第91話 王城の戦い 4
(……今の攻撃、ヴィヴィアやアーヴァルカイド王まで巻き込まれるところでしたわ)
いよいよもってなりふり構わずといったキシュルの振る舞いに、ユリエッティの額に冷や汗が一つ。改めて前を向いた先ではキシュルがゆらりと、魔法を使って身を起こしていた。埋没しかけていた体が地面から離れて浮き上がる。
「貴方が悪いのですよ、アヴィスティリア様。わたしを選ばないから。わたしから離れようとするから」
形姿の違う左右の瞳をぎょろりと蠢かせ、開けた部屋二つ分の距離からヴィヴィアを睨めつけるキシュル。しかしその目にはやはりヴィヴィアの姿など映っていないのだと、誰もが改めて理解する。
「っ! 跳ぶ気だぞアイツっ!」
その振る舞いの影に空間跳躍の気配を感じ取ったのは、やはりムーナだった。常に警戒していたその魔法の予兆。先ほどから連なる、転移して逃げる程度では済むはずもない発言。咄嗟に光弾の魔法──ごく基礎的な遠距離攻撃──を放ち、しかしそれが当たったとてどうなるものでもない……どころかキシュルの元へ到達するよりも早く空間跳躍が発動してしまうと、そう分かっているからこそ、ムーナの表情が悔しげに歪む。
「──逃がさない」
だから彼女に代わって、光弾よりも速く、ネビリュラが動いた。
ムーナの叫びに反応し、長い尾をキシュルの右腕に巻きつける。見えなくなるほどにキツく隙間なく片腕の自由を奪いつつ、床に足を踏ん張り両腕で殴りかかる。防護魔法によりダメージは入っていないが、目の下をヒクつかせるキシュルの表情からして、それが決して無駄ではないことは明らかだった。
「……またお前か」
「アナタ、いい加減本当に気持ち悪い。ワタシの友達が嫌がってる」
言いながら、尾を決して離すまいとするネビリュラ。空間跳躍の魔法は、使用に際して自身の体の輪郭を正しく把握する必要がある。想定外の物質や、特に生体が体に大きく密着している状態では、下手な使い手なら恐らく発動すらできなくなってしまう。転移を警戒するムーナがファルフェルナとそんなふうに意見を交わしていたと、ネビリュラはしっかりと記憶していた。
さすがにキシュルのレベルともなれば転移できないというわけではないのだろうが、しかし苛立ちを募らせるその表情からして、少しばかり発動が遅れるのは確かなようで。そうやってネビリュラが奮闘するうちにムーナの光弾が届いてキシュルにヒットし、またごく僅かに、魔法の行使が阻害される。
「ペットならペットらしく控えてい──」
「おっと私もいますよっと」
言葉を遮るようにして、キシュルの左腕をファルフェルナが抑え込んだ。おそらくもう一つ二つ隠し持っていたのだろうスクロール、それを使わせずにネビリュラを守り、また同時に空間跳躍の発動を狂わせ、そしてまあついでに、無駄だとは分かっていつつも顔面への攻撃は執拗に。
左右から両腕を封じられ、いよいよキシュルの苛立ちも最高潮に達していた。噛み締め切れた唇の端から赤黒い血が流れ落ち、上質なローブを汚す。
「だいたい、空間跳躍など本来は繊細極まりない魔法。そんなポンポン使えるほうが異常なんですよ」
ファルフェルナの言葉が、ユリエッティとムーナの脳裏に一人の女の姿を想起させる。
かつてイングルト子爵領で相対した魔人の女、貴族殺しのテトラディ。ムーナの肌感覚からして、戦闘中の空間跳躍の扱いに限って言えば、キシュルは彼女に及んでいないようだった。チェリオレーラの言った通り、天才だのなんだのは案外そこら中に転がっているものだ。そう思いながらムーナは剣を放り捨て、ユリエッティへと手を伸ばす。
「しっかりやれよっ、ここ逃がすと多分ヤベェぞ!」
「合点ですわっ!」
ムーナのエルフ耳と直感が読み取った転移先は城の直上。恐らくそこから大出力の魔法を放ち、先の発言通り全て押し潰してしまおうという魂胆なのだろう。キシュルの体に沿うようにして魔法が形成されていく。空間跳躍の発動まで、あと僅か。
ピクリピクリとエルフ耳を揺らしながら、ムーナは戦闘開始時から自身にかけていた身体強化の魔法の出力を瞬間的に引き上げた。体にかかる負荷という点でギリギリのライン、保持できるのはほんの二秒にも満たない僅かなあいだだけ。そしてそれだけあれば、ユリエッティの体を抱えあげて、思いっきり放り投げるには十二分。
「おらいっけェッ!!」
「いきますわァッ!!」
そうして、両者の人生において三度目の、人間砲弾めいた投擲攻撃が決行された。ヴィヴィアとネルヴォラニアの驚きの声が聞こえたのはムーナのみで、ユリエッティはそれが耳に入るよりも早く、執務室からすっ飛んでいく。向かう先はただ一つ。ネビリュラとファルフェルナの奮闘によりさらに一秒ほど発動を遅らされたキシュルの顔面へと、両拳を揃えて伸ばしたユリエッティが爆速で迫る。
(キシュル、貴様は少しばかりワガママが過ぎますわねっ……!)
着弾までの一瞬、引き伸ばされたような思考の中でユリエッティは思う。
ワガママなのは自分も同じだ。だからこそ、見ていて憤りの一つや二つも湧いてしまう。好き勝手にやって誰も彼も引っ掻き回してしまう、その振る舞いには嫌と言うほど覚えがあって。だからこそユリエッティは、それらはすべて自分の責任で、自分が望んでしたことなのだと、せめてそれくらいは誤魔化さないようにしていた。
だからキシュルの発言が気に入らない。何をかもを周りのせいにする、その言葉のすべてが。
(この際、お灸を据えるなどと偉そうなことは言いませんわ。ただムカつくからぶん殴るっ……!!)
元王国貴族としての義憤。ヴィヴィアの恋人としての怒り。そしてワガママな人間としての同族嫌悪。それらがないまぜになって、拳をいっそう強く握りしめさせる。師の言葉が思い出される。力は自覚して振るってこそ。
その拳に乗る力を感じ取ったのだろう、体をよじり首を振り、拘束から逃れようとするキシュルだが……
「クソ、なぜ、なぜわたしの邪魔をする」
もとより肉体面ではファルフェルナやネビリュラになど及ぶべくもなく。転移の発動に固執してしまったがために、もうこのタイミングでは魔法で引き剥がすことも叶わず。暴れるその様子は、イヤイヤと駄々をこねる子どものようですらあった。
「いっけぇぇぇぇゆりえってゃあああああ!!!!!」
まるで女児のような精霊の声援すらもが推力となり、ついにユリエッティの両拳がキシュルの顔面に直撃した。




