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mellowに反抗した僕は、それでもやっぱりターゲットのままだった。
メールを送りながら高鳴り続けた僕の鼓動も、昂り続けた僕の心も、日常みたいな中傷メールに対応できるいつもの状態だ。
生まれてはじめての僕の挑戦は、相変わらずな中傷メールに埋もれてしまった。
僕は相変わらずターゲットのままだけど、少しだけ変化があった。
mellowからのメールがぱったりと止んだ。
もし、これが僕の反抗の結果なら、成功なのか、それとも成功じゃないのか。
ただ、僕には、僕をターゲットにしている全ての人に反抗する力も度胸も無い。
resistantの言った通り、僕は耐えるしか無さそうだ。
前みたいに。
「尾上さ、怖いもんあるだろ?…たとえば、俺達が本当はお前のことを嫌いなんじゃないかとか」
「尾上が俺達になんか隠すような態度取んのは、俺達がお前のことどう思ってるか気になるからだろ?」
「尾上が俺達がお前のことどう思ってるか気になるのはさ、尾上が俺達のこと友達だって思ってないからじゃねぇの?」
MTは勝つためのゲーム。
負ける、つまりターゲットにされることがなければ勝ち。
そして、ターゲットにされないこと、誰かをターゲットにすることで自分をターゲットにしないこと。それが、攻略法。
ゲームに負けて、ターゲットになってしまった人には、攻略のためのグループみんなで責め立てる。
ターゲットには、ほんの些細なことでなる。
たとえば、誰かの悪口を言ったとか、約束を破ったとか。
だから、ターゲットが決まるまでは細心の注意を払って、誰の目にも悪く映らないようにする。
でしゃばりもせず、かと言って不自然も無く、そしてなるべく目立たないように。
先生や家族、他のクラスの人には普通の生活をしているように。
みんなには好かれたい。
だけど、妬まれたくないし、まして嫌われたくなんてない。悪く思われたくない。
そして先生や家族に対しては普通の、いい子どもでいたい。
誰にも妬まれも、嫌われもせず、自分が楽に生きていくために。
MTをやっているみんなの気持ちは、こんな感じなのかもしれない。
そして、僕にもその気持ちが良く分かる。
僕も、そんな人間だった。
いや、今も、僕はそんな人間だ。
「おはよう」
クラスの雰囲気は怖いくらいに変わらない。
もうターゲットが決まっているからかもしれない。
でも、ターゲットにされている僕でさえ、このクラスの雰囲気に違和感を覚えない。
特に変化は無くて、極めていつも通り。疑心を持たなきゃ、違和感さえまともにない。
僕は、ずっと嘘をついていた。
自分を騙して、他人に溶け込めるように。他人に。
そして、その頃の僕には友達のような人達が居た。
だけど、僕は信じられなかった。裏で悪口を言ってるんじゃないかとか、実は利用されてるだけなんじゃないかとか。
そんなことを考えると不安で、顔もこわばりそうだった。
なのに僕はそこで、悟られてはいけない、なんて思った。
相手に自分のことを友達だと思わせたくて、必死で、笑顔を作った。
僕は、中途半端な人間だから、そうやって騙すようなことをするのはあんまり好きじゃない。
だから、結局不器用な笑顔しかできなくて、その人達にはバレてしまった。
親や先生にはギリギリまでバレなかったけど、それだけの力しかない僕でしかない。
このクラスの雰囲気はあの頃の僕に似ている。
でも、あの頃の僕よりもずっと滑らかで、ずっと冷酷だ。
「おはよう。昨日出た数学の宿題やってないんだけどさ、貸してくれない?」
門脇は両手を合わせて頼んだ。僕には、それが本当なのか演技なのか分からない。
「提出する時までには返してよ」
僕もなるべく自然を装ってノートを貸した。
返ってきたノートに落書きをされていたら…
そんな考えを整理する時間は、にぶい僕には無かった。
「尾上、ありがとな。なんとか間に合ったわ」
提出する授業の前、門脇がノートを返してくれた。
僕は気付かれないように周りを見回してみたが、誰も笑いを堪えている様子は無い。
「どういたしまして」
僕はそう言って、ノートを受け取った。すぐには開かず、門脇が席に戻るのを待った。
門脇が席に戻ってから、なるべく不自然にならないように、パラパラとノートを捲ってみた。
渡す前と何の変化も無い。考えすぎ、だったかもしれない。
もともと門脇がいじめている側という確信があったわけではないし、そもそもMTでのターゲットは表面化しない。
まだ正確にはわからないけど、僕がMT以外でいじめられることは無いと考えてもいいんだろうか?
MTのことだけ忘れてしまえば、このクラスでは楽しくやれそうなのに。
学校に居る間も、汚い腹の探り合い。
僕の感覚が普通なら、他の人もきっと、誰が本心を曝け出してるのかなんてきっと分かってない。
みんなが嘘をついてると思えば、みんな嘘をついてる気がするし、みんなが本当のことを言っていると思えば…
ただ、僕の今の心境なら、MTが原因でクラスが変わることくらい分かる。
こんな環境じゃ、僕みたいな臆病な性格じゃなくたって、誰も信じられなくなる。
自分を助けるために、誰でも蹴落とせてしまう。
「尾上ッ!」
下校途中の僕を呼び止める声。聞き覚えのある声だったけど、すごく刺々しかった。
「…?」
理由もよく分からないまま僕が振り返ると、畠さんは僕に歩み寄ってきた。
「アンタが、アンタがあんなこと言わなければ…」
畠さんは俯いて、悔しそうに拳を握り締めながら言った。
「アンタなんか来なければよかったッ!」
僕を突き飛ばして、畠さんはそのまま走って帰っていった。
僕はそれに対して怒ることも無く、畠さんがmellowだったんだ、なんてただ漠然と思っていた。