第88話 王城の戦い
「──おや、なんだか人相が変わりましたわね」
ユリエッティがそう呟いたのは、拳が直撃しキシュルの顔面がひしゃげたから──というわけではなく。尋常ではなく強固な防護魔法に守られたその顔が、文字通りに変質していたからだった。
「お前が厄介な相手だということは認めよう。これはその証だ」
冷たい声で言うキシュルの、左の眼球が白黒反転していた。黒い目の中に、白い瞳。さらにその反対側、右のこめかみの辺りからは、長髪をかき分けるようにして細く角張った一本の黒角が伸びている。魔人種の特徴が現出したその姿は、エルフと魔人のハーフとはいえあまりにも異質なものだった。
(以前よりも、さらに強力になっていますわね……)
ユリエッティが放ったのは様子見などでは勿論ない、これでノックアウトするつもりの一撃だった。それでも砕くには至らなかった防護は、まさしくキシュルの力が強まっていることの証左。
「この形態は疲弊を伴う。だから使いたくはなかったのだが」
言葉とともにキシュルが手をかざし、それをユリエッティが拳で弾き──今度は込められていた何かしらの魔法を砕くことに成功した──、そうしてできた一瞬の隙に、さらなる空間跳躍の魔法が連続発動する。
「…………城内には、その手の魔法を封じる機構が備わっていたはずですが」
発動までが非常に早く、ムーナがいなければ反応すらできないほどの転移魔法。現れた側近ナルグ、バルエット・シマスーノ、そして幾人かの無地のローブの私兵たちに囲まれながら、ヴィヴィアは努めて冷静に問うた。
「ええ。ですが今、この城の全ての権限を有しているのはわたしです。何が許され、何が許されないのかも、全てこのわたしが決定する」
魔法を次々に生成しユリエッティを釘付けにしながら、キシュルは目で指示を出す。ヴィヴィアとネルヴォラニアを包囲する円が縮まっていくのを、アーヴァルカイドは止めることもなく傍観していた。いやむしろ、その表情は肩の荷も降りたとすら言いたげなもの。
「…………本当に残念です、お父様」
父からの申開きをほんの一瞬だけ待ち、もうそんなものはないのだと確信したヴィヴィアが呟いた、その直後に。
「──失礼しますよっと」
執務室の天井が砕け、飄々とした声が降ってきた。
「──なっ!?」
王女二人を背に守る形で降り立った、年季の入ったローブ姿のその女──ファルフェルナは、ひとまず斜め前方の、半歩分勇んで踏み込んでいた私兵の一人を殴り飛ばす。勢いそのまま暴れまわってやろうかとも考えた彼女を、しかし正面に立つナルグが杖先で咎めた。
「上階の警戒を怠っていたつもりはないのだが」
「上階ではなく、外から降りてきましたので」
足を止めて睨み合いながら、ファルフェルナは上を指さす。彼女が降りてきた穴からは日の光が差し込んでいた。
「屋根からぶち抜いて来やがったのか……!」
ヴィヴィアたちの背後に位置していたバルエットが、顔を歪めて吐き捨てる──
「無茶苦茶な女だぉおああっ!?」
「はい到着ぅっ!!」
──その最中に、扉を押し倒して現れたネビリュラ(とその背に乗っていたムーナ)に轢かれかけ、すんでのところで飛び退いた。隣で逃げ遅れた私兵の一人が犠牲となり、包囲に二つ目の穴が空く。
「……助かりました、皆さん」
前をファルフェルナ、後ろをムーナとネビリュラに守られて、僅かに一息吐くヴィヴィア。しかし一切の気は抜かず、座したままのアーヴァルカイドを睨めつける。
彼女の背後で無言無表情のまま(王様の部屋というだけあって扉が大きくて良かった……)などと考えるネビリュラは傍目にはモンスターであり、本来であれば王宮内はたとえテイムされた個体であってもモンスターを入れることが許されていない。執務室の外から聞こえてくる喧騒は、ネビリュラがそれを無視してここまで駆けつけてきたことを示していた。本人としては、あとのことは王女二人がなんとかしてくれるという約束を信じるほかない。
「……ッチ。反応が早いな」
ネビリュラの存在を知っているからこそ常以上にルールを徹底させていたキシュルが、忌々しげに呟いた。取り逃がしてしまった前回の夜襲、その苛立ちをぶつけるように。無論その間も、ユリエッティとの拳と魔法のやりとりは続いている。
「バカがっ聞こえてんだよ全部っ!」
負けじと煽り返すムーナの言葉は、ユリエッティの遠話器越しに執務室の状況を聞いていたという意味でもあり。また同時に、鋭敏なエルフ耳によって、転移現出の前からキシュルの存在を感知していたという意味でもあり。
そもそもの話、一行が王宮門前に至った時点ですでにチェリオレーラも「忌々しい小童の気配がします……!」などと警告を発していた。一時撤退の案もあがりはしたものの、ヴィヴィア本人の「王城に戻り真実を伝えることこそが最重要。ゴール地点にキシュルが居座っているというのなら、それはもはや避けられない障害です」という言葉が指針となった。
ゆえにユリエッティらは入城前に各々の立ち位置を決め、結果、先手は取れずとも後手に甘んじることもなく。王の発言に不可解な点は多々あれど、それでもこうしてキシュルに抗することができていた。
そうして気付けば両者手勢も揃ってしまい、その間にキシュルとユリエッティの攻防はひとまずの睨み合いへと戻った。もはや正面からの衝突は回避不可能だと誰もが理解する。いかにも身を案じているのだとでも言いたげに、キシュルからヴィヴィアへと声がかけられた。
「ヴィヴィア様も随分と無茶をなさる。わたしがいると気付いていたのなら、大人しく身を預けてくださればそれで良かったのに」
相変わらずの、怖気が走る気色悪い物言い。対するチェリオレーラの口汚い罵り声が、ヴィヴィアの背中を騒がしく押す。同時、精霊の声は聞こえておらずとも、彼女の隣で姉も背を伸ばし立っていた。
「……父と話をする必要がありましたので。まさかこの体たらくとは、流石に予想外でしたが……こうなればもう、攻めるがもっとも硬い守り。わたし一人の身の安全という段階は超えてしまっている」
戦場になり得るこの部屋において自分たちは場違いですらあると、そう認識しながらも、ヴィヴィアもネルヴォラニアも臆せず胸を張る。力を持たない二人の王女にあるのは義憤と、そして命ずる権限のみ。
「──そういうわけです、問答はもはや無用。ネルヴォラニア・ヒルマ・ダインミルドの名において承認いたしましょう。これより武力の行使は無制限。城などいくらでも破壊しても構いません。逆賊を誅し捕らえ、この国を守るのです」




