MTやってるほとんどのヤツは、いじめるためにMTやってるようなもんだ。くだらねぇだろ。
お前は、MTを楽しいって感じるか?
その転校した人の気持ちが、痛いほどよく分かる自分が居る。
学校に居ても、家に居ても、僕はいじめる奴らと繋がってるんだ。
抉られたくない傷痕も、見られたくない過去も、全てを思い出してしまう。
そして、僕はそんなMTをどう感じているのだろう。
すばらしいって感じたこともあった。
これはゲームだから、ゲームに負けた自分がなんとなく悪いような。そんな感じだ。
事実、僕はこの話を聞くまで、MTを悪くなんて思わなかった。
―今は楽しいって感じないけど、いいシステムだとは思うんだ。
がんばれば、いじめられもしないだろうし、MTの中ではリセットだってあるし。
―がんばれば、か。がんばっていじめられないようにする、ってさ、正しいのか?
その言葉を見た瞬間、僕は、頭の中のいろいろなものが消えていく感じがした。
―お前の考え方は、他のみんなと同じだ。
自分がいじめられなければ、誰がいじめられてもいい。誰かがいじめられてれば、自分はいじめられない。
だから、誰かがいじめられていると、安心する。誰かがいじめられてないと、不安になる。
追い討ちのように、resistantからメールが送られてきた。
僕は、自分がよければ、他人はどうでもいいと思っていたのだろうか。
いじめられなければ、他人がどうなってもよかったのだろうか。
僕の"がんばる"って、誰かを蹴落とすことだったのだろうか。
僕は、なんのためにがんばろうとしてきたんだ。
―『転校生が来るからさ、次はそいつをターゲットにしようぜ』
始まる前に全員に送られたメール。お前のがんばりってのも、最初から無駄だったってわけ。
『おはよう。今日から新しい学校だから、がんばってね』
母の言葉を思い出す。
がんばってね。いじめられないように、がんばってね。
自分がいじめられないように、誰かを蹴落として。
僕の頭の中で、言葉が変換されていく。
だけど、全部、無駄だったんだ。
―どうすればいいのさ。僕は、どうすればいいんだよ?
僕は、空っぽの頭ですがるようにメールを送った。
―MTには、マンガみたいな奇跡の逆転劇も、ハッピーエンドも、何も無い。
ターゲットはリセットされるまで、ターゲットのまま。
逃げ出したいなら、MTを壊すしかない。
―MTを壊す?どういうこと?
―MTっていうシステムを壊すんだよ。
こんなゲームをやめて、普通に生活するんだよ。リセットも、ターゲットなんて不条理なものもない世界で。
resistantは、MTを壊そうとしているんだ。
僕はこのメールを見て、確信した。
―お前が俺達に協力してくれるなら、俺達は歓迎する。
ここでのお前のがんばりは、絶対に無駄にならない。
resistantからメールが届いた。
ここでのお前のがんばりは、絶対に無駄にならない。
その言葉は、今の僕が最も求めていたものだった。そして、僕は決心した。
MTを壊す。