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「さっさと死ねよ!」
「ウザイんだよ!消えろ!」
目を覚ました僕の服は、汗でべっとりと濡れていた。
カーテンの奥が明るくなっている。もう、朝になってしまったんだ。
僕はベッドから降りてカーテンを開けた。朝日に照らされたまだ見慣れる町が、延々と続いている。
この町で、変わらないと。
「おはよう」
制服に着替えて、一階に降りる。鞄も教科書も、何もかも新しい。
「おはよう。今日から新しい学校だから、がんばってね」
がんばって、いじめられないようにしてね。母の言葉が、そう聞こえた。
「うん」
僕は朝食のパンを少しかじって、牛乳で流し込んだ。
「いってきます」
真新しい靴を履いて、見慣れない扉を開けた。
全部が新しい。家も、町も、学校も、鞄も、靴も、教科書も、ノートも、筆箱も。
僕も新しくならなくちゃいけない。
新しい携帯をポケットに入れて、僕は学校へ向かった。
「うちのクラスは明るいし、賑やかだから、すぐに慣れると思うわ。あんまり緊張しないで行きましょう」
担任の先生は穏やかに言った。僕はこれが初めての転校だ。最初のあいさつのやり方さえまともに知らない。
先生が扉を開けて先に中に入る。
中で先生が何か話している。緊張しているせいで、声を聞き取れない。
「入っていいよ」
先生が扉を開けて言った。
僕は深呼吸をした。第一印象から、変えないと。
教室に一歩足を踏み入れた。沈黙の世界が広がる。じっくりと見定めるような視線が刺さる気がする。
どこが、賑やかで明るいんだよ。僕の鼓動は早くなり続ける。
「尾上望です。よろしくお願いします」
僕はそう言って深く頭を下げた。第一印象から変えるなんてことは頭から吹き飛んでいた。
…これじゃあ、前の学校と、同じことになるじゃないか。
数秒沈黙があった。それが、何分、何時間と続いているような感覚がした。
「よろしくー!」
突然、教室から声が上がると、盛大な拍手が起きた。
歓迎、されているのかな?
僕は恐る恐る顔を上げた。みんなが、拍手をしている。
誰もが、僕の方を温かいまなざしで見ている。
僕の顔から、小さく笑みが零れた。
「じゃあ尾上の席はそこの一番後ろね」
先生が窓側の一番後ろの席を指差した。一番楽な席だ。僕は少しホッとした。
「はい」
僕はその席へ急いだ。歓迎されたこともあって、上手くいくという自信で満ちていた。
「よろしくね」
隣の席の女子が笑顔で言ってくれた。朝の僕の心配なんて本当に無駄なことだったんだ。
「よろしく」
僕も笑顔で返した。
「じゃあ、今日も一日がんばろう!起立!」
礼をして、朝のホームルームが終わった。僕は、いろんな質問に対する答えを思い返していた。
「あたし、畠美枝。わからないことあったら聞いてね」
隣の席の女子がさっきと同じような笑顔で言った。
「うん、ありがとう」
僕の周りには少し人だかりができて、僕はいろいろなことを聞かれた。
廊下にも転校生を見るために野次馬みたいなものができていた。
いい意味で注目されることって悪くないのかもしれない。なんて、のんきに思っていた。
「尾上君、携帯持ってる?」
一人の男子が聞いてきた。突然、教室が静まり返る。
「うん、持ってるけど…」
「ここ、携帯使ってても大丈夫なんだ。だから、休憩時間とかみんな使ってる。あ、でも、授業中は取られるから気をつけてね」
その男子は少し早口で説明した。
「あ、俺、原木孝っていうんだ。メルアド、交換しよう」
教室が、この会話を静かに聞いているように感じる。なんなんだ、この圧力。
「…いいよ」
僕はその迫力に押されて、つい答えてしまった。
「ありがと。試しにメール出しとくから、確認してね」
原木はそう言って携帯をいじり始めた。
しばらくすると、僕の携帯が震えた。僕は携帯を開いて、メールを確認する。
―MTの世界へようこそ。ルールを説明します。
MTでは匿名状態でクラス全員とメールをしてもらいます。
そこでは、いかなる誹謗中傷をしても構いません。偽善者になるのも、目立たないようにすることも自由です。
一ヶ月で、アドレスをリセットします。また一からイメージを作り直せます。
禁止事項は、1.決して自分が誰かを明かさないこと。2.他の人がどのアドレスであるかを教えないこと。3.このシステムを口外しないこと。の三つです。
上記を理解したうえで、MTを勝ち抜く術を身に付けてください。
一ヶ月を楽にするも苦にするもあなた次第。がんばってください。
追って皆さんのアドレスの回収を行います。
アドレスを送った時点で、あなたがこのシステムに理解し、参加することへの誓約となります。
アドレスを送らなければ、不参加となりますが、その場合は名前を公開させていただきます。
ただし前例によると、再参加することは厳しくなるでしょう。一ヶ月経ってもイメージの払拭が不可能となる可能性が高いです。
では、皆さんのご健闘をお祈り致します。
僕は、このメールの意味が全く理解できなかった。
「あの、これって、どういう…」
僕は困惑したまま原木に聞いた。
「始まれば分かるよ。まぁ、最初は厳しいかもしれないから、がんばってね」
原木はそう言って再びメールを打ち始めた。
―期日前ですが、新たな参加者の加入により、リセットを行います。
アドレスを変更し次第、返信をお願いします。
期限は三日後です。期限内に返信が無い場合は不参加と見なしますのでご了承ください。
そのメールは全員に送信されたらしい。みんなが携帯を開いて内容を確認する。
「あ、尾上君はそのままでいいよ。アドレス誰も知らないから」
「…じゃあ、送らなくてもいいの?」
僕は状況が飲み込めないまま、原木に聞いた。
「うーんと、参加するかしないかだけ伝えてくれればいいよ」
原木は軽く、そう言った。ルールを見る限り、参加するしかない気がするのに。
「…参加、するよ」
「分かった。そろそろ先生来るから、携帯しまって。没収されたらいろいろと面倒だから」
原木はそう言って自分の携帯をポケットにしまった。
僕は携帯をマナーモードにして、席に着いた。僕は、この不思議な空間に、戸惑いを隠せなかった。