第95話 その後のこと 2
「──しかし、まあ。随分と大変な事態になっていたようですね、ユリエッティ様。いえ、公爵様とお呼びした方がよろしいでしょうか」
「ふふ、今まで通りで構いませんわ、ディネトさん。まだ家督は継いでいませんし」
ユリエッティがユリエッティ・シマスーノへと戻ってから、さらに一週間ほどのち。聴取や身辺の諸々もひとまず済み、一旦の余裕ができたユリエッティは、もう随分と久しぶりに冒険者ギルド王都支部を訪れていた。
「なんつーんだっけ、こういう立場の人」
「まあ、公爵令嬢と呼んで良いんじゃないですかね」
「もう令嬢という歳でもない気もしますけれども」
ギルドの二階にある応接室の一つ。ディネトとその対面のユリエッティ、そしてその両サイドを埋めるようにしてムーナとファルフェルナが、ソファに腰掛けている。苦笑するユリエッティの顔付きは、ディネトの目には以前にも増して精悍に見えた。
「すっかり有名に、救国の英雄と呼ばれるまでになってしまわれて」
「ほんの成り行きですわ。あるいは星の巡りか……というかわたくしとしては、王都で自分の名前が隠語のように使われていることのほうが驚きなのですけれども」
「ああ、“女女セックス”ですね。とは言っても、あれも貴女が撒いた種ですから」
三年前にユリエッティが旅立って以降、彼女と交流のあった冒険者や王都市民のあいだではいつしか、女性同士の情交を彼女の名で呼び表す慣習が形作られていた。それは自分たちに新たな世界を──いやさ、元来生まれ持っていたのかもしれない世界を教えてくれた女性への親愛を示すものでもあり、また単純に隠語としてでもあり。ともかく王都一部界隈では今、英雄を指す“ユリエッティ”と女女セックスを指す“ユリエッティ”とが混じり飛び交っている。
自分の与り知らぬあいだにそんなことになっていようとはと、流石のユリエッティもやや面食らい、けれどもきっと悪いことではないのだろうと、先ほどギルド一階で健全に旧交を温めてきた次第。
「……まあ、いまはそれはさておきまして」
出された茶を一口飲んで話題を仕切り、ユリエッティは改めて目の前の友人へと視線を向ける。なにくれと世話になっているギルド王都支部事務受付統括、ディネト・マグニカへと。
「正直なところ、話すべきことはもうほとんどが噂として市井に流れてしまっていますわ。もちろんディネトさんが知りたいことがあれば、可能な限りお答えいたしますけれども」
委細も知らせず遠方から気苦労ばかりかけてしまったディネトへ、全てが終われば説明責任を果たすと誓っていたユリエッティではあったが……実際に今日それが可能になる頃にはユリエッティの英雄譚も、彼女の出自も、そしていま家名を取り戻したこともすっかり国中に、いやさ大陸中に広まっていた。だもので、浅く腰掛けるディネトの表情に疑問の色は浮かんでいない。
なお、応接室に招かれた瞬間のユリエッティ渾身の五体投地謝罪は、公爵家の人間にそこまでさせる外聞の悪さを鑑みたディネトの素早い対応で、どうにか未遂に終わった。
「まあ、事が詳らかになってからは驚き通しではありますが。元貴族だとは言っていましたが、まさか公爵家の生まれだとは思ってもみませんでした」
「やっぱ貴族っぽくはないよなぁ、コイツ」
ディネトからしてみれば、目をかけていた冒険者の素性も、国を離れてから成したことも、その何もかもが想像以上で。こうしてギルドで茶を囲んでいるという状況自体が、どこか現実離れしたものにも思えてしまう。結局、今日に至るまで聞きたいことも思いつかず、応接室はただ再会を喜ぶ場となりつつあった。
「ムーナ様も……それからファルフェルナ様も。お元気そうで何よりです」
「ん」
「ふっふ、おかげさまで」
市井では、ユリエッティが引き連れ束ね、共にヴィヴィアラエラ王女を守った者たちの話も広まりつつある。特に王都の冒険者たちにとってはムーナも馴染み深い存在であり、ヒルマニアから出ていく気満々だった猫耳の女が国を救うべく戻ってきたというのは、彼女のツンケンとした立ち振る舞いと合わさって面白おかしく語られていた。
「お二人とも、今は王都に滞在されているのですよね」
「ユリんちで居候してる」
「居候というか、わたくしが囲っているのですわ」
悪びれもせず“囲う”などと言うユリエッティにディネトは変わらないなと小さく笑い、そのまま視線は一度、耳当てに覆われたムーナの獣耳へ。そして、答えの分かりきった問いをあえて投げかける。
「成程。となると、移住はもうよろしいのですか?」
「あー……うん、まぁ……ヨルドはしばらくいいかなぁって。ってかその辺もなんかスイマセン……色々口利きしてくれたってのに」
「いえ、ムーナ様がそれで良いのなら。むしろこちらとしては、高位の冒険者が王都に戻りありがたいくらいですし、それに……正直なところ、今は王都内でもヨルドへの風向きがあまり良くないのが現状です」
「ですわよねぇ……」
キシュルの所業が明らかになって以降、王都どころかヒルマニア王国の民ほぼ全てが、大なり小なりヨルドに対してヒリついた感情を抱いている。一人一人がその身に受けた五百年にも渡る被害を鑑みれば、それも致し方のない話ではあるが……ヨルドは国民からの信任によって国家元首が選出されるということもあり、ヒルマニアでは今、“あんな輩を元首にするなんて”といったヨルド国民全体を非難する声もあがっていた。
「トップの本性を見抜けなかったという点では、どっちもどっちな気もしますがねぇ」
そうやってばっさりと切って捨てるファルフェルナのほうがむしろ異常なのであり、大衆の空気感からして、下手をすれば両国民間で衝突すら起こりかねない現状。二国共に国政の中枢が慌ただしく変化している中でいらぬトラブルは御免だと、両国政府が民間での交流を一時制限したのは、事実が公表されてからすぐのことだった。
「悪いと言えば、魔人種へのヘイトも結構スゴいことになってるよな」
「ええ、ええ。それも問題ですわねぇ……」
「何分、テトラディにキシュルにと立て続けですから」
ムーナの言葉通り、国民間に限らず種族間においてもこの手の問題は起こっている。ディネトのあげたたったの二例、しかしその二例のせいで魔人種とはもはや、特に王都民や王国貴族にとって“ろくでもない凶悪犯罪者”の代名詞になってしまいつつあった。
「まーあ、魔人種は執着心が強い傾向があると言いますか……稀にめちゃくちゃこじらせた奴が出てくるんですよねぇ」
真っ当な魔人種は思慮深くそして愛情深い者たちなのだが、それは現代ヒルマニアではあまり知られていない、と、ファルフェルナはまるで見てきたかのように語る。そもそも魔人は数の少ない種族であり、かつヒト種主体のヒルマニアで暮らすものは滅多にいないが、それでも九割九分九厘の魔人種たちにとってもやはり、テトラディやキシュルの所業は迷惑極まりないものであった。
「つくづくろくなことをしない輩でしたわねぇ……」
片やムーナが首を刎ねた、片や今はまだ首と胴体が繋がっている二人が順に思い浮かび、ユリエッティも思わず顔をしかめてしまう。
彼女の渾身の一撃によってキシュルは、一時的にではあるがその身の根幹にある魔法を扱う力そのものすら破壊されていた。瀕死の重傷を自分で治癒することもできず、現在はネルヴォラニアの命で生かさず殺さず地下に幽閉されている。
それはひとえに、解呪の状況次第ではキシュルから知識や力を──それができるかはさておいて──引き出さねばならない事態もあり得るという理由からだが……少なくとも、現時点で調査が及んでいる王都民に限って言えば九割以上があの瞬間の解呪を感知しており、そうでなかった者も試験的に行われたユリエッティによる解呪が成功したため、現状、もはや呪いに関してキシュルの有用性は低いというのが有識者たちの見解であった。
ヒルマニアの国民感情としても国の威信に関わる話としても、キシュルへの極刑実行は必ず成さねばならないことだと王女ネルヴォラニアは考えており、いまはヨルドとそのすり合わせを進めている段階。ファルフェルナとしてはそれまでに、己が拳のさらなる進化の、文字通りの叩き台にしたいようであったが。
……なんにせよ、そんなろくでなしの話などこの場で続けていてもしょうがない。四人の気持ちはすぐさまそう一致し、ディネトのほうから話題が転換された。
「──ああ、そういえば。たった今、一つ聞きたい事が思い浮かびました」
「お、なんですの?」
「以前に遠話でも言っていた、ネビリュラという『変異粘性竜』なのですが」
市井にユリエッティの仲間たちの話が広まっているということは当然、その内の一人であるネビリュラについても広く知られつつあるということ。もちろんそれは“理知聡明にして流るる灼水の如く果敢な従魔”としてではあるが、以前に説明を受けていたディネトには、それが人類種と遜色ない知性を持つ特異存在のことであるとすぐに分かった。
「その……彼女、で良いのでしょうか。彼女も王都にまで同行していたとの事ですが、今は?」
「あー、アイツはなぁ……前々から、最終的には静かに暮らしたいだとか隠遁したいだとか言ってたからなぁ」
目を細めるムーナ、その言葉で察するディネト。興味深い存在で、できれば一度会ってみたいとも思っていたが、どうやらそれは叶いそうにないと。ヨルドにでも戻ってしまったのだろうと。
「と、いうことは」
「……ええ。シマスーノ邸の離れで悠々と過ごしておりますわ」
「……成程」
まったくそんなことはないようであった。
当然のように言うユリエッティの表情からなんとなしに、そして今度こそ、ディネトは思い至る。もしかしたら、彼女が手放すまいとするような、そんな相手なのかもしれないと。




